第二十三話・予兆

「――舞踏会?」


「聞いているはずだと思うんだが……」


「……確か、明日のイベント前に、何か交流会をやるとか何とか、聞いた気がするな」


 すっかり忘れていた。そう顔に書いてあるシグルドに溜息を吐き、シャルロットは読んでいる少女漫画の続きを捲る。相変わらず、このわんこ天使は自分に構ってくる事ばかりで、他に意識が向いていないようだ。

 町に行くでも、他の天使達と遊びに行くでもなく、王宮の庭園にて今日もシャルロットの隣を陣取っている。

 

(はぁ……。三日前のピクニックでも、結局、陽が暮れるまでシグルド君の我儘に付き合う羽目になったしなぁ)


 二人きりで遠出をすると思い込んでいたわんこ天使は、その期待を裏切られた責任を取れと要求した。

 シャルロットをあの丘の近場にあった森に連れ込み、膝枕をねだられて……、そのまま。

 ……もうどの角度から見ても、ただの友達にあるまじき独占欲の強さだと思うシャルロットだ。

 とんでもない、根っからの鈍感男。……だが、一方で別の疑問も浮かぶ。

 シグルドは本当に、ただ鈍いだけなのだろうか? 普通だったら、もっと早くに自分の気持ちを自覚し、今後の事を考えるのでは? しかし、彼にその気配はない。

 友達になれたのだから、次は親友の地位を目指して頑張るのだと、笑顔で宣言しているぐらいなのだから。

 

「今日の夜だ。天使達を招いての舞踏会だから、ちゃんと君も参加するんだぞ」


「シャルロットは参加するのか?」


「あぁ。王女として、たまには顔を出さないとな」


「なら、出る。シャルロットのエスコート役をしたい」


 一応は、天界のエリート軍人。向こうで行われている舞踏会などの類にも参加経験があるようだ。

 ……だが、さて、困った。

 

「あの、だな……。シグルド君」


「ん?」


「エスコート役は、別にいるんだ。だから、すまん」


「誰だ? 魔王陛下か? 他にも王子達がいると聞いているが、……まさか」


 それ以外の男共じゃないだろうな? ちらりと窺った隣のわんこ天使は、間違いなくブラックオーラ満載の般若顔にメタモルフォーゼしていた。……はぁ、めんどい。

 シャルロットは読み途中のページに花模様のしおりを挟み、静かに閉じてそれをテーブルの上に置いた。


「エリィちゃんだ」


「――っ!!」


「私のエスコート役は、昔からエリィちゃんに決まっているんだ。婚約者か夫でも出来ない限りは、ずっと」


 今までころっと説明し忘れていたが、丁度良い機会だ。

 エリィの正体と、自分との関係について説明を……。

 と、口を開こうとしたら、テーブルに乱暴な一撃が落ちた。


「シャルロット……」


「待て。今度こそちゃんと納得出来る説明をしてやるから、おい、こらっ、肌と心に痛い殺気をダダ漏れにさせるのはやめろ!!」


「何故、友達の立場でしかないアイツがお前のエスコート役なんだ? それも、昔から……、とは、どういう事だっ」


「だからだな、エリィちゃんは」


「代えろ」


 何を? と、聞くまでもなく、シグルドの要求はひとつだ。

 シャルロットのエスコート役をエリィではなく、自分にしろと何様だお前は!! 的な感じで、命令調子で言っている、自己中わんこ。そうだった、そうだった。

 シグルドは純粋一途な面が強いが、黒い部分もあれば、傲慢な顔もあわせ持っていたのだった。

 だが、このわんこ天使が無自覚の独占欲を剥き出しにしようと、聞いてやる気はない。


「駄目だ。私のエスコート役を許されるのは、伴侶に確定している者だけだ。君はただの友達だからな。その資格がない」


「俺は――っ!! ……なら、何故エリィはっ」


「それを説明してやると言っている。エリィちゃんはな」


「シャルちゃ~ん!」


「……丁度良い。エリィちゃんを紹介してやる。今度は改めてな」


 スキップで現れた特別な友達に手を振り、シャルロットはその耳にこそこそと何かを囁く。

 一応、本人の許可を取っておくべきだろう。

 しかし、エリィはシグルドとは反対の、シャルロットの右の席に座ると、唇に人差し指を当てて「だーめ」と、一言。……何故に?


「いやいや、エリィちゃんっ。これ以上はシグルド君がだなっ」


「ふふ、だぁ~ってぇ、丁度良いじゃな~い? 今夜は舞踏会。バラすなら、その時が一番よ」


「自分がシャルロットの特別な何かだと、俺に見せつけたいのか? 貴様はっ」


「はぁ、どーどー。シグルド君、私とエリィちゃんは君が心配しているような関係じゃない。落ち着け」


「がるるっ!!」


 まったく、このわんこは短気極まりないな。

 まぁ……、ちゃんと言ってなかったシャルロット達にもある程度の非はあるのだろうが。

 席を立ちそうになっているシグルドを宥め、シャルロットはじろりとエリィにもう一度尋ねる。


「もう今言った方が」


「ふふ、駄目よ。おめかしして、改めてご挨拶したいもの。それと、シャルちゃん。今夜のエスコートの件なんだけど」


「ん?」


「今夜は、シグルドちゃんにエスコートして貰いなさい」


「はぁああああああああああああああっ!?」


 もうずっと、ずっと繰り返してきたエスコート役を、突然辞退!?

 しかも、当日にドタキャン!? 一気に青ざめていくシャルロットの頭を撫で、エリィは言う。


「陛下からのご指示よ。後で改めてシグルドちゃんに頼むと仰ってらっしゃったけど、別にいいわよね~?」


「よ、良くない!! 私のエスコート役を赤の他人がやるという事は、それは!!」


「ねぇ、シグルドちゃん。シャルちゃんの特別な……、そう、未来の伴侶として注目される事は、嫌?」


「……シャルロットの、……伴、侶?」


 魔界の王女、魔石の所持者。シャルロットの隣に立つ以上、様々な憶測を呼ぶ事は避けられない。

 エリィの意味深な問いかけを受けたシグルドは僅かな動揺を受けたかのように声を震わせ、視線を彷徨わせてしまう。


「俺は……、シャルロットの、友達、だ」


「ふふ、知ってるわ。でも、シャルちゃんのエスコート役をお願いするって事は、陛下にその気があるって事だと思うのよね。可愛い娘の婿に、って」


「……婿」


 あぁ……、酷く困らせてしまっているじゃないか。

 シグルドはシャルロットの友達になりたいと望んではいるけれど、その先に関して、自分の感情の正体に、まるで無自覚なのだ。こんな問いは、彼を追い詰めてしまうだけだ。

 それに、こんな事をして自覚される事があれば……、困る。

 友達のままでいい。今の関係を崩すような亀裂はいらない。

 シャルロットは胸の奥に微かな不安を感じながら、エリィの言葉を阻もうとする。だが――。


「シャルちゃんにはね、魔界中から縁談の話が沢山舞い込んで来るのが日常茶飯事なの。魔界の王女という立場と、強大な力を持つ魔石の所持者として、誰からも狙われる存在だから」


「シャルロット……」


「エリィちゃんの言っている事は本当だが、……別に君が気にしなくてもいいんだぞ。私達はただの友達だ。まぁ……、婚約者が決まれば、あまり会う事は出来なくなるが」


「あまり、っていうか、ほぼ無理よね~。特別な相手がいるのに、友達……、いえ、殿方と二人で、なんて、まず無理な話だもの」


「会えなく、なる……? 婚約者が、決まれば……」


 男女の友達関係というものは、あくまで一定の距離を保たねば成立しないものだ。

 シャルロットに、シグルドに、愛する者が出来れば……、他を見る事は裏切り行為になってしまう。

 愕然とした表情で小さく震えるシグルドが、ふらりと席を立った。


「すまない……。暫く、一人になりたい。エスコートの件は、夕方までに陛下へ自分から返事を伝えに行く」


「わかったわ。そう伝えておくわね」


「シグルド君っ!!」


 ふらふら~。……何だろう、吹けば消し飛んでしまう灰粉のように儚げな背中が遠ざかっていく。

 シャルロットが呼び止めているのに、シグルドは何の反応もせず、ふらふら、ふらふら。


「エリィちゃ」


「陛下のご意思よ。シグルドちゃんがエスコート役を受けても断っても、現時点では何も変わらないから安心しなさいな」


「そ、そうじゃなくてだなっ! ……じ、自覚したら、どうするんだ? 困るだろう?」


「貴女が、ね。だけど、そろそろハッキリして貰わなくちゃ困るのよ。シャルちゃん、今年のイベント参加者の中に、『彼』がいるの、知ってる?」


「彼……?」


 特定の誰かを示す強い音に、シャルロットは少し考えた後に目を見開いた。

 

「彼が……、参加するのか?」


「ええ。リストの中に名前があったわ。もう何十年も鳴りを潜めていたようだけど、勝つ算段が出来たのかしらねぇ?」


 最悪の状況が重なった。面倒事を匂わせるエリィに、シャルロットも冷や汗を頬につたわせる。

 ……『彼』。それは、シャルロットにとって、一番相性の悪い……、シグルド以上に困った相手。

 あれが参加するとなると……、非常に、不味い。

 今まで静かだったからこそ、何かが起こるような気がしてならない。


「シグルドちゃんが腹を決めてくれたら、少しは楽になるんだけど」


「エリィちゃん。シグルド君には彼の事、言わないでくれ。あれは私が何とかする」


「そうね。……天使達の間にも、何かあるみたいだし」


 一度に抱える問題はひとつでいいというに……。

 不意に、ひんやりと流れ去って行った風の気配にぞくりと肌を震わせながら……、シャルロットはテーブルクロスの表面に、一滴の汗を零したのだった。

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