第7話 『出会いたくなかった人』


 桜が青い空に吸い込まれていく。

春は好きだ。 適度に涼しくって適度に温かい。

冬の面影を残して、夏がもうすぐ来るのだと自覚する。


「なにやってんの、そんなところで」


 不機嫌そうな声が鼓膜を叩く。

彼女は長く伸びた黒髪をなびかせて振り返った。


「なんにも」


 彼女は小さく笑いを含みながら、そう答えた。




 『ラブデイズ』第一弾のストーリーの冒頭は屋上の手摺に座っていた主人公の少女が声を掛けられるところから始まる。

季節は春。 高校の入学式。 といっても中高一貫高校だから、主人公の少女は中等部からの持ち上がりで高等部へ進学する。


 主人公の想い人となる人物はバスケの推薦で入学してくる。

成績優秀。 人柄も明るい人気者でバスケも、もちろん上手い。

その影響でモテる。 本当にモテる。


 そんな想い人が地味でそれほど目立たない主人公を気にかけて声を掛けるシーンには彼の過去回想が僅かに投入されている。


 その舞台となるのがお兄ちゃんのバスケの強豪校でもある白石鳥高等学校。 

私は今日初めて、この学校に足を踏み入れた。


 お兄ちゃんはこの学校に入るにあたって小学校の頃から受験勉強に必死で取り組んでいた。


じっとしていられないお兄ちゃんが勉強に励む姿にはなんともいえない衝撃を受けたものだ。


 私も今年の春から受験にむけて猛特訓を始めている。


 お兄ちゃんが通うこの学校に通いたかったのは目的の一つである将来について中学卒業までに考えるという点だ。


 この学校は外部とのイベントが多い。


 ボランティアや職業体験を通して自分の将来をはっきりさせておきたいっていうのが私の本音だ。


 それから制服が可愛い。

ブレザーの公立学校は近くではここぐらいなもので、デザインは紺色のブレザーに赤色のネクタイ。 男子はズボンで女子はミニスカート。


 ただし、夏は流石に暑いのでブレザーを脱いでもいいことになっているそうだ。

学校に入っていく後ろ姿にはブレザーを腰巻にした生徒が数多くみられる。

さて、なぜ私がこの学校にやって来ているのかというと。


 お兄ちゃんがお弁当を忘れたからだ。


「お兄ちゃんも意外とドジなんだよねえ」


 苦笑しつつ、男子バスケが練習しているという体育館へむかう。

近づくにつれて怒声とボールをつく音が聞こえてきた。

開いていた窓から覗くと、大勢の男子部員が監督のしごきを受けていた。


 監督は映画に出てくるヤクザみたいな顔つきだった。

大柄で身長は二メートルぐらい。

外部コーチか、はたまた学校の教員なのか……。

先生だったらちょっと怖いかも。


 こういう時は誰に声を掛けるべきか。


「ねぇ」


 逆に声を掛けてくれる人がいたようだ。


「あなた、部外者でしょう?」


 尖った声でそう言うのは目元に泣きぼくろをつけた女の子。

ボブにした黒髪とも相まって私の知っている人物だということを強調している。


 もちろん、こちらの世界・・・・・・では初対面。

ただし客観的な視点からは何度も閲覧させてもらっていましたけれども。


 この女の子は『糸川いとかわ 璃子りこ』。

典型的な悪役ご令嬢でかなりのお金持ち。

にも関わらず私立ではなく公立に入学してきたのは我が家のお兄ちゃん狙いの女の子だからだ。


 そこまでして追いかけてくるファンもいるんだなぁと思ってしまう。

第一弾の主人公の邪魔をしまくって桃華と意気投合していた悪役だ。

第二弾では流石に懲りて登場回数も減ったけれど。


 それから、もう一つ設定を付け加えておくと男子バスケ部のマネージャーだ。


「桃原 連華の妹です。 あの、お兄ちゃんいますか?」


「なんだ、レンの妹なの」


 態度が一気に和らぐ。 女子の豹変ぷりは見ていると少し怖い。


「レンになにか届け物? 渡しておくわよ」


「は、はい。 このお弁当なんですけど」


 璃子は必ず届けると約束して、すぐに体育館の中へ入っていった。

お兄ちゃんに直接は渡せなかったけど仕方ない。

呼び方も予想以上にフレンドリーだった。


 お兄ちゃんの口から女子の名前が出たことなんてウチでは一度もないんだけど……。


 鈍いのか、興味がないのか。

うーん、お兄ちゃんが何を考えてるのかよく分かんない。

まあいいや。 さあ、帰ってアイスでも食べよう!


 と意気込んだはいいものの捕まりました。


「きゃああ、超可愛い!」


「誰の妹!?」


「桃原君のだって!」


「今、何年生なの?」


 外周に行ってきたのだという女子バレー部の集団に囲まれて質問攻めにされた。

お兄ちゃんという救世主がやってくるまでそれは延々と続いた。





「悪いな、ありがとう」


「どういたしまして、それじゃ。もう私帰るね」


 部活の昼休み休憩だというお兄ちゃんにお弁当のおかずを少しだけもらって帰路につこうとしたがお兄ちゃん曰く、今の時間帯は部活の入れ替わりで学生に捕まるというので、図書室で時間を潰すことにした。


 帰りはお兄ちゃんの部活が終わるころになりそうだ。

こういうところでやけに過保護だ。

一人で来たんだから、一人でも帰れるって。


 学生の集団に捕まるのはごめんだけど。


「失礼しまーす」


 図書室のドアを開けると蒸し暑さが一気に消え去って、よく効いた冷房の涼しさが身に染みた。

人はそれほどいないようでしーんと静まり返った世界に閉じ込められたような変な錯覚に陥った。


「可愛いお客さんがいらっしゃったみたい」


 涼音のように軽やかな声が鼓膜を叩く。

彼女・・は黒髪を耳に掛けながら私を眺めていた。


 ――全てを見透かすような青い瞳が私をじっと見据えていた。

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