第2話 吉沢先輩の霊圧がキッチンから消えた
吉沢先輩の霊圧がキッチンから消えてから十分程度は仕事がはかどった。
まな板の漂白よし、フライヤーの油交換よし、グリルの焦げ落としよし、洗い物よし、調味料の補充よし、とそこまで終えたところで、控室で休憩していた吉沢先輩から呼ばれた。
控室に顔を出すと、吉沢先輩がコンタクトでも落としたかのように床に手をついてあたりを見回していた。
「ええと、何してるんですか?」
「何って、ほら。聞こえないか、この音」
「音? いったい、何の」
吉沢先輩は立ち上がって、人差し指を鼻頭に付けた。
静かにしろということだろう。
大人しく口を閉ざして音に耳を澄ませると、吉沢先輩の指した「音」とやらが聞こえてきた。規則正しく一定の間隔で短いちくたくという音が鳴らされている。
「なんですか、この音。メトロノーム?」
「うん、俺も気になっているんだ。休憩に入った時からずっとこの音が聞こえていた。いっそ気づかないふりをしてやり過ごそうかとも思ったんだが、今日良子さんと見た映画でも同じような音を聞いてたから無視できなかった。一緒に探してくれないか?」
「まあ、確かに気になりますね、この音は」
幸いなことに、客足はぱたりと途絶えていて新規の注文は入っていなかった。少しくらい野暮用に手を出しても問題ないだろうと判断して、吉沢先輩の捜索に協力することにした。
俺は忘れ物などが置いてある控室の棚の戸をあけながら吉沢先輩に声を掛けた。
「そういえば、さっき映画で同じような音を聞いたって言ってましたよね、なんなんですか、それ?」
吉沢先輩は、控室から続く更衣室やロッカーの捜索に当たっていた。手を焼いているらしく、応えが返ってこない。
俺はその間にも棚の戸を一つ開けた。
ちくたくという奇妙な音が大きくなるのを感じた。
どうやら、あたりを引いたらしい。
棚の中には足の付いていない将棋盤ほどの大きさの箱が入っていた。
これを慎重に取り出し、控室中央にある机の上に置く。
俺が、ちくたくと音を鳴らす箱を開けようと手を掛けると、今さらながらに吉沢先輩が先ほどの問いに答えた。
「何って。もちろん、爆弾だ」
控室の軋むパイプ椅子に腰かけ、相向かいで座る俺と吉沢先輩の前には、一見すると何の変哲もない紙製の箱があった。箱のサイズは、足のない将棋盤ほどで、重量はバスケットボールほど。さして重くもない。気になる点があるとすれば唯一、箱の側面に「Candy connor」と見知った洋菓子店の商号が書かれていたことくらいだろう。
長らく沈黙を保っていた吉沢先輩が、突き出た喉ぼとけを上下に動かしつばを飲んだ。
「こ、これは、もしや」
そう言う間にも、ちくたくという奇妙な音は止まない。
「ええと、ケーキ、ですよね。たぶん」
「そんなはずはあるまい。なぜこんなところに洋菓子が転がっているんだ。俺が今日、良子さんとデートに言ったその日に、良子さんに振られたその日に、バイト先に羊羹の天敵ともいうべき、洋菓子の王様「ケーキ」があるなんて言うのは嫌がらせだよ」
それはずいぶんな言いがかりのような気がした。
「ええと、でもこれが爆弾だなんてそんなことはあり得ないと思いますけど。大体、何でこのファミレスに爆弾があるんですか。そっちの方がおかしいですよ。ああ、まさか、吉沢先輩、女の子に振られたから世をはかなんで自ら命を絶とうと」
俺がそう言うと、吉沢先輩は分かりやすく慌てた。
「待つんだ。違う、そうじゃない」
怪しい。逆に怪しい。
「まあ、とりあえず、箱開けてみますか? そうすれば、爆弾疑惑も晴れるでしょうし」
「待つんだ!」
吉沢先輩が、右手で顔を覆い、左手を俺へ向かって突き出して叫んだ。
その時だった。
待ってましたとばかりに、控室からキッチンへとつながる戸が勢いよく開かれた。何事かと思って目を向けると、そこには自信満々の笑みを浮かべて腕組みする三宅さんがいた。
「そうだよ、月島君。吉沢君の言う通り、不用意に開けるのは良くないと思うな。そんなことして、爆発でもしたらどうするの?」
「いや、爆発って、そんなことありえないですよ。というか、話聞いてたんですか」
「あまーい。ケーキじゃないんだから。ああうまいこと言っちゃったけど、気にしないで」
「いえ、全然うまくないですけど」
「それって、ケーキが好きじゃないってこと?」
「違いますよ!」
大方、上手いこと言うの「上手い」とケーキが美味いの「美味い」を掛けていったのだろうが、全然うまくない。すごく分かりにくいし。
というか。
そんなことよりも。
「いい、月島君。たとえばだけど、こんな箱でも自動爆弾に出来るんだよ。ほら、箱を開ける側面に、こう紐をつけておいて、紐の先はもちろん信管につないでおくの。そうするとどう? ふたを開けると同時に紐が引っ張られて、ズドン。この大きさの火薬だと、ううん開けた人の手はなくなっちゃうかもな」
三宅さんは緊張感なく、そう言うと「はははー」と笑った。
「でも、ほらこうやって顔を近づけると、甘いに匂いがしますよ。どう考えてもこれは」
箱に顔を近づけると、砂糖菓子特有の甘い匂いがした。これは間違いなくケーキだ。
そう確信した俺は再びケーキの箱に手を伸ばした。
しかし、三宅さんが俺の手首を掴んで止めた。
「ちょ、ちょっと待って」
そう言う三宅さんの顔に、普段のふざけた表情はうかがえない。三宅さんは、対局の重要な局面の最中、飲もうと思って伸ばしたペットボトルの中身が空だったことに気が付いた棋士のような様子で、上からそっとケーキの箱を窺った。
「まさか。こ、これは。この匂い、コンポジション4!」
「コンポ、え、何です? 4?」
「三宅、今何と。まさか、コンポジション4と、そう言ったのか」
それまでだんまりだった吉沢先輩がそう言うと、三宅がおずおずとうなずいた。
ちなみに、三宅さんが「吉沢君」と言い、吉沢先輩が「三宅」と呼ぶのは二人が同級生だからだ。
それにしても、いったいなんだと言うのか。
「コンポジション4は、通称C4と呼ばれる強力なプラスチック爆弾だ。ほら、毎年公開されている探偵アニメ映画でもよく出てくるだろう。ビルを爆発させたりとか」
コンポジション4の名称にはもちろん聞き覚えがなかったが、C4という名前はどこかで聞いたような気がしないでもない。
「というか、なんで甘い匂いで爆弾なんですか」
「知らないの? 以前、甘い匂いにひかれた自衛官20人がプラスチック爆弾を舐めて中毒症状を引き起こしたという事例があるくらいなんだよ。いい? C4は、甘いの」
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