第2話 そもそも
そもそも、というとまるで今日のサパーで珍妙な事態が起こることを前もって予測していたようなことになるが、もちろんそんなことはない。ないのだが、あえて、そもそも今日のサパーに当初から不安を覚えていた理由を説明しておくと、今日のサパーのホール担当が、三宅さんではなく中林だったからだ。
常ならば、ホールのサパーは三宅さんかあるいはベテランのパートのおばちゃんであるのだが、今日は急遽三宅さんが法事のために欠勤することになり、ピンチヒッターとして白羽の矢が立ったのが中林だったのだ。
中林というのは、遠目からでは性別が判断できないうえ、まるで寸胴の着ぐるみでも着ているかのような、背の低いぽっちゃり系の女だった。これでは単なる悪口のようだが、そうではない。中林は良い奴だぞ、うん。
兎も角も、今日のホールサパー担当が三宅さんでないということについての不安は、早々のうちに現実化されていた。今まさに、俺の目の前で。
「それで」誰も切り出さないので仕方なく、俺が口を開いた。
道路側に面した六人掛けのボックス席には、小太りの男、その隣にいかつい男、その正面に若い女が座っていた。俺と中林は、ボックス席の前に立って三人を見下ろしていた。
「それで、いったい何があったんですか?」
「……」
俺に問いに応える者はいなかった。
いつ爆発してもおかしくないというか、いつ暴力沙汰になってもおかしくない様相を呈して口論していた三人をどうにかなだめつけた俺は、兎も角も三人をボックス席に通した。
もちろんこと、この行動には警察を介さずに問題を解決することが、全員にとって最良だと判断したためで、いわば思いやりの発露ゆえの行為なのだが。
この場に集った一同のうち、誰一人として友好的でなく、問題解決へ向けた協力は見込めそうになかった。
このままではらちが明かない。
しかし、なにも現状を説明できるのは彼ら三人だけではなかった。ホール担当として仕事をしていた中林もある程度の事情を察していることだろう。
そう思って、傍らの中林へ顔を向けた。
「何やってるんだ、中林」
中林は、相変わらず右頬を膨らませて指でつつくというポーズを決めていた。ガラス窓に写る自分を見てはポーズのチェックをしている。
「中林?」
「なんですか、月島君」
こともなく言う中林にまずは嘆息。
しかし、中林は可愛らしく(たぶん)小首をかしげただけだった。
「とりあえず、中林から今の状況を説明してもらっていい?」
「はい、いいですけど?」
なんで疑問形なのかという俺の突っ込みを待たずに中林は話し始めた。
中林曰く。
小太りの男こと会社員係長で33歳独身の宮部が、注文したハンバーグを食べ終えたのち、店を出る前に手洗いに行って、自席へ戻ってくると、自席に置きっぱなしにしていたアタッシュケースが跡形もなく消えていたのだという。
自席を丹念に調べ上げた宮部だったが、ついぞアタッシュケースを発見すること叶わず、これは置き引きに類する犯罪にあったのではないか、とひらめきの電球を灯した宮部は、すぐに自分以外の客へと目を向けた。
宮部が、トイレに行くまでに入店していたのは、ここに居る若い女といかつい男の二人のみで、宮部がトイレから戻ってきてまだ店にいたのも同じく彼ら二人だけだった。
そこで宮部はこの二人が怪しいと目星をつけて、二人のうち特に責めやすそうな若い女をターゲッティングしてアタッシュケースを盗んでいまいかと嫌疑をかけたのだという。
ここで、若い女が口を挟む。
「ちょっと待って。さっきから何わけわかんないこと言ってるわけ? ワタシが何したっての。アタッシュケース? 何それ? ワタシ何も取ってないし。つーかきもいんですけど」
「なにをう。俺のどこがきもい、言ってみろ!」
「はあ、ほんとにうざい」
身を乗り出して若い女へ迫っていた宮部の顔がやかんのように真っ赤になった。
湯気が出るのが先か、怒号が飛ぶのが先かと思っていると、いかつい男が腕組みを解いて机をたたいた。
「ふざけんな! いい加減にしやがれよてめえら。こんなことに俺を巻き込みやがって」
「ふん、なに切れてんのよ。だいたい何か盗まれたっていうなら、ワタシよりもあんたの方がずっと怪しいじゃない」
「んだと、このクソアマ」
「私を無視するんじゃない、お前たち!」
全く関係ないながらも、事態の解決を試みようとしていた俺の画策は早くも崩れ去り、三人は罵詈雑言、泥沼の罵り合いを再開してしまった。もはやこれまでか。警察を呼べば帰宅時刻は嫌が応にも遅くなるから、その選択の優先順位を下げていたが、致し方ない。
暴力沙汰の刃傷沙汰になってこのファミレスが地元新聞に掲載されるくらいなら、未然に国家権力に頼るべきだろう。
俺は、そっと傍らの中林に目配せした。
俺がこの場で彼らを見張っているから、そのうちに携帯で店長と警察に連絡を。
しかし。
中林は俺の視線に気が付いて、目を合わせると無駄に白いほほを染めて瞬きした。
これは、何も伝わっていないな。
「はあ」思わず、息が漏れた。
ここに居るのが三宅さんだったらと思ってやまない。
確かに、三宅さんがこの場にいたところで、面倒な事態はすべて俺に丸投げすること請け合いだ。
しかし、そうはいっても。
三宅さんとなら、言葉を使わずとも何となく意思疎通することは出来たし、三宅さんならば俺にこの場を任せたうえで、自分は通常の閉店作業を進めてくれていることだろう。
この場に、キッチン担当とホール担当がそろい踏みという状況は、一歩も閉店作業が進まないということを意味している。面倒ごとが起きようとも定時に帰ることを決してあきらめるつもりのない俺としては、ひとりが厄介ごとの片づけを担当し、もうひとりが閉店作業を粛々と進めるという役割分担こそ正義だと思うのだ。
まあ、しかし。
「中林だからなあ」
そう言った瞬間に、目の前の中林の表情が硬直した。
「ちょっと、月島君。なんですかいきなり。よくわかりませんが、すっごく失礼なこと、考えてません? 怒っちゃいますよ。もう、ぷんぷん」
体を揺らしながら非難する中林は迫力満点だったが、それ以上に「ぷんぷん」などと言って俺の神経は逆なでされた。
思わず、だ。
思わず口から「ああ、三宅さんだったらなあ」と言ってしまった。
言った瞬間にやってしまったと思った。
中林はこれで怒らせると後を引いて面倒くさかったから、今日まで多少中林の言動に青筋立てることがあっても奥歯をかみしめて耐えてきたのだが、本当につい言ってしまった。
どんな雷が落ちることかと、にわかにガードを固めていたが、中林は沈黙したままだった。
「おや?」
感情が高ぶりすぎて怒ることさえ出来ないのかと、一瞬思ったが、中林は、相変わらずほっぺたを膨らませる可愛い子がやったら胸がきゅんとするポーズを鏡に向かって決めていた。
俺の失言は聞こえていなかったらしい。
ほっと胸をなでおろす。
中林花代は、俺に遅れること三か月、今年の三月からこのファミレスで働き始めた俺の後輩だった。しかし、後輩と言っても中林は今年で大学二年になるため、年齢的には俺の一年上ということになる。
それでも仕事上は、一応後輩であったから、中林は俺のことを「月島君」と呼んで敬語で話し、俺は何となく雰囲気で一つ年上の後輩の中林にため口を利いていた。俺と中林の少し変わった関係に思うところのある人間もいるやもしれないが、現状として、俺と中林の間の先輩・後輩関係は特に問題なく片付いているからいいのだ。
問題は、中林と三宅さんの関係だ。
まだ新人と言って差し支えないレベルの中林は、どういうわけがあってか、ホールのベテランである三宅さんを何かにつけてライバル視していた。
二人の共通点など同じく大学二年生であるということくらいのはず。
しかも、体重、容姿から仕事の手際に至るすべてにおいて、二人は比べるべくもなく決着がついているにも拘らず、中林は三宅さんを好敵手と位置づけ、三宅さんもまた中林を面白い後輩として野放しにしていた。
つまり、中林に対して二人を比べるような発言をするのは慎まなければならないのだ。
特に今日は、急遽法事が入ったためにバイトに来られなくなった三宅さんの代わりとして、俺が中林にヘルプを打診した手前、やはり三宅さんの方が良いというような類の発言は中林の逆鱗に触れること請け合いなのだ。
今日は運よく聞き洩らしていたらしいが。
しかし、状況は依然として桶狭間で今川義元を迎え撃とうという織田勢に引けを取らず最悪と言って過言ではない。
目の前にはいまだ、誰が一番うまい悪口を言えるのか競い合っているような三人組がつばを飛ばし合っている。傍らの中林はほとんどボケっとしているのが仕事という風に突っ立っているだけ。
かくして、このファミレスを包み込む不穏な空気は一層重たく垂れこめ始めた。
と、その時。
店のドアが開くとともに来店を告げるベルが店内に鳴り響いた。
「中林、頼む」
「はーい」
中林は、軽い口調で返事をすると、店の中に入ってきた客へと向かっていた。
すでに時刻は午前零時すぎ。ラストオーダーの時間も終了しており、何より今は新たな客に割けるリソースは皆無だった。
というか、少し前、中林にクローズの看板を掲げるように言っていたはずだが。
そう思っている間に、俺の目の前に一人のいかにも怪しい風体の男が現れた。
よれよれのチューリップハットに黒ぶち眼鏡、着流しの上からポンチョを羽織り、からからと下駄を遊ばせる。
「皆さん、こんばんは。あとのことは、すべてこの銀代長十郎にお任せを」
古式ゆかしささえ感じられる和風探偵の男がそこにいた。
何を思って金田一何某のコスプレのような着物をしているのか不明だったが、それにしたって不審だ。全身からみなぎる胡散臭さはどうあっても拭えない。
銀代長十郎は、右手の人差し指と中指を、伸ばして俺に向けた。
「マスター、コーヒーを頼む。むろん、諸君らの分もね」
誰がマスターだ。
「銀代、銀代長十郎だと」
「まさか、本物?」
「遅かったじゃねえか、銀代」
銀代の登場によって明らかに場の空気が変わったが、三人の反応は三者三様だった。
小太りの男が驚いたかと思うと、若い女は好奇心に目を光らせ、いかつい男は安堵したように胸をなでおろしていた。
混迷はついに極まった。
銀代、誰だそれは。
というか、何を普通に来店しているんだ、中林は何をしているのか。
そう思っていると、中林がとどめの一言とばかりに後ろから声を掛けた。
「コーヒー、持ってきました」
中林の抱える銀のお盆には湯気立つコーヒーカップが六つ収まっていた。
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