ファイルフォー ちくたく
第1話 和菓子と洋菓子
「和菓子と洋菓子のどちらが好きかと聞かれたら、何も言わずに羊羹をかじるほど和菓子を愛している俺が、良子さんに振られたのは何ゆえか」
細長いコック帽の位置を治しながら憂いの表情を浮かべる吉沢隆文が、ちらりと窺うようにこちらを見た。その眼は、何らかの気の利いた言葉を期待しているようだった。
しかし、それほど仲が良いわけでもない傷心中の先輩に何というべきかついぞ思い浮かばず、シンクを洗う手を止めずに話していたことも相まってついうっかり口からするりと出てしまった。
「さあ、性格とかですかね」
言った瞬間に後悔。
スポンジを強く握るとシャボンが跳んだ。
俺は、宙に浮いたシャボンを目で追うふりをしつつ、横目でそっと吉沢先輩を見た。吉沢先輩は、真剣な様子で灼熱と化したグリルに向き合っていた。もしかしたら、俺の失言は耳に入っていないかもしれないと思ったが、その期待はあえなく潰えた。
「性格? それは相性という意味か? つまり、じゃんけんで言うところのグーや、パーみたいなものを言っているのか」
「ああいや、全然分かんないですけど、じゃんけん?」
なぜ。
というか、そう言うところが問題なんだろう。
吉沢先輩は、ハンバーグをひっくり返すのに重宝する長細いヘラでグリルチキンを突きつつ笑みを浮かべた。
「たとえばじゃんけんだが、別になんだっていい。赤でも、黄色でも緑でも、黒でも。鳥でも豚でも牛でも。和菓子でも洋菓子でも中華菓子でも。そうやって優劣をつけがたい差異を持った多くの物事は、しかし相性という糸で結ばれ束縛されているのも事実。どれほど、グーがパーを愛そうと、チョキがグーを憎もうと、勝敗の因果を結ぶ糸からは決して逃れられない。なぜか、相性があるからだ」
吉沢先輩が半ば暴走し始めたところで、キッチンのタイマーがけたたましい音を立ててなった。グリルチキン完成の合図だ。
吉沢先輩は、あらかじめ温めていたホットプレートの上にオニオンを敷き、そのわきにブロッコリー、ポテト、ニンジンを添えた。プレートの中央、オニオンの上に乗せるのは、グリルチキンだ。
「あ、グッドタイミング?」
ホットプレートの上で、食材たちがバチバチと音を立てながら芳醇な香りを充満させていると、すぐにホール担当の三宅さんが顔を出した。
「三宅さん、たまには吉沢先輩の相手してくださいよ。ちょっと、今日暴走気味ですし」
「うん、相手? それって、吉沢君が今日生まれて初めて告白したけど、フツーに振られたっていう話をもっと突っ込んで聞けってことかな。あはは、月島君てばひどーい」
「いや、違いますよ。そうじゃなくて」
「まあ、今日はしょうがないんじゃない。大目に見てあげなよ、暴走してても」
振り向くと吉沢先輩が壁に背を預けつつ、右手で顔を覆っていた。
「相性、相性とはいっても、俺は、洋菓子よりも和菓子の方が好きだ。良子さんは、和菓子屋の娘だ。相性はいいはずだろう」
いや、まあ。
「先輩と和菓子の相性がいいのは分かりますけど」
話はまだ続いているらしかった。
俺は次のシンクにスポンジを滑らせながら相槌を打った。
独断と偏見に満ちた他人の恋愛観や、悲壮に沈んだ不幸な失恋話ほど興味の食指を刺激されないものはない。そんな話を聞いているくらいなら、タイマーを使わずにどれほど上手にハンバーグを焼けるのかということに注力していた方がまだましだった。
要するに、吉沢先輩は今日の深夜バイトの数時間前、勢いだけで誘ったデートの末に、件の思い人に愛を告白したが振られたと言うだけのことだ。
時刻は午前零時を回ろうとしていた。
「ちなみになんですけど、吉沢先輩とその良子さんって人は、今日どこに行ってきたんですか?」
「どこに。もちろん、一般的なデートスポットだ。映画と、そしてかねてより良子さんが行きたいと言っていた大学の近くにオープンしたカフェテラスだ。まずはカフェテラスに集合して、そこで一時間程度、茶を濁したよ。ああうまいことを言ってしまったが、良子さんも俺も楽しく会話をしていたよ」
吉沢先輩は、カフェで良子さんと向かいっていた時のことを思い出したのか、ぼうっと虚空を見つめてにへらとだらしくなく笑った。
だが、うまいことは言っていないと明言しておかなければならない。
というか、茶を濁すの使い方、間違ってるから。
「はあ、そうなんですか。でも、あんまり想像できないですね、吉沢先輩て女の子とどんな話するんですか?」
「妙なことを聞く。もちろん、一般的なレヴェルの会話だ。と言っても、会話とはそもそも相手に応じて千差万別変える必要がある。どの話題を選べば相手が良く反応してくれるのか、というのは相手によって異なる。これは議論待つまい。まあつまり、俺が良子さんと何を話したかなぞ分かり切ったことだろう。もちろん、和菓子の話題だ」
「ほんとにそればっかりですね」
「和菓子は好きだ。良子さんも好きだ。だが、振られた。何ゆえか、それが問題だ」
和菓子、和菓子とそれだけしか頭にないからではないだろうかと思ったが、言わずに置いた。
「時にどうだろう、明日大学で良子さんに会ったときに挨拶をしてもいいものだろうか。告白をして振られたのちに、二度目のチャンスとはあるものだろうか」
「そうですね、普通は――」
と言いながら、俺は自分の恋愛経験が吉沢先輩を鼻で笑うことなど到底できないほどお粗末であることに今さらながら気が付いた。
高校三年間は帰宅部のエースとしてバイトに青春をささげ、大学に入ってからもこうして日夜ハンバーグを焼くことに精を出していては、彼女どころかサークルにすら入る余裕はない。
告白をして振られた翌日にばったり相手と遭遇してしまったとき、どうするのが普通の応対であるのか。
少し想像してみる。
大学構内を歩いていると、目の前から歩いてくる彼女の姿を視界にとらえた。内心でドキッとしながら、知らぬ振りをして目を逸らす。そして、声の届く距離まで近づいたところで偶然を装い片手をあげ「や、やあ今帰り? お、俺はこれから授業なんだ。じゃあ、また今度!」とかいうのだろうか。なんだこれ、違和感の塊だ。気持ち悪い。鳥肌が立ってきた。
「うむ。どうした、何だか顔色が悪いようだが」
「いえ、何でもないです。バイト減らそうかな。まあでも、そうですね、普通に軽く会釈でもしとけばいいんじゃないですかね」
吉沢先輩は、つるりと顎を撫でた。
「なるほど、なるほど。では、二の手はどうする。そこからどう攻めるのが定石か。棒銀か、居飛車か、矢倉か。まさか穴熊ではあるまいな」
なぜいきなり将棋に例えるか。
そう言うところが問題なのではないだろうか。
「次、あるんですかね」
俺はぽつりと言ってしまった。
さすがにこれは不味いと思って吉沢先輩を顧みると、今度は見るからに意気消沈した様子で、グリルを削るためのバールのようなごつい金属の棒を持って肩を落としていた。
かける言葉を探したが、無責任なことを言って吉沢先輩を焚きつける勇気はなかった。
救いを求めて周囲に視線を漂わせると、タイミングよくこちらを見ていた三宅さんと視線が合った。三宅さんは、にやにやしながら、時計を指さした。
俺は時計を見ながら言った。
「ええと、その、お先に休憩どうぞ」
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