第十九話・わんこ天使の懇願

「シャルロットぉおおおおおおおおおおおおお!!」


 廊下の遥か向こうから噴煙を上げ爆走してくるひとつの影。

 通りすがりの女官達の間を嵐のように駆け抜け、シグルドがこちらへと近づいてくる。


「え、エリィちゃんっ、エリィちゃん!! ど、どどどど、どうしようっ!!」


「はい! 頑張って受け止めてあげなさいな」


「ちょおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 鬼気迫る勢いのシグルドを目にしたシャルロットはひっ! と、息を呑み、ブンブンと全力で首を振る。

 しかし、世話好きなオネェの対応は薄情なものだった。

 シグルドの向かってくる方へと押し出され、シャルロットは半泣きで構えの姿勢をとる。


「シャルロットぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「うぅっ……!! む、無理っ!! 無理すぎるぅうううううううう!!」


「あっ!! こらっ!!」


 誰も声をかけられず、誰にも止める事の出来ない、天界のエリート軍人。

 その表情は、般若か、はたまた地獄からの使者、いや、大魔王か。

 エリィの制止と妨害を振り切り、シャルロットは少し走った場所にある窓から外へと飛び出す。

 天使の血を引く証である、純白の翼を背に生やして。


「また後日ぅうううううううううううううううう!!」


「もうっ、あの子ったら、――あ」


 だが、そんな逃走劇でシグルドの魔の手から逃げ切れるわけもない。

 爆走スピードで動いていた足で急ブレーキをかけたシグルドが、シャルロットが飛び出して行った窓に飛び込み、一度宙に出た瞬間、壁を蹴って大空に舞い上がった。

 高度を上げて飛翔して行くシャルロットがちらりと視線を下に向けると、――げっ!!

 わんこ天使は地球で言うところのミサイル張りの勢いでグングンとシャルロットに追いついてくる。


「ひぃいいいいいいいいっ!! く、来んなっ、来んなっ!! シグルド君の馬鹿ぁああああああっ!!」


 地球とは違い、空を抜けた先に宇宙はない。

 世界と世界と隔てる結界があるらしく、その地点に到達するよりも前に、シャルロットは半狂乱のあまり体勢を崩してしまい、その細く壊れてしまいそうな腕を掴まれてしまう。


「シャルロット……!!」


「やっ、やだっ、やだやだっ!! 誰かっ、誰かっ、おまわりさぁあああああん!!」


 自分とは違う、男らしい逞しさを感じる腕の温もり。

 シグルドという檻に囚われたシャルロットは、あんな事の後だという罪悪感のせいもあり、子供じみた抵抗の仕方で暴れまくる。だが、耳元に囁かれた……、泣きそうな声に、意識を奪われてしまう。


「怖がらないでくれ……っ。俺を、嫌わないでくれ……っ」


「し、シグルド……、君?」


 違う。泣きそうな、ではなくて、――本当に泣いている!?!?

 さっき、回廊でシャルロットの心を無視した愛撫や激情を押し付けるのではなく、ただただ、辛そうに、シグルドは繰り返す。


「苦しい……っ。お前に嫌われるのは、あんな目で見られるのは……、どんな傷を負うよりも、辛くて……、胸が張り裂けそうに、なるっ」


「…………」


 ガタイの良い大の男が泣きじゃくっている図。……シュールだ。 

 だが、……エリィの言う通りだな、と、シャルロットもまた、その胸に痛みを覚える。

 純粋に、素直に、自分を慕い、懐いてくる天使。

 今までの男達とは違う。シャルロットだけを見つめる、一途な眼差し。

 巻き込みたくないと思った。今も、そう思っている……。

 でもそれは、自分のせいで誰かが傷付く姿を見たくないという、自分の……、我儘。

 守りたいと願っていたのは、自分の弱い心。


(私の弱さが、シグルド君を……、こんなにも、酷く傷付けてしまっている)


 シャルロットが暴れるのをやめると、シグルドは僅かに力を緩め、小さく、犬のように寂しそうな鳴き声を漏らした。欲に塗れた男達を叩きのめそうと、何の罪悪感もなかったというのに……。

 緩んだ隙を利用し、シャルロットは逃げる気はないと言い含めて体勢を変えた。

 シグルドと向き合い、その傷付いた青の瞳の端に浮かぶ涙の雫へと……、唇を寄せていく。


「ん……。シャルロット?」


「……君は、子供みたいだな」


「…………」


「私に嫌われたぐらいで、何故泣く……。私だって、君に酷い事をされたんだぞ?」


「……すまなかった」


 天使の涙も、自分達のそれと変わらず、少し、しょっぱい。

 落ち込んでいるシグルドの涙を唇で拭いながら、シャルロットはその温もりを彼の額へと運んだ。

 前髪を掻き上げ、額の中心に口づける。


「私も、すまなかったな……。臆病風に吹かれ、君を傷付けてしまった」


「シャルロット……」


「君が嫌いな女と一緒だ。まぁ、私も女だが……、こんな私と友になって、後悔はしないか?」


「――っ!!」


 シャルロットが優しく微笑みかけると、すぐ目の前の青が喜びに煌めき始めた。

 

「俺を、受け入れてくれるのか……?」


「言っておくが、私に関わると面倒な事ばかりだぞ? 怪我をしたり、命に関わる事も」


「構わない。お前の傍にいられるのなら」


「……」


 葛藤一切なし、か。……本当にもの好きな奴だ。

 頬に灯る朱を感じながら、シャルロットは参ったなぁと、はにかんでみせる。


「わかった。……身勝手に君を傷付けた、臆病な魔界の姫で良ければ、友の誓いを交わそう」


「シャルロット……!!」


 一瞬、強く掻き抱こうとする気配を感じたが、シグルドは寸でのところで自分を抑え込み、シャルロットを壊さないように、慎重にゆっくりと優しく包み込むように抱き締めてくれた。

 

「願いが……、叶ったっ」


「大げさだ。……だが、……本当にいいのか?」


「何がだ?」


「……私の友達というポジションで」


「?」


 はい、いまだに自覚なし、と。

 まぁ、シャルロット自身、シグルドの事を気になる存在、放っておけない存在として見ているが、そういう意味での好きかどうかは……、まだまだ分からないと思っている。

 だから、シグルドにニッコリと満面の笑顔を向け、ちょっとした意地悪をしてやる事にした。


「シグルド君、今日から私と君は、友達だ。ト・モ・ダ・チ! 昇格しても、親友までだからな?」


「……あ、あぁ。俺も、それを望んでいるから……、努力する」


 無自覚め、このド天然めっ。

 シャルロットの笑みから何を感じたのかはわからないが、シグルドは微妙に困った顔をしながら頷いている。

 

(まったく、……エリィちゃん、私よりも、シグルド君の方が大問題の困ったちゃんだと思うぞ? はぁ……)


 彼を傷付けてはいけない。真摯に向き合うべきだ。

 そう、気付かされたというのに……、あぁ、憎らしいな、この純粋培養天使は。

 何やらイライラとした感情を胸の奥底で疼かせながら、シャルロットは続ける。


「では、王宮に戻って、『友達の節度ある在り方』を教えるとしようか。いつかお互いに大事な人が出来た時に、色々と守らねばならない境界線や、距離感というものがあるからな」


「……あぁ」


 大きな喜びを得たわんこ天使だったが、シャルロットが口にした『節度ある友人関係』を教授される内に……、だんんだんと彼の機嫌は下降気味になっていくのだった。

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