第3話 今回の事件「消えたアタッシュケース」

「まずは、今回の事件「消えたアタッシュケース」を整理しておきましょう。おっと、その前に自己紹介がまだでしたね。皆さんご存知かと思いますが、私は私立探偵をしている銀代長十郎です。ブレンドコーヒーの調合に目がない、しがない探偵ですが、何度か警察の抱える事件にアドヴァイスしたことがありましてね。新聞に取り上げられたこともあります。今日は、ここに居る友人の伊丹と会う約束をしていたのですがね、少し遅くなって到着したというわけです」


 誰に頼まれたわけでもないのに勝手に自己紹介を始めた自称探偵の銀代は、そう言い終えると横目で、自分の隣に座る若い女を見た。順番に自己紹介をしろということか。


 ここで、俺は改めて若い女の姿を堂々と見る機会を得たわけだが、そうしてみると、想像していたのとは別ベクトルに変な女だった。


 先ほどの、宮部らとの悪口雑言合戦が印象的過ぎたから、きっと派手な服を着た遊びなれた女なのではと独断と偏見から考えていたがそれはあまりに浅慮だった。

 若い女は、黒髪ボブカットの下に黒ぶちの眼鏡を覗かせており、眼鏡のレンズの奥に輝くのは少し目じりの上がった三白眼だ。気の強そうな印象はおそらく、この眼光に象徴されているのだろう。しかし、肌の露出を嫌っているのか、長袖長ズボンのうえ、首にネックウォーマーまで巻く徹底ぶり。ちょっと残念。


 銀代が自己紹介をせかす様に若い女に笑いかけると、彼女はテーブルの上のコーヒーカップに視線を落として、重たい口を開いた。


「わ、ワタシ。ワタシは、間島なつき。ただの、だ、大学生。バイトが終わったから夜ご飯を食べに来ただけよ。何も、何もしてないんだから」

「ふん、どうだか。怪しいもんだな」


 宮部の嫌味に、間島なつきは鋭い三白眼を向けたが歯に衣着せぬ罵詈讒謗は口にしなかった。銀代が来てからというもの、借りてきた猫のようにしゅんとしている。

 間島が自己紹介を終えると、自然な流れで彼女の差し向かいに座るいかつい男が口を開いた。


「次は俺だな。俺は、伊丹はじめだ。銀代が言った通り、二人で飯を食うためにこのファミレスで、銀代を待ってただけだ。そこのおっさんのアタッシュケースなんて知らねえよ」


 伊丹に続いて、宮部が自己紹介をしたが、彼の情報は既出だったので、話半分に聞き流しながら、手元のコーヒーを啜った。

 宮部が汗を振りまきながら口を閉ざし、ようやく全員の自己紹介が終わった。


 ついに銀代が本題を切り出すかと思いきや、一同の視線が俺に集まった。

 なんだよ。

 銀代が、俺に向かって笑みを浮かべながら意味深長に頷いた。

 いやになるな、全く。


「はあ。俺は、月島です。このファミレスで、キッチンのアルバイトをしてます」

「ふん、どうだか。怪しいもんだな」


 宮部はそう言って、頭を掻いた。相当に疑心暗鬼に陥っているようだ。

 俺に続いて、傍らの中林が口を開いた。


「はい、私は中林って言います。このファミレスのホール担当です。よろしくです」

 中林の自己紹介が終わると、改めて銀代が「さて」と言って手を叩いた。


「自己紹介も済んだところで、今回の事件「消えたアタッシュケース」のあらましを整理しましょうか。まず、この事件にて行われたのは、宮部アタッシュケースの窃盗です。おそらく、宮部が自席を立ってトイレに行き、再び自席へ戻るまでのわずかな時間に行われたのでしょう。宮部、正確に何時にトイレに行ったのか覚えていますか?」


「まあ、帰ろうと思って時計を見て、そのあとすぐにトイレに行ったから大体の時間は分かってる。確か、二十三時四十五分ごろだったと思う」

「なるほど。ちなみに、トイレは大きい方、小さい方?」

「ち、小さい方だ」

 宮部が顔を赤らめていった。

 俺は、何となくいたたたまれない気持ちになって宮部から視線をそらした。

間島なつきが一言「きも」とつぶやいた。


「となると、自席を立ってから、五分と経たずに宮部はトイレから自席へ戻ったということになる。つまり、犯行時間は、二十三時四十五分から五十分の間、五分前後です」

 そう言うと、銀代は、右腕を正面に突き出し、左手で頭のチューリップハットを抑えた。


「それでは次に、犯行時刻となった二十三時四十五分から五十分までの間、諸君ら何をしていたのか、ひとりずつ教えてもいましょう」


 まずは、間島なつき。

「そのおじさんが、騒ぎ始める直前てこと? それなら、友達とアプリで電話してたけど。ほら、見て。アプリに通話の開始時間と、通話時間が書いてるでしょ」

 間島なつきのスマートフォンを見ると、彼女が言った通り犯行時刻の直前である二十三時四十分から、十五分間誰かと通話していたことがわかった。


 次、伊丹はじめ。

「俺のアリバイも聞くってか。ふん、相変わらず徹底してるな、銀代。俺は、特に何もしてねえな。強いて言えば、ハンバーグを食ってスマホを弄ってたぐらいだが。だがよ、そもそも、俺とこの女は、席が離れてたとはいえ、二人ともおっさんの席を見られる場所に座ってたんだぞ。どっちかが席を立っておっさんの席に近づいて行って何かしてたら、気が付くんじゃないのか?」


 伊丹の言う通り、三人の席関係は、互いを監視できるようになっていた。

二人のうちどちらにせよ、宮部が席を立ったのを確認して、アタッシュケースを盗みに行けばその姿がもう一方に見つかることは間違いない。


「なるほど、その通りです。宮部、アタッシュケースをどこに置いていたのか、覚えていますか?」

「ど、どこって。そりゃ、自分の隣の席だ」

「隣の席、というと。二人掛けソファの一方に宮部が座り、その隣にアタッシュケースがあったということですね」

 宮部が頷いた。


 宮部が事件当時、座っていた席は壁際のボックス席だった。間島、伊丹はそれぞれ二つほど離れたテーブル席に就いており、三人の位置関係は、宮部の座っていた窓際のボックス席を頂点とした三角形の構造になっていた。そして、間島、伊丹両人の席からは、アタッシュケースが置かれていたという宮部の席のみならず、互いの姿が確認できた。


 二人が、よほど何かに集中していたか、相手のことを意識的に無視でもしていない限り、互いに見つからずにアタッシュケースを盗むことは不可能だろう。


「ふむ。しかし、そうなると宮部アタッシュケースは忽然と消えたということになる。手品のように、パッと。そんなことはあり得ないんだ。ここに何か重大な事実が隠されているような気がする。少なくとも私はそう考えるね。さて、それでは続けようか」


 今度は、俺にお鉢が回ってきた。

「俺は、週に一度の厨房の床掃除をしていました。掃除を始めたのは、二十三時半ごろだったと思います」

「確かかね?」

「ええ。中林が片づけてきた皿を洗浄機に入れてからモップを取りに行きました。確認してもらえれば分かりますが、掃除用具入れの前に腰くらいの高さのサイドテーブルがあって、その上にデジタル時計があるんです。それとなく、その時に時間は確認してますから、掃除を始めた時間にほとんど間違いはありませんね」

「ふむ、まあ。そういうことにしておこうか」

 いちいち神経を逆なでする言い方だったが、一同からそれ以上の言及はなかった。


 アリバイ聴取の順番が、中林に移る。

「え、私ですか? 私は、ほら、店の外に出て看板片づけたりとか、あとゴミ捨てとかしてましたけど。ね、月島君」

 いや、知らんが。

 俺は曖昧に頷いた。


 ここまで、犯行時刻における全員のアリバイを洗い出したが、これと言って成果はなかった。それは、当然と言えば当然だ。


 仮に、この中に犯人がいなかったと仮定すれば、全員に反抗が不可能であった、誰も犯行を行っていないという結論に至るのは必定でそこに矛盾はない。


 逆に、この中に犯人がいるとすると、犯人は自らの犯行を簡単に認めるわけがないのだから、それらしいアリバイを並べて自分に犯行は不可能だったと言い張るのだ。

 どのみち、こんなアリバイ聴取に意味はない。


「ふーむ」銀代が腕を組んで、着流しの袖に腕を入れた。袖のうちに隠していたらしい、キセルを取り出すと徐に火をつけた。


「あ、灰皿持ってきますね」

「どうも。気が利きますね、ウェイトレス」

 中林は小走りで厨房の方へ向かって行った。


 のんきに煙を潜らせていることもさることながら、注文さえ受け付けていない客未満の自称探偵が禁煙席で煙草を吸っていて少しイラっとした。


 間島がわざとらしく「げほ」と言って、暗に銀代を非難しているのを内心で応援していると、銀代が言った。


「マスター、このキセルが気になりますか?」

「いえ、特には」

「遠慮せずに。私とあなたの仲でしょう」

 今日たまたま会った他人同士の仲だが。

 銀代は好き勝手に続けた。

「このキセルは、以前私が対決した埼玉の秘境に住む怪人百面相を打倒したときに百面相のコレクションから頂戴したものなんだ」

「それはくすねたっていうんじゃ」

「マスター、まだ若いね君は」


 銀代の武勇伝は埼玉のというあたりからしてすでにうさん臭さが漂っていて信じるに値しない気がした。あのキセルもどこぞの骨とう品屋で廉価で手に入れたというのが大方のところだろう。

 暇つぶしの与太話にしたってもう少し、と思っていると間島が勢いよく立ち上がった。


「その話、ほんと?」

 今の話のどこに興味をひかれる点があったのか、思いのほか間島の食いつきはよかった。

 銀代はしたり顔でうなずいて煙を吐いた。


「もちろんです」

 間島は、続いてさらに追及しようと口を開いたが、その前に、中林がどてどてとした足取りでようやく戻ってきた。


 全員が集結し、話は再開された。


 その直後、ふと思い出した。

「あの、一ついいですか」

「何かね、マスター。この店のコーヒーのブレンドについての相談なら乗るが」

 俺は銀代を無視して続ける。


「思い出したんですけど、このファミレスには、出入り口に防犯カメラが設置されてます。それを見れば、人の出入りがあったのかどうか、アタッシュケースが持ち出されたのかどうか分かると思うんですが」

「それだ!」

 宮部が指を鳴らした。

「そーゆーのがあるなら、もっとはやくいってよね」

「うむ。ナイスだ、マスター。それでは、皆でその防犯カメラの映像をチェックしに行こう」


 チェックしに行こう、と銀代は言ったものの、当然に得体の知れない部外者を店の控室に入れるわけにはいかなかった。そのため、俺が一人で控室へ行き、そこの端末に映し出した防犯カメラの映像をスマホで録画してくるということで落ち着いた。


 俺は、すぐに控室へ戻って端末を操作し、二十三時半ごろから、午前零時までの三十分間の映像を早送りで再生し、それを手元のスマホで録画した。録画しながら、防犯カメラで撮影された店の表出入り口と裏口の映像を見ていたが、不審な人物の出入りは全くなかった。もちろん、アタッシュケースがひとりでに外へ出ていくようなトンデモシーンが写り込んでいるということもない。


 防犯カメラに写っていた映像と言えば、せいぜい中林が店の外に置いている看板を片づける手を止めてボケっと星を見上げている様子か、店の裏手に回ってごみを捨てつつ、頬を膨らませるポーズを決めている姿くらいなものだった。

 銀代たちのところへ戻って、防犯カメラの映像を見せたが、全員眉を顰めるばかりだった。


「おかしな映像だ」

 宮部が言った。


「何がおかしいんだよ、おっさん」

「見ろ、ウェイトレスのお嬢ちゃん以外、誰も写ってやしないじゃないか。お前、私のアタッシュケースをどこへやったんだ!」

「だから、ワタシじゃないって言ってんでしょ。何なの、このおっさん。超キモイ」

 再び戦争勃発の機運高まる中、爆弾が炸裂する前に、銀代が手を叩いた。


「皆さん、落ち着いて。言い争っている場合ではないでしょう。マスター。この映像から、分かることがあると思いますが、いかがかな」

 いかがかなって。

「まあ、確かに分かることはありますけど」


 銀代は満足げににこりと笑うと、手のひらを上向けて俺に差し出した。

 話の続きを促しているようだ。銀代の指示に律儀に従う必要もなかったが仕方なく続きを口にする。


「この映像に移っているのは見ての通り中林だけです。中林が、一応仕事をしてるっていうのが確認できるだけです」

「もう、一応ってなんですか、月島君。もう、ぷんぷん」

 中林は無視して続ける。


「逆に言えば、アタッシュケースが持ち出されたり、誰かが出ていった様子は写っていないということになります」

「そんなことは見ればわかる。コック、お前、何が言いたい」

「だから、アタッシュケースはまだ店の中にある可能性が高いと言っているんですよ」

「え?」

 宮部がすっとんきょな声を上げた。


「いいですか、私たちは誰がアタッシュケースを持ち出せたかということばかり話して、アタッシュケースが今どこにあるのかということを考えていませんでした。ですが、防犯カメラの映像通りに、アタッシュケースが何物にも持ち出されていないのだとしたら、当然にこの店の中にまだあるということになります」


「しかし、私の席の隣にはないぞ?」

「あなたの隣の席になくとも、どこかに隠されているという可能性はあります。アタッシュケースの中身が何なのか、存じませんが、まずはアタッシュケースを探した方がいいんじゃないですか?」


 ここで、それまでにやにやしながら成り行きを見守っていた銀代が手を叩いた。


「ブラボー、ブラボーだマスター。実に素晴らしい提案だ。君にはよく、現実が見えています。その通りだと私も思う。マスター、いや、みんな。我々が今なすべきことは、アタッシュケースを一刻も早く見つけ出し、宮部の心を落ち着かせることです。違うかね?」

 どことなく違うような気もしたが、銀代に反対を表明して反旗を翻すものはいなかった。


 かくして、従業員二人、客三人と自称探偵一人によるアタッシュケース捜索が始まったわけだが、きっとこんなことに協力する理由を持った人間は誰もいなかった。


 それでも、女子大生間島まで腰をかがめて椅子の下を覗いていた。存外彼女は、悪い子ではないのかもしれないと俺は思った。

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