第11話
魔女連中が去って、ひと月ほどが経った。
サバト以降ホテル中に漂っていた魔女の残り香も客室係が徹夜したおかげで翌日にはさっぱりとなくなっていた。従業員たちは皆口には出さずともそのことにほっとしていた。
そんなこんなで予想外のトラブルに見舞われたオレも数日で人間の姿に戻れるようになって、セイリオスホテルはすっかり通常営業モードに戻っていた。
「はよっす。」
ひょい、と厨房に顔を出すと、そこではセルマンがいつものように朝飯の下準備をしているところだった。あいつは相も変わらず色の悪い顔でこちらを振り返ると、作業の手を止めた。
「あぁ……おはよう、マオ……。」
「今日は何をとってくりゃいいんだ?」
今日も今日とて陰気なセルマンに尋ねると、奴はしばらく虚空を見て考え込んだ後ぼそぼそと聞き取りにくい声で言った。
「………そうだな……じゃがいもがそろそろなくなりそうだから、いもは少し多めに頼む……それと、栗と果物の具合を見てきてほしい……具合によっては、新しいスイーツをつくろう……。」
「はいはい、りょーかいっと。」
オレは籠を手に取って、ついでにそこに泥が落ちなくなって久しいぼろぼろの軍手を何枚か放り込む。栗のイガは手に刺さると本当に痛いから、軍手はいくつあっても足りない。
「じゃ、行ってくる。」
オレはセルマンの返事も待たずにロッカーのダイヤルを回す。
「……やはり、マオがいると安心する。」
背中でそんな言葉が聞こえてきた気がするが、生憎とそれは錆びれたロッカーが立てる音に紛れて消えてしまった。
今日の菜園には、気持ちの良いそよ風が吹いていた。オレは頬を撫でる風に目を細めると、まずはじゃがいもを収穫しにかかる。適当に引っこ抜いては土を払ってぽいぽいと籠に放り込むと、ついでに隣の畑に植えてあった人参もいくつか抜いて放り込む。たしか、人参も備蓄はなかったはずだ。
そうして次に菜園の外れにある栗の木へと向かったオレは、そこに先客の姿を見つけた。
「そいつは、あの女からの手紙か?」
熱心に手紙を読んでいたのだろう。オレが声をかけると、リリーは驚いたように顔を上げた。それから、本当に小さな笑みを浮かべる。あの一件以来、リリーはよく笑うようになった。
「……うん、そう。三日前にも来た。」
オレは籠を間に挟んでリリーの隣に座りこんだ。さわさわと葉擦れの音が耳に心地よくて、このままひと眠りしてしまいそうだ。
「存外、あの女も過保護だな。」
オレが肩をすくめるとリリーは苦く笑う。
「姉さんは昔からそうだから……。」
ちなみにカナリアはどうなったかというと、リリーと支配人の口添えもあり、ひとまずは此度の狼藉は追って処分するという形で落ち着いた。帰り際に長の婆さんにそう言い渡されたカナリアは心底ほっとした顔をしていて、心なしかリリーも安堵しているように見えた。
オレは土臭い軍手を幾重にもはめながら、リリーをちらりと見た。
「……寂しいか?」
つい、ぽろりとそんな言葉がこぼれる。
どうしてそんなことを言ったのかは、正直オレにもよくわからない。ただ、この質問をして、リリーに寂しくないと答えてほしくなかっただけかもしれなかった。
当の本人はというと、意外そうにこちらを見てすぐに首を横に振った。
「寂しくはないよ。」
その言葉は、オレが予想していたよりもずっとしっかりしていた。リリーは手紙を丁寧にしまうと、ふわりと吹いた風に気持ちよさそうに目を細めた。
「姉さんも家族だけど……今の私には、セイリオスホテルの皆も大事な家族だから。」
「……家族?」
オレは意外な単語に首を傾げる。すると、リリーは頷いて指折り数え始めた。
「うん、そう。理子、支配人、薫、厨房長にセルマン……他にもいっぱい。このホテルの皆、家族だと思ってる。」
今日はやけに饒舌な同僚は、憎らしいことにそこでその名前の通りきれいな百合の花のような笑顔で続けるのだ。
「……もちろんマオ、あなたも。私には大事な仲間だし、家族だと思ってる。」
オレは何と言ったらいいのかわからなくてしばらく黙りこんでしまったが、やがてふっと笑った。
「そうかよ。」
「……反応がドライ。」
「うっせ。」
こんな野良猫でも、誰かの大切な居場所になっていたというのなら……それは、とても価値あることのように思えた。オレはそれが、とても嬉しかった。
しかし、これでも喜んでんだよ、とは口が裂けても言わない。知られたら恥ずかしさで死ぬ。オレは笑みをかみ殺しながら立ち上がって、ふと枝葉の間から見える菜園の空を見上げた。
つくりものの大空も、今はどこかとても鮮やかに見えた。
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