第4話 高崎芽衣、三十三歳独身の行員

 高崎芽衣、三十三歳独身の行員。この近くのマンションに一人暮らしをしており、今もそこではペットの玉五郎が彼女の帰りを待っているのだということを、彼女は聞いてもいないのに言った。


 そののち、今日は二年連れ添った彼氏とデートであり、予定ではディナーを済ませてから高崎の部屋にて甘い夜を過ごすはずだったのだということを語った。しかし、その予定は根底からくるってしまった。


「別れるって、言われたのようう」

 高崎は泣いた。


 俺は掛ける言葉もなく茫然と窓の外を見ていた。すでに時刻は一時に迫ろうとしている。郊外にあるために、あたりを走る車さえ見かけなかった。


 高崎は、その元カレと結婚を考えていたのだという。今年で三十四になる高崎は、将来的に結婚し子供を産み過程に入ることを望んでいたらしいのだ。そこにつけて、元カレは、高収入のイケメンであり実に優良物件であったという話であった。

 しかし、その元カレは、高崎に厳しい現実を突きつけた。


「別れるって、そう言うのようう」

 それはもう聞いた。


 高崎はもう一度大きな声で鳴き叫んだ。

 俺はなおもかける言葉を見つけられずに、ため息をついた。

 将来の計画が今日一日ですべてご破算になってしまった高崎は、現実と自分と元カレと職場とマンションと何もかもすべてに絶望しきって死ぬことを決意したのだという事だった。


 よし、今日の十二時にマンションの屋上から飛び降りてやろう、と強い決意をした高崎は、最後の晩餐として近所のファミレスを訪れ、そこで少しばかりアルコールを愉しむことにしたらしい。


 しかし、酒を飲むと感情が高ぶってしまい、そうしているうちに飲酒に歯止めが利かなくなって気が付けば泥酔状態に陥り、泣いて喚いて叫ぶしかなかったそうだ。

 俺はここまで話を聞いてようやく、感想を述べることが出来た。

「そうなんですか」

 以上だった。

 それ以外の気の利いたコメントはとんと思いつかず、あ今通った車アウディじゃね? こんなとこにも金持ちがいるんだなあ、と思っていた。


「あの、すみません。ちょっと席を外しますね。お水おいて置くんで、よかったら飲んでいてください。すぐ戻るので、すみません」

 そう言って俺は席をたち、厨房へと入っていった。


 三宅は、シンクに水を張ってまな板を漂泊していた。キッチンの締め作業は順調に進んでいるようだった。本来その仕事は俺のすべきことであるから、礼を言うべきなのかもしれないが、複雑な心境だった。


「あの、三宅さん」

「ああ、月島君。どうしたの?」

「どうしたのじゃありませんよ!」

「まあまあ、ごめんなさいって。助かったって思ってるからさ、うん。笑って許して」

 三宅さんは、からからと笑った。


「それで、どうにかなりそうなの?」

「さあ、知りませんよ。けど、死のうとしていた理由はだいたいわかりました。世の中に絶望した何て言ってましたけど、要するに痴情のもつれってやつですかね。男に振られたんですよ。その腹いせに暴れていると言ったところでしょうかね」

「あらまー、月島君て随分ざっくり話すのね」

「どう言う意味ですか?」

 三宅さんは首を振って、笑った。


「けど、それなら解決方法があるんじゃない? ねえ、そうでしょう」

 俺は考えた。

 傷心の女性を慰める方法と言えば、話を聞いて同意する、酒に付き合う、適当な言葉で励ます、などであろうか。

 しかし、三宅さんは首を振った。


「違くて。月島君が新しい彼氏になればいいんじゃないの?」

「いやですよ。何言ってるんですか。まだ三宅さんと付き合ったほうがましです」

「それ、どう言う意味?」

「いえ、今のは失言でしたね」


 兎も角も、三宅さんは二度と高崎の前に立つことはないと断言した。自分は一切この件に関わらないから、あとは俺が解決せよという事だった。三宅さんは、文句は受け付けないと言い、俺に解決できないのならば警察を呼んで対処するまでだと冷酷なことを言った。

 血も涙もないのか。


「だってえ。汚いのと虫はだめなの」

「ああ、はい」


 正直な気持ちとして、警察を呼んで解決してもらうということでもよかった。迷惑防止条例違反などとして、連行され、彼女は社会的な制裁を受けて反省することになるだろう。それは、法秩序の域届いた日本国において正しい問題解決の在り方だ。

 とか何とか思わなくもない。


「まあ、いいですよ。も少し、説得にあたってみます」

 厨房から出て行く俺を、三宅さんは手を振って見送った。

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