第4話 『不本意な寄り道』

 もうすぐ夏休みだヒャッホーイ! とすっかり浮かれて宿題の山を放り出した私は放課後をだらだらと過ごしていた。


 夏休み、ああ。なんて素晴らしい響きなんだろう。

 学校に通えないのは残念だが、それこそが夏休みの醍醐味。

 家で宿題をやらなくてはという使命感に駆られつつも一日中だらだら。


 一年生のころは退屈で仕方なかったものだが、年を重ねるにつれて夏休みの素晴らしさが分かってきた。


「姉ちゃん、母さんから電話」


 私とのジャンケンに負けて渋々、電話の受話器を取りに行った風華が部屋に戻ってきてそう告げる。

 おかげでしばらくの間は涼しい扇風機の前を独り占めできていた。


「要件も聞いてきてよ」


「アンタ、仮にもお姉ちゃんだろ。ちゃんと責任感もてよ」


「お姉ちゃんをアンタって呼ぶのも弟として生意気だと思うけどね!」


 暑さのせいで私もいらいら。

 いつもは怖いはずの風華にも口答えすることができた。

 まだ、夏休みには入っていないのに、なんだこの暑さは。


 反撃されたら勝ち目はないのでちゃっちゃとリビングへ退散する。

 お母さんからの電話の用件は雪華のお迎えに行って欲しいというものだった。


 今日は小学校の方が下校は早かったため、雪華はまだ幼稚園だ。

 お母さんの仕事が遅くなるかもしれないというので了解して重たい体をズルズル引きずりながら幼稚園に向かう。


 風華は様子を察したのか、さっさとゲームセンターに逃げていった。

 本当にずる賢い弟を持ったものだ。


「あー、暑っい」


 苛立って小石を蹴りながらも幼稚園へと続く坂道を延々と登る。

 帰りは下り坂だからいいけれど、行きがなかなかキツイ。


 小学校も幼稚園のすぐ隣にあるから通学路を歩いているわけだけど、木々から差し込む光は午後の方が日差しも強くて私は大量の汗をタオルで拭いながら進んでいく。


 おかげで、足は丈夫になったし、持久力もついたんだけどね。


「あら、あら。彩華ちゃんじゃない。もしかして雪華ちゃんのお迎え? えらいわねぇ」


「大きくなって。ますますお母さんに似てきたわ」


「雪華ちゃんのお姉ちゃん......だよね? あー、似てるー」


 心にもないことを、言葉にするお母さま方に捕まって幼稚園に到着するころには既に二時をまわっていた。


 当然ながら、雪華は大変ご立腹でいらっしゃる。


「おっそい。ユキをいつまで待たせるつもり?」


 両手を組んでえらそうにふんぞり返る雪華。

 お兄ちゃん似の鋭い目つきで睨まれると微笑ましいとは言い難い。


 先生たちの前では猫を被っているため、この本性が外部に暴かれた節はない。 むしろ、幼稚園児たちをまとめてくれるリーダーとして優等生の称号を手に入れているほどだ。


「なによ、なにか文句でもあるわけ?」


 キッと睨まれて私は怯む。

 前世では小さい子と触れ合う機会なんてほとんどなかったから、接し方とかイマイチよく分からないんだよね……。

 でも、舐められてばかりじゃだめだ!


「なんにもないよ。ほら、帰ろ」


 少し早口で急かすように言うと雪華は僅かに目を見開いて驚いた。

 幼い顔がちらりと覗く。 でも、すぐに厳つい表情を作る。


「うっさい、ババア!」


 ……本当に口を減らない妹ですこと。




「姉、あそこよって帰ろ」


 服袖を引っ張ってきた雪華に何事かと振り返ると好奇心を秘めた瞳で一直線にむかっているのは小さな公園。

 無邪気な一面もあるじゃないか。

 微笑ましい気持ちになったのは一瞬だけだった。


 この今にも溶けてしまいそうなほどの暑さのなかで可愛げのない妹が公園で遊んでいるのをのほほーんと眺めていろと? 無理な話だ。


「無理。絶対無理」


「なんでよ! いいじゃない!」


「やだ。絶対にいーやーだ!」


 頬を膨らませる雪華を無視して私は坂道へ向かおうとする。


「いいもん、連兄れんにいに姉が遊んでくれなかったってうったえてやる!」


 私は足をピタリと停止させた。


 こんな我儘っ子に雪華が成長してからというもの、その本性に気づいているのは私とお母さんと風華だけで、お兄ちゃんとお父さんの前では当然のように猫かぶり。


 喧嘩の時には、お兄ちゃんを味方にした者勝ちだから雪華は常にかなり有利だ。 あれだけ暴言を吐く妹の本性に気づかないなんてお兄ちゃんは本当に鈍すぎる。


「仕方ないなあ、三時までだよ」


「うん!」


 ベンチにだらーんと座り込んで雪華がすべり台に上っていく様子をぼんやりと眺める。


  夏は汗で全身ベタベタするから大っ嫌い。

 逆に冬はマフラーや手袋を買ってもらえるから好き。

 雪が降ったときには雪遊びもできるし冬最高。


 でも、プールが解放されるのは夏期間だけなので捨てがたいところだ。

 近所にあるスポーツセンターでは、夏はプール。 冬はスケート場の巨大ドームがある。 スケートも好きだけど泳ぐのはもっと楽しい。


「あ! 雪華ちゃん」


 ふと舌足らずな声がして遊具が並んでいる方を見ると、雪華と同じ幼稚園の帽子を被った男の子。 年は雪華と同じくらいかな。 

 雪華と同じ組の子なのかもしれない。


「あら、これはくぐうね」


「くぐう?」


「変わった出会いってことよ」


 堂々と難しい言葉を使いましたよ、アピールしているが『くぐう』なんて言葉はないぞ、雪華ちゃん。

 雪華は『奇遇』と言いたかったんだろうなぁと思った。


「健太くんはどうしたの?」


「遊びにきたんだよ! あ、いっしょに遊ぼ!」


「もちろん」


 上品げに振舞う雪華はキザに前髪を払った。

 どこで知ったのかな、それ。


 鬼ごっこを始めた幼児二人を微笑ましい気持ちで見守る。


 兄弟内でこれをやると、まず運動音痴な風華が真っ先につかまって、次に同情したお兄ちゃんがわざとつかまって私に番が回ってくる。


 雪華はすばしっこくってつかまえるが大変だけど私からのバトンタッチは雪華とほぼ決まっている。


 雪華をつかまえられない場合は風華にタッチ。

 卑怯? いえいえ、お姉ちゃんの特権ですとも。


「あっ」


 雪華が石に躓いて転んだ。

 男の子が慌てて駆け寄って「大丈夫?」と尋ねる。

 雪華はこくりと頷いた。


「大丈夫。あ、もうこんな時間。わたし、もう帰らないと」


「そうなんだ。じゃあ、バイバイ」


「うん、さようなら」


 時計を確認してみるとまだ三時にはなっていなかった。

 雪華がこちらに走ってくる。


 傷は大したことなかったが雪華の顔は崩壊寸前だった。

 改めてまだ雪華が五歳なのだと、思い出す。


「大丈夫?」


 できるだけ優しい声をかけると雪華は大粒の涙が溜まった顔を私の方へとむけて、こっくりと頷いた。


 我慢しているような顔がどこまでも意地を張っている雪華らしくって、雪華の手を引きながら家へと急いだ。




 雪華の態度に改善は見られないけど、彼女にも弱い一面はあるんだなぁと知ることができて私は満足だ。


 5.お姉ちゃんらしいことを彼女にできるように。


 日記帳に新しく加えられた言葉は頭の中にも刻み込んだ。

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