第2話 日常


 僕の頭の中に感情が逆流してくる。

憎悪、嫉妬、侮蔑、苦悶、寂寞、絶望、憤怒 ……

忘れかけていた多くの自分が戻ってきてくれたことに胸が躍り、渇きが生まれる。

目的を果たす瞬間まで、この焦燥感が消えることはない。

「さあ、踊り狂おうぜ。ハイエナどもよ。」

眼前は滲み、世界は酔うほどにカラフルである。息は熱く、己の意思より先に身体が走り出す。

「もう後には戻れない、お互いにね。」覚悟を決めた顔で彼は僕の前に立ち塞がる。

 ……… 体育館の壁にへばりつく人々は恐怖し、出口を求めて彷徨っていた。

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 悪夢から醒め、目を開けると、カーテンの合間から指す光が、机の上にある目覚まし時計をちょうど照らしている。僕は重い瞼をこすり、ディスプレイの時刻を見る。デジタル時計は5:50を表示している。早く起きすぎてしまったことを少し後悔しながらも、久々に8チャンの占いを見たいという気持ちに押され、ベッドを抜け出す。

 寮の一階に降りると、気持ちのいい朝の静寂に包まれていた。まだ誰も起きていないようだったので、極力、音を立てないようにテレビを点ける。

「夜が明けたら、目覚めるのではない。目覚めたときに夜が明けるのだ。そう、、、今が夜明けだ。」

  ――― 寝ぼけている時に、いきなり何なんだ。。

 と、テレビから流れくる台詞に突っ込まずにはいられない。時間帯としてはドンピシャな言葉だが、頭が目覚めていない僕には刺激的な調べである。謎の番組が気になりつつも、お目当ての「ささくれ占い」を見る為に、チャンネルを8へと変更する。


 「ささくれ占い」とは、起きた時のささくれの数で、その日の運勢を占うという意味不明な占いだが、最近よく当たると評判であり、学校でも話題となっている。

 ちなみに今日の僕のささくれの本数は2本で、1~3本の間であったので、占い曰く、「今日は漫画のようなラッキースケベに遭遇できるチャンスが到来。好きな子の近くで、ずっと身を潜めるべし。ラッキーアイテムはコンタクトレンズ。」という結果だった。

  ――― ………。

 相変わらずコメントしずらい占いだと感心しつつ、カバンから昨日買ったペットボトルを取り出し、残りのお茶を飲み干す。

 僕は一旦、下らない占い結果を頭の片隅にしまい込み、学校へ行く支度を始めた。







 一ヶ月が経つと転校生ブームも落ち着いて、クラスには平穏が戻っていた。転校生はイケメンである反面、寡黙かつ近寄りがたい雰囲気を持っていてくれたおかげで、クラスの女子が大騒ぎし続けるには至らなかったようだ。

 大学受験まで三か月を切っているのも関係しているのだろう。その一方で、僕だけが未だに燃え尽き症候群を抜け出せず、1時間目の体育以外は、ただただ時間が経過していくのを待つように一日を過ごした。

 そして放課後になると、いつもの如く自習室で勉強するクラスメイトを横目に、僕は一階の下駄箱へと向かった。一階は三年の教室がある四階より穏やかな風が流れ、廊下では窓から入ってきた落ち葉たちが秋の終わりを告げていた。物寂しさに駆られながら、ふと顔を上げると、下駄箱前には今夏まで青春を共にしたマネージャーの飛香が携帯を見つめて立っていた。

 


 「あれ?珍しく早いな。」と僕が声をかけると、

 「穂高と一緒に帰ろうと思って、待っていたのよ。」と、飛香がぶりっこ口調と冗談っぽい笑みで返してくる。

 「ばかやろう。バスケ部のエースと付き合っている裏切り者が何を言ってんだ。」

 飛香はバスケ部の鎌と付き合っており、今秋の体育祭の部活対抗リレーでバスケ部を応援する姿が大勢に捉えられたために、テニス部から裏切り者認定を受けている。

 「何それ、ひどい(笑)。てか穂高も男なら奪いに来たら、どうなの?少しは考えてあげてもいいわよ。笑」

 僕は肩をすぼめ、彼女の発言に呆れ顔で応答する。

 「無益な闘いは好まないタイプでね。」

 「私の前くらいでは素直になっていいんだぞ。」

 彼女は好戦的な笑みを浮かべて、より一層、僕を試してくる。

 「んなこと言ってて大丈夫か。ばか言ってると本当に鎌に愛想つかされんぞ。」

 「そうね…でも仮にそうなったら、穂高が私のこと拾ってくれるんでしょ。」

 おどけたような顔をして、でも少し真面目なような顔で、彼女は下から僕の顔を覗き込んでくる。飛香の上目遣いは強力であり、この顔をされると大抵の男に勝ち目はない。

 「わかった、わかったから。」

 僕は参った顔をして、彼女から目をそらす。

 「ふ~ん。穂高から仕掛けてきた割には曖昧な返事をして、すぐ逃げるのね。張り合いがないわ。」

 彼女は不満そうな表情を見せ、「ホント歯応えがない男ね。」と悪態をつく。


 僕はその言葉に少しカチンときて、

 「ふっかけてきたのは飛香の方だろ。」と、小声で反論するも、

 「なに?言いたいことがあるなら、腹から声出しなさいよ。」

という強い口調の返り討ちにあってしまう。


 いま飛香を煽るのは危険であると判断した僕は、

 「なんでもねえって。コンビニ寄るか?って言いたかっただけだよ。」

という分かりやすい形で、話題をずらし、飛香の様子を窺う。

 飛香はその言葉の意図と僕の顔色を探りつつ、何かに納得したように頷きながら、

 「穂高がアイス奢ってくれるなら寄ってもいいよ!笑」

と、満面の笑みで答える。


 現金な奴だなと思いながらも、この笑顔に癒されている自分を隠すことができず、僕は再び降参した表情で飛香の提案を受け入れる。結局、今日一日を通してラッキースケベには出会えなかったが、占い以上に良い一日であり、自然と顔も綻んでいく。

 コンビニへと向かう上り坂の頂上からは、木枯が吹きおろしてきており、アイスを食べるには寒い日であったが、僕は飛香との温かい時間に包まれ、僕の頬は少し火照っていた。

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