第十八話・シャルロットとエリィ

「はぁ……」


 危機を脱する事が出来たものの、まだその心に平穏は戻ってこない。

 そうなるきっかけを作ってしまったのはシャルロット自身。

 あんな風に突き放せば、シグルドが情緒不安定になって予想外の行動に出ると……、先を読む事も出来たはずなのに。……つい、やってしまった。


(シグルド君の想いは、きっと、お試しで付き合ってあっさり別れられるような軽いものじゃない。一度捕まれば……)


 ―― 一生、あの狂おしく、甘過ぎる熱に囚われてしまう。

 シグルドに抱き締められた力強い感触。肌を擽り、切なげな吐息と、濡れた低い音に擽られた鼓膜。

 あれがただの友達に向ける言葉か? 感情か? あんな……、独占欲と執着に塗れた行動。

 

「……っ」


 強引に言い寄られる、という経験は、うんざりする程に経験している。

 魔王の娘、魔石の所持者。シャルロットにとって男性から興味を持たれる事は、自慢でもなんでもなく、ただただうんざりする程に、望まぬ面倒な不幸だった。

 立場は違うが、シャルロットもシグルドも、そういう意味では異性に悩まされ、トラウマを植え付けられた者同士という事で、共感出来る部分があるのかもしれないが。

 

(だが、私ほどシグルド君は図太くないんだろうな……。女性相手に特別な感情を抱く事を……、彼は在りえない、と、無意識にかはわからないが、そう思っている。だから、私に対して友達友達と連呼するんだ)


 自惚れでも勘違いでもなく、シグルドの行動は誰が見ても、一人の女性に求愛する男の図だった。

 何故その行動の根本を無自覚でいられるのか不思議だったが、そういう事か……。

 自身の感情を認め、それに名をつける事さえ出来ぬほどに傷を負っているシグルドの心。

 その代わり、本能だけは従順にシャルロットを狙い、逃がさぬように彼を突き動かしている。

 ……まったく、困った天使だ。


(ああいうのを、無自覚溺愛執着系というんだろうなぁ……。前世で『彼女』がプレイしていた、R18禁乙女ゲームとか、TL小説にいそうなタイプだ。プレイする第三者的な視点で言えば面白~い!! ……で済むんだが)


 死ぬほど愛されたい。などという自殺願望はない。

 そう、ない、ない、ないのだ!! だから、今も身体にシグルドの熱が残っているとか、身体が名残惜しそうにあれこれとか、そんな事実はスルーだ!!

 

「ねぇ、シャルちゃ~ん」


「何だ?」


 自分の部屋に戻る廊下の途中、隣を歩いていたエリィが少し困った様子で口を開いた。


「さっきのはシグルドちゃんが悪いと思うけど……。シャルちゃん、――何を言ったのかしらねぇ?」


「うぐっ……、な、何も、何も言ってない!!」


「嘘おっしゃい!! シグルドちゃんが暴走しちゃうような爆弾を落としたんでしょう!! もう、駄目じゃないの~。……誰も巻き込みたくないからって、自分の事ばっかり考えちゃ」


「…………」


 声のトーンを落とし、咎める気配で指摘したエリィに、シャルロットの肩がぴくりと震える。

 いつも優しいエリィの気配がぞくりと冷えるようなものに変わったのを感じると、案の定……。


「あ、あの……っ、え、エリィ、ちゃんっ」


 見上げた先には、中身が誰かと入れ替わったとしか思えない、冷たい冷たい、ブリザート級のアメジストがシャルロットを見下ろしていた。


「守る前に傷つけてちゃ……、意味、ないだろう? なぁ?」


「は、はい……っ。ご、ご尤も、ですっ」


 出た~~~!! エリィの、時々、いや、滅多に見れない、逆鱗にちょい触れした時の素顔!!

 むにぃいいっ!! と、頬の肉を引っ張られ、綺麗だけれど怖い気配に溢れた顔を近づけられる。


「欲に塗れた屑共相手になら何を言っても、何をやってもいい。だがな……、今回は、シグルドは、違うだろう? 心からお前の事だけを想い、お前だけを見てる」


「……本人は、わかってない」


「自覚される前に逃げ出したい、か? ――それじゃ、前世のお前と同じで、臆病なままで終わるぞ」


「…………」


 エリィは知っている。シャルロットが別世界からの転生者で、どんな生活をしていたか……。

 生まれ変わる前の自分は、『彼女』は、仕事は趣味の為、自由に生きる、という気質の人だった。

 けれど、恋愛事にだけは臆病で、異性と精神的に近付く事があっても、自分から一歩を踏み出す事はなかなか出来ず……。恋人を作る事が出来たのか、結婚は? 子供は? と、記憶を探ってみても……、シャルロットが知る事が出来たのは、『彼女』の人生における断片的なカット(一部分)だけ。


「彼女と私では、抱えている事情が違う……」


「本当に、そう思うのか?」


 意味深なエリィの問いかけに頷くと、少し乱暴に頭を撫でられてしまった。


「困った子達ねぇ~」


「わ、私もなのかっ!?」


「そうよぉ~! シグルドちゃんも貴女も、すっごく残念な困ったちゃん! ほ~んと……、二人纏めてド突きたくなるくらいにな?」


「ひぃいいいいいいっ!!」


 オネェの中の雄を呼び起こすべからず!!

 エリィが本気で怒った時の恐ろしさを知っているシャルロットは、その腰にしがみついて「ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさぁあああい!!」と、情けなく謝罪を繰り返し、その怒りを鎮めようと奮闘する。エリィが自分を傷付ける事はないと知っているが、それ以外の方法でなら、――このオネェは手段を選ばず、自分とシグルドを阿鼻叫喚の目に遭わせる事だろう。あぁっ、恐ろしい!!


「だから、ね? 私の堪忍袋の緒が切れる前に、真剣に想ってくれる子にちゃんと向き合いましょうね?」


「は、はぃいいいいっ!!」


「ふふ、良い子ねぇ~。じゃあ、ご褒美にひとつ、アドバイスをしてあげるわ~」


「あ、アドバイ、ス……?」


「ええ。―― 一度全部忘れなさい。魔界の姫である事も、魔石の事も、前世の事も。頭で何を考えたって、一番正直なのは、自分の心なんだから」


 何もかも、忘れて……。シグルドが向けてくれる想いについて考え、自分自身が彼の事をどう思っているのかも。きちんとよく考えてみなさい、と、エリィに微笑まれ、シャルロットは仕方なく頷きを落とした。

 一人の、ただの自分として考える、か。

 そうする事によって得られるひとつの結果を、シャルロットもまた……、無意識に恐れている事に気づかない。


「頑張ってみるよ。……ごめんな? エリィちゃん。心配させてしまって」


 今はこう言って安心させるしか、場を切り抜ける方法がない。

 これ以上、エリィが心配しないように、恐ろしい実力行使に出ないように。

 ……だが、やはりエリィに対して嘘は通じないらしく。


「シャ~ル~、ちゃぁぁあああああん?」


「うっ」


「まったく、貴女って子は、――あら?」


「ん? どうし、――ひっ!!」


 私とエリィちゃんが辿ってきた道の向こうに見たもの。――それは。

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