第2話 『まいふぁみりー』

……これは、危ない状況だ。

どう見ても危ない。

自分で客観的に見ても「コイツあぶねえ」って思う。


 お互いに固まり合い私は気まずい状況に目を泳がせながら必死に頭をフル回転させて策を練る。

誤魔化せ、なにかの訓練だとかいえばいい。

でも、叫ぶ訓練するスポーツなんてあったっけ……?


 ―――誤魔化すのは諦めて取りあえず誤っておくことにした。


「ごめんなさい」


 床へひれ伏して土下座ポーズ。ははーっ。

男の子はなおも呆然としているらしく声一つ漏らさない。


 うーん。が奇行に走れば七歳のお兄ちゃんもどうしたらいいのか分からないはずだよなぁ。

男の子―――ではなく『桃原彩華』にとってのお兄ちゃんは喉から絞り出すような声を出して頷いた。


「お、おう」


 お兄ちゃん、ドン引きですね。

頬を引きつらせる常識人のお兄様。

『桃原彩華』の兄にしては性格も良心的だ。


 桃華とは違う藍色がかった黒髪、鋭い目尻、凛とした顔立ち。 

漫画で見ていたころから変わっていないなぁとしみじみ思う。 

ちなみに、この桃華のお兄ちゃんなる人物も実は『ラブデイズ』の人気キャラクターだったりする。


 桃原ももはら 連華れんか。 

面倒見がよく名前が女の子みたいとからかわれることがコンプレックスで、幼少からいじられることが多いせいか少しだけ荒々しい口調だが優しい妹思いのお兄ちゃんだ。


 むしろ、妹思いというよりシスコンすぎる。

『桃原彩華』があんなぶりっ子になった原因の一つにはお兄ちゃんが溺愛しちゃったこともあるんじゃないだろうか。


「――な、なにか悩み事でもあるなら言えよ」


「悩み事なんてないよ!?」


 思わず叫んでしまった、お兄ちゃんの頬がますます引きつる。

お兄ちゃんの顔には「こいつ本当に大丈夫か?」と書かれていた。

不審そうなお兄ちゃんの視線が突き刺さる、すごい痛い……。


「本当に大丈夫か? まあ、自分に変なあだ名つけなくなったのは良いことだけどな。なにか悩み事でもあるなら言えよ」


 七歳児なのにこうまで頼もしいとじーんと胸にこみ上げるものがある。

 お兄ちゃん、変なあだ名つけてることは気にしてたんですね……。


「ううん。大丈夫だよ、お兄ちゃん」


 ぴくりとお兄ちゃんの眉が反応した。 

 あれ? ……あ、桃華はお兄ちゃんのことをお兄ちゃんとは呼んでいなかった「にい」と特徴的な呼び方をしていたはずだ。

 

 やばい、私ボロ出しすぎかもしれない。 また怪しまれるかな?

子供の想像力と勘ほど恐ろしいものはないのだ。



 おそるおそるお兄ちゃんの顔色を窺う。

 見上げる形なのでお兄ちゃんの表情はよく見えるんだけど……。

 ん? なんか怖い顔してませんか?


 お兄ちゃんは唇を強く噛んで怖い顔をしていた。

 目つきが鋭さを帯びて厳つさが増す。

 お、怒られるかな? 私はビクビクしながらお兄ちゃんの言葉を待っていた。


「彩華」


 名前を呼ばれて私は身体を硬くした。

 お兄ちゃんの顔を見ないように俯く。


「もう一回。今の言ってみろ」


「へ?」


 お兄ちゃんの意外な一言に私は間抜けな声をこぼした。

 相変わらず怖い顔のお兄ちゃんが何を求めているのか分からずに私はさっきの台詞を繰り返してみることにした。


「ううん。大丈夫だよ、お兄ちゃん?」


 疑問形になってしまったがお兄ちゃんは何かを噛みしめるように頷いた。

 ? ? ? お兄ちゃんはどうしてしまったのだろうか?

 疑問符が頭の中を駆け巡る。


 私の様子を察した素振りもなくお兄ちゃんは何故か私の髪をくしゃりと撫でて私を立たせたあと、何も言わずにいなくなった。

 後から考えてみてもお兄ちゃんの目的はよく分からないままだった。


 ただ、この出来事以来お兄ちゃんがよく頭を撫でてくれるようになった。

 その度に乱暴な撫で方なために髪形が崩れるのは悩みどころだけど……。


 

 


 あれだけ髪留めを集めているだけあって桃華は手先がかなり器用だった。 

 記憶にはないのだけれど指先がやり方をしっかり覚えている。

 編み込みなどの高度な技までできてしまうので自分で自分に驚いたものだ。 


 母親の桃原冬華ももはら とおかは短く髪を切り揃えているので髪をしばったこともないという。

 桃華がどこで編み込みを習ってきたのかは永遠の謎だ。


 お母さんは女性らしい起伏の富んだ肢体をいつもシンプルでかっこいい服で覆っている。 お母さんの仕事は公立高校の教師で、朝も夜も早く家を出ては帰ってくるという毎日を送っていた。


 前世の母親は専業主婦だったのでこうして忙しく働いているお母さんを見ているのは新鮮だ。 しっかりしていてちゃんと駄目なことを子供がしていれば叱るし、甘えたいときにはこっちの気持ちを察してくれた。


 どうすればこんなにいいお母さんからあんな我儘な桃華が産まれるのか不思議でならない。 と思いながら二年がたち私が七歳を迎えた頃、お母さんが新たな命を授かった。


 女の子だと分かったとき私はめちゃくちゃ喜んだ。

 男兄弟ばかりの我が家にもついに妹ができるのだ。

 これほどまでに喜ばしいことはない。


 前世ではお姉ちゃんが一人いたけれど気が強くてあまり好きにはなれなかった。 けど、今回はお姉ちゃんじゃない。 妹なのだ。

 可愛い可愛い妹が……! 考えるだけでもホクホクしてしまう。


「姉ちゃん、顔きもい」


「こら、言葉遣い気を付けろよ」


「ごめんなさい。兄ちゃん」


 にやにやしていたであろう私にむかって風華が毒舌を吐く。

 そんな風華はお兄ちゃんに注意されてしゅんとなった。

 私の言うことは聞かないくせにお兄ちゃんに対しては忠実なんだから。


 しゅんとした風華は子犬みたいで可愛らしい。

 中身はとんでもなく生意気な悪戯小僧なんだけど落ち込んでいる姿を見ていると保護欲がそそられてしまう。


 頭を撫でてあげようと手を伸ばすと閃光のように動いた手に叩き落とされた。


 お兄ちゃんが慰めるように私の頭をくしゃりと撫でた。

 だから髪形崩れるんだってば! 


 そしてついに妹が誕生した。

 目つきだけは悪いけど髪色は私と同じ茶色をしている。


「可愛いなぁ」


「姉ちゃん、顔きもい」


「うっさい」


 妹は雪華ゆきかと名付けられた。

 お母さんの冬華という名前にちなんで全員に『華』という漢字が入っている。

 なんだか兄弟姉妹だなぁとのほほーんとしながら思った。


「ねえ、ねえ」


 舌足らずに私のことを呼ぶ姿はとてつもなく愛くるしい。

 風華と違って甘えん坊で可愛いなぁと思い私とお兄ちゃんが甘やかした結果。


ねえそこじゃま。どいて」


 五年後には立派な桃華二号が誕生していた。


 ……ようやく桃華が我儘になりすぎた原因がよーく分かった。

 全てはお兄ちゃんと……お父さんのせいだ!!

 登場せずにいたがお父さんは出張で家にあまりいない。


 その分、半年ごとに帰ってきては娘を甘やかしていく。

 お父さんは私と桃華二号もとい雪華が可愛くて仕方ないらしい。

 お兄ちゃんと風華は公園へと嫌々駆り出されて汗だくで帰って来た。


 お父さんの趣味はマラソンだそうで走るのが嫌いな風華はめちゃくちゃ嫌そうな顔をしながらもお母さんにお願いされて毎回がんばっていた。

 私以外の家族の言うことは聞くらしい。 本当に生意気!


 対して私と雪華には出張先で買ってきたという大量のおみやげをくれた。 

 少し私には早いかな? と思うほどの高価そうな財布やバッグは自然にお母さんの方に回っていったけれど美味しそうなチーズケーキはありがたく頂いた。


 雪華は目つきのせいで存在感が半端ない。

 幼稚園でもリーダー的な存在になっているそうだ。

 クラスの中立にいる私とは別格だなぁとぼんやり思う。


 私の場合は大人しい組なんだけど有名人のお兄ちゃんと風華のせいでなぜか知名度が高い。

 お兄ちゃんは今、中学二年生。

 季節は秋なのでお兄ちゃんの所属している部活動では二年生が主役になり始めている。 その中でもお兄ちゃんは部長として大活躍中だ。


 一方で風華は運動ではなく芸術分野で才能を発揮している。

 夏休みの宿題で出るポスターや絵画では必ずといっていいほど賞を獲得している。 キレッキレの毒舌のせいで友人は少ないけれど女子にはモテるらしくファンクラブまであるそうだ。


 兄弟たちがこうも有名だと少しだけ自分が不甲斐なく思える。

 私にはこれといった才能は特にない。『桃原彩華』として漫画のような嫌われ者にならないことに精一杯だ。


 どうも、平凡に過ごすのは難しいらしい。 

 私はとりあえずそう結論づけた。

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