第4話 三宅さんが取り出したケーキ
三宅さんが取り出したケーキは、スタンダードなイチゴのショートケーキだった。
8号程の大きさもあるワンホールの上に、等間隔で置かれたイチゴがいい塩梅に、色彩のコントラストを出していて目を引き付ける。およそ素人の作とも思えないから、箱に書かれている通り洋菓子店「Candy connor」で買ってきたものだろう。
そう思いたかったが、ケーキの脇には、横倒しにしたコーラ缶のような筒があった。一見すると、ただのスチール缶のようだが、その前面には今なお、刻一刻とカウントダウンを進めるタイマーが表示されており、筒の両端には、それぞれ紫色のコードと白色のコードがつながっていた。
ちくたくと言う音が一層大きく聞こえる。
「やっぱり、そういうことだよね。この紫色のコードと、白いコードのどっちかを切ると、爆弾が止まる。で、もしも間違えた方を切ったり、タイマーがゼロになったりしたら爆発する」
三宅さんが腕を組んだままそう言った。
筒に表示されている残り時間は、およそ五分。
ちょうど午前零時には、このC4爆弾は、問答無用で爆発する。その前に、紫か白かいずれかを選択して切り落とす必要があった。
「吉沢君」
吉沢先輩は、ケーキと共に姿を現した爆破タイマーを目の当たりにした瞬間から、両手で顔を覆ってふさぎ込んでしまっていた。そんな吉沢先輩を心配してか、三宅さんがそっと、吉沢先輩の肩に手を乗せた。
「三宅」
顔を上げる吉沢先輩。
三宅さんは、しばらく吉沢先輩と視線を交わすと持っていたニッパーを吉沢先輩の前に置いた。
「はい、これ」
「これは、なんだ」
「なんだって、またまた。ニッパーだよ」
「いや、それは分かるが」
ニッパー(工具)とは、主として配線コードを切断するための道具だ。
吉沢先輩は、隆起したのど仏を上下に移動させてつばを飲んだ。
「つまり、俺に配線を切れと」
三宅さんは、野に咲く花のごとく、只笑ってそこにいた。
こういうのは普通、公平に決めるもんじゃないのかとも思ったが、吉沢先輩は不平を漏らすどころか、得心したようにうなずいた。
「分かった。爆弾処理は俺がやろう。もともと、犯人は俺が控室に来たことをトリガーにしてタイマーを入れた可能性が高い。第一のターゲットが俺ならば、俺がやるのが定石だ。だが、二人とも知恵を貸してくれ。どちらの線を切ればいいと思う」
吉沢先輩の額にはびっしりと玉のような汗がにじんでいた。
自ら危険な役を買って出るなど、惚れ惚れするほど格好良かったが、恐怖をすべて克服できている訳もないのだろう。
それにしても。
紫色の線と白色の線。
どちらかがハズレでどちらかがアタリだとしても、爆弾のプロフェッショナルでもない俺にどちらを選ぶべきか分かるはずもない。
顎に手を当てて悩んでいると三宅さんがだしぬけに言った。
「私は、紫がいいともう」
「紫、なぜだ」
「吉沢君が言った通り、犯人が吉沢君をターゲットにしてる場合、相手は吉沢君のことを知ってるっていうことでしょう。きっと、吉沢君の好きなモノとかもよく把握していて、どっちを切るのか予想できてるんじゃないかな。だから、その裏をかいて紫をあたりにしてると思う」
「吉沢先輩の、好きなものですか?」
吉沢先輩が額の汗をぬぐいながらうなずいた。
「三宅、もしやこの二色の線がそれぞれあんことショートケーキを表しているなどと馬鹿なことを言うつもりではあるまいな。そして、和菓子と洋菓子どちらが好きかと言われたら無言で羊羹をかじるほどの和菓子好きである俺が、まさか紫色の配線を切るわけもない。犯人はここまで手に取るように分かっていて、故にこそ、白色の配線をセーフティーに設定していると」
ちくたく。刻一刻と死へのカウントダウンを続けるタイマーの音が聞こえた。
三宅さんの意見に苦々しい顔を浮かべる吉沢先輩は、決断しきれぬようで両手でニッパーを掴んで項垂れた。
三宅さんは言う。
「月島君は、どう思うの?」
「ど、どうでしょう。ええと、まあでも、三宅さんの言ってることも珍しく理に適ってますし、やっぱり紫色の線を切るんでいいんじゃないですかね」
「あ、珍しくっていうのは余計でしょ。いつもでしょ」
俺が、三宅さんの戯言を笑って受け流していると、吉沢先輩が、勢いよく顔を上げた。
「やはり、和菓子を切ることは、できない。紫はあんこの色だ。あんこは良子さんだ!」
倒錯したように吉沢先輩が叫んだ。
吉沢先輩は、常から少しずれていた。発言も発想も突拍子がなく、会話の最中に唐突なたとえを入れてきたりするから、話について行くのも苦労した。しかし、あんこは、良子さんだというのは、さすがに常軌を逸していた。ただ、それはおかしなことではない。
もしも、本当に目の前のショートケーキが爆発したら、次の瞬間には絶命するのだ。永遠の暗闇の中に落ちてゆく死を予感してなお、まともでいられるわけもない。
ちくたくと言う音が奏でるのは、死神の足音。背後より忍びよる死神に目を向けると、同時に過去が見える。これまで生きてきた軌跡が燦然と輝きを放ち、にわかに感情を高ぶらせるのだ。
「それにしても、俺の人生もここまでということか。何たること。良子さんに振られたままこの世を去るしかないとは」
吉沢先輩が遠い視線を向けて続けた。
「思い返せば後悔ばかりが胸を過る。死する瞬間の兵士は皆この悔恨を抱いているというのだろうか。だが、今まさに俺の胸を締め付け、ニッパーを握る手を滑らせる後悔とは、良子さんに振られたことではない。二度目のチャンスが永遠に暗闇の中へ抛られてしまうことについてだ。俺は確かに、一度良子さんに振られた。なぜか、今なら分かる。見えや見栄え、理由ばかり探して真っ直ぐな気持ちを告白できなかったからだ。和菓子と洋菓子にたとえて告白するなど言語道断だった。今ならば、奨励会でもがく棋士がプロを志向するのと同じひた向きさで自分自身の言葉を伝えられることだろう。相性の良し、悪しなど気合で乗り越えて見せる」
吉沢先輩が語る最中、ちくたくと鳴りやまないタイマーへ目を向けると、残り時間が見えた。およそ一分半。俺たちに残されたのは、ただそれだけの時間だった。
吉沢先輩は、時間いっぱいしゃべるつもりなのか、なおも続けた。
「だが、もしかしたら再びのチャンスなど初めからないのかもしれない。二度と良子さんは俺と口を利いてくれず、大学で顔を合わせても気まずく目を逸らされてしまうかもしれない。そうならば、いっそのこと、ここで可能性というあんこのように甘い夢を抱いて爆ぜた方が幸せなのかもしれない」
それにしても、全く時間のない中で、この人は何を急に演説まがいの独白を始めているのか。俺が手に汗を握って訝しんでいると、三宅さんと目が合った。
三宅さんは、肩をすくめて困ったように少し眉を寄せた。それから、一歩、二歩と吉沢先輩から遠ざかった。
「ああ、それでもやはり俺の気持ちは変わらない。来世で結ばれようなどと大層なことを言うつもりはない。俺は、今、君が好きなのだと心の底から言う。絶対に今世で結ばれる。故にこそ、ここで死することなく再び君に会いに行く。俺は、生きる。絶対に生き残る。生きて良子さんと添い遂げる!」
ぱちんと、吉沢先輩が白い線を切るのと店の電気が落ちるのは同時だった。
真っ暗闇になるとすべてが終わってしまったのではないかと錯覚する。痛みも音もなかったが、ここはすでに浮世ではなく、三途の川の中ではないかと。
無音なのが一層、不安を加速させた。
実際に電気が止まっていたのはものの十数秒だったろうが、ずいぶん長く感じた。
ファミレスの控室に再び光が灯る。
目の前には、驚き眼を見開く吉沢先輩と、ケーキ。
それから、吉沢先輩を取り囲むようにして私服姿のバイト仲間たちがいた。その中に店長の姿まで見つけ、俺は若干辟易とした。
バン、バン。
未だあっけにとられたままの吉沢先輩をよそに、一斉に爆発音がした。
少し火薬臭い。
バイト仲間たちが持っていたクラッカーを炸裂させたのだ。そして、彼らのうちの一人が音頭を取って、全員が口をそろえて言った。
『吉沢君、誕生日、おめでとう~』
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