第10話

 「姉さん、いつから……。」

 呆然としたリリーの呼びかけに、カメリアは初めこそ決まりが悪そうにして派手な金髪を指でもてあそんでいたが、やがて唇をとがらせながら口を開いた。

 「……し、仕方ないじゃない、他の連中が煙たがって部屋に入れてくれないんだもん。ここくらいしかいられる場所もないし……。」

 そりゃあそうだろう。あれだけ派手にやらかしたトラブルメーカーと部屋を共にしたくない気持ちはよくわかる。……と、喉まで出かかったが、オレはそれを丸呑みした。こんなところで要らないことを言って、ネズミにでもされたら洒落にならない。

 「魔女ってのはへこんでるときに背景の一部になるのが趣味なのか?」

 代わりに皮肉たっぷりにそう言ってやると、カメリアは即座に噛みついてきた。

 「うっさいわよ!喋るだけの猫のくせに!」

 「誰のせいでこうなっちまったと思ってんだよ!」

 すかさず言い返すと、さすがに後ろめたい表情が顔に過ぎる。しかし、それも一瞬のことで二言目には高飛車なセリフが飛んだ。

 「ふ、ふんっ一応これでも悪かったと思ってるわよ!飲み過ぎたかなって!」

 「そっちじゃねぇだろ!!」

 上から目線で強い口調しかできないのは、どうやらこの女の初期設定デフォルトらしい。典型的な魔女の性格だな、とオレが怒るより呆れていると、不意にそれまで黙っていたリリーが立ち上がってカメリアの前まで歩み出た。思い詰めたような顔に、オレもカメリアも何も言わなくなる。

 「……姉さん。」

 改まった口調で呼ばれた姉は、つんとそっぽを向きながらも応えた。

 「……何よ。」

 突き放すような声に、リリーは服の裾を強く掴む。それから、一拍おいてカメリアに向かって勢いよく頭を下げた。

 「姉さん、ごめんなさい……っ!」

 さすがに予想外だったらしく、頭を下げられたほうは言葉が出なかったようだ。リリーはそれでも構わず、先を続けた。

 オレはただ、その様子を少し離れたところで見ていた。普段自分から気持ちを吐露することをほとんどしないあいつが、今泣きそうになりながら頭を下げていることの意味を理解しないほど、オレは野暮じゃない。

 「出来の悪い妹でも、姉さんはいつだって魔法教えてくれたのに……私は姉さんを裏切った。ずっと、ずっとそれを謝りたかった。」

 カメリアは、しばらく黙って頭を下げ続けるリリーを眺めていたが、やがてふいっと顔を背けた。それから放たれた言葉は、容赦なかった。

 「やめてよ、今更。……別に、あたしはあんたがいなくなったって寂しいとか思ってやしないわ。」

 リリーが息を詰める音がサロンに響いた。ぴんと糸を張ったような空気に、オレは毛が逆立つのを感じる。

 随分と長い時間その沈黙は続いたが、それに終止符を打ったのはカメリアのほうだった。魔女は煙草の煙でも吐き出すように長いため息をひとつつくと、髪の毛をいじりながらぽつりと言った。

 「……でもまあ、あんたは人一倍鈍くさかったから、教えがいはあったかもね。」

 照れ隠しのつもりだったのだろうか、ひときわ大きくハイヒールを床に打ちつけて、カメリアはリリーに一歩歩み寄った。リリーはその音に反応して、身を起こす。その目をしっかりと見て、勝ち気すぎる魔女は続けた。

 「いつでも戻ってきなさいとか、そんな生っ白いことは言わないわ。あんたはあそこを捨ててここに来たんだもの。立派な従業員になってくれなきゃ困るわ。」

 それは、言外の激励だった。強い口調だからこそ、逆にその言葉は聞く者の胸に強く響いた。オレでさえそう思ったのだからリリーはなおさらで、現にあいつは目にいっぱいの涙をためて、カメリアを見上げていた。

 「返事は?」

 「………っ、はい!」

 頷いた拍子に、リリーの目から我慢していた涙がこぼれた。それに気づいたカメリアは、苦く笑いながらその頬に手を伸ばした。

 「あんた、泣き虫は治らないわね。せっかくいい顔してるのに。」

 いささか粗雑に涙を拭われて、ついでとばかりに頬をつねられたリリーは、さっきとは違う涙を目の端に浮かべつつも言った。

 「ね、姉さんだってちょっと涙目……。」

 「そこは見て見ぬフリするのよ!ほんと、なんで空気読めないのかしら!」

 オレはその言葉に、それはお前にだけは言われたくねぇセリフだな、と内心でツッコミをいれる。ともあれ、雨降って地固まるとはよく言ったもので、どうにかこうにか丸く収まったようだ。

 (ったく……世話が焼けるったらありゃしねぇ姉妹だ…。)

 円満になった場に部外者がいるのも無粋かと思って、そっとサロンを去ろうとすると、不意にカメリアがオレを呼び止めた。

 「……あっ、待ちなさい!」

 「あぁ?」

 ガラ悪く振り返ると、魔女はびしっと色鮮やかな指先をこちらに突きつけてこんなことを言いだした。

 「あんた、リリーに手ぇ出そうとか思ったら今度はハエにして叩き潰してやるからね!」

 「はぁ?」

 「そうやってすっとぼけたって無駄なんだからね!」

 「………はあ?」

 オレは本気で意味がわからなかったのだが、カメリアはそれが気に食わなかったらしい。そういうところがムカつく、と地団駄を踏みはじめた姉をリリーはなだめた。

 「……ね、姉さん……マオとはそういうのじゃないから安心して。」

 どうやらリリーはカメリアが何を言いたいのかわかったらしく、少し戸惑った様子を見せる。対するカメリアは、懐疑的な目を妹に向けた。

 「ほんとに?信用できないわ……。」

 「ひ、酷い……!」

 「だってあんた、昔からそうじゃない。」

 結局、オレだけが最後まで二人が何の話をしているのか理解できなかったが……サロンに入ってきたときには死にそうな表情だったリリーが、今は心底ほっとしたような顔でいるのが見られたのでそれで手を打つことにした。

 そして同時に思う。どんなに性格の悪い高飛車魔女でもリリーにとってはやっぱり大切な姉で、すれ違って仲直りして、こうして笑い合える家族がいるというのは……少し羨ましい、と。

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