第7話

 セイリオスホテルのサロンは、中2階のつくりなっている。時代錯誤なデカい暖炉を囲むようにソファが置かれ、大きくとられた窓と向かい合うように二人がけのテーブル席がいくつか配置されている。昼時にはここでも軽食が食べられるようになっており、ゆったりと食事を楽しみたい客にはとても人気だ。

 オレたちが入っていくと、そこには主立った面々が顔を揃えていた。からから、と乾いたドアベルの音が鳴ると、皆一斉にこちらを見た。そして、支配人の足元にいる俺を見て、めいめいにこちらに駆け寄ってくる。仕事途中じゃねぇのか、とか、お前ら暇人か、とか、そんな文句にも似た台詞を言う暇もなかった。

「マオくーーーーーん!!!」

 真っ先に飛び込んできたのは理子だった。あいつはオレを抱き上げると、ぎゅっと力いっぱいに抱きしめてくる。

「ぐへッ………!!」

 オレはその力の強さに思わず妙な声が出てしまった。こいつ、手加減してねぇ……。

「こらこら、鍵宮さん。マオが白目剝いてるから、加減してあげて。」

 あばらが折れそうだと思いながらいたオレに助け船を出してくれたのは薫だった。理子はその言葉にはっと我に返った様子でオレを放してくれたのだが、やれやれと思ったのもつかの間だ。

「マオおおおおお!!!」

「グハッ………!?」

 厨房長の第二波が来た。このじじいは理子より加減知らずで、日々鉄製のフライパンやら鍋やらを振るっているだけあって本当に骨が何本かイキそうになる。セルマンが今度こそ白目を剝きそうになったオレを見かねて厨房長を止めてくれなければどうなっていたことか。

「厨房長……マオが死ぬ……。」

「お、おお、すまん……。」

 じじいが手近な椅子の上にのせてくれたので、オレはそこで身体を思い切り伸ばしてため息をついた。このホテルにはスキンシップが激しいやつらが多くて困る。

「はぁ……何なんだ……。」

 思わず呟くと、側できいていた支配人がくすくすと笑った。

「ふふ、それだけあなたが愛されてるってことよ。」

「……気色悪ぃこと言うなっての。」

 オレはヒゲをふるわせてそっぽを向く。それに淡く苦笑を浮かべた薫だったが、ふとオレに視線を合わせて頭を撫でてきた。昔猫でも飼っていたことがあるのか、その手つきは慣れたものだった。

「マオ、身体の具合は?あれから3時間くらいしか経ってないけど。」

 オレは薫の手つきに目を細めたあと、尻尾をぱたりと振って答えた。

「別に悪かねぇよ。むしろ懐かしい感じだ。昔はずっとこっちだったからな。」

 そこでひとつ身震いをすると、オレは一同をぐるりと見上げた。そして、それまで訊きたかったことを口にした。

「それより、あの女はどうなったんだ?」

 オレの問いに、皆が一瞬どう応えたものかと互いに顔を見合わせる。それから口を開いたのは、理子だった。あいつは肩をすくめると、手短にあらましを聞かせてくれた。

「出禁にされたわ。サバトの長だっていう方がね、帰ったらどぎつい灸を据えてやるって怒鳴ってて……その流れで。」

「フロントにいても聞こえたんだから、すごい剣幕だったんだろうねぇ……。」

 薫が口の端に浮かべた苦い笑いを深めて理子の言葉に続ける。そのときの場面を思い返していたのだろうか、他の面々も皆一様になんとも言えない微妙な顔になる。相当な剣幕だったのだろうことは、それだけで何となく察しがついた。

 そんな中でも支配人だけはひとりけらけら笑う。こういうところが肝の据わった婆さんだと思われる由縁だ。

「カナリアはよく声が通るもの。」

「あぁ、だからカナリアなんですか……。」

 支配人の笑みの混じった言葉に、薫が納得の一言を漏らす。オレもその様子を見上げながら、やっぱりあの長ったらしい口上を述べていた婆さんがサバトの長か、と納得した。

 厨房長がふと手を口元に当てて困り顔をしたのはそのときだった。口を動かすたびにふさふさと髭が揺れるさまは、何か別の生き物が動くみたいに見えた。

「……それにしても、マオがその状態では厨房は大穴じゃのう。ヤマ場を乗り切ったとはいえ、困ったもんじゃ。」

「……たしかに……ホール仕事は元より、野菜の収穫もマオに任せていたから……。」

 厨房長の隣でセルマンもぼそぼそと呟く。そういえば、以前こいつはオレのとってくる野菜が一番良いと褒めてくれたことがあった。“一番良い時期の野菜をとってきてくれるから、とても良い料理ができる”と。

 厨房を任されている二人が黙りこむと、他の面々も困り顔をする。理子も薫も、フロントの大事な戦力だ。外れるわけにはいかない。

 どうしたものかと皆が思っていたときだった。不意に、それまで気配もなかった方向から声がした。

「────私が手伝います。」

 支配人以外のその場にいた全員が驚いてそちらを見た。暖炉のそばには、いつの間にかリリーがひっそりと立っていた。

「リリー……?」

 あいつは猫姿のオレを見ると一瞬だけ表情を変えたが、すぐにいつもの鉄仮面に戻った。それから、真っ直ぐに支配人を見て深々と頭を下げる。何か鬼気迫るものさえ感じる気配に、普段リリーと親しいはずの理子も薫もオレも、何も言えなかった。

「三日経てば、マオは元に戻れるから。それまでは、私に手伝わせてください。……お願いします。」

 支配人は、何も言わずに厨房長とセルマンを見た。二人はしばらく黙りこんでお互いに顔を見合わせていたが、やがて同時に頷いた。

「………リリーなら、どんな仕事をするのかわかるから安心だ……。」

「まあ、リリーならばさして負担になることもあるまい。よいぞ。」

 リリーはその言葉にありがとうございます、と小さく呟く。やはりいつになく様子がおかしい気がして、オレはじっとリリーの目を見ていたのだが、あいつは自分の足元に視線をさげたままだった。

 オレは強情なやつ、と内心でため息をつくと、思い切って話題を変えた。

「しゃあねぇな……そしたらオレが手取り足取り仕事を叩き込んで────」

 しかし、その先を続けることはできなかった。突然厨房長がくわっと目を見開いて制してきたのだ。

「オマエは養生しろ!あと、いくらオマエとて食堂に獣を入れるわけにはいかんからな!覚えておけ!」

「はぁぁ!?」

 オレはついつい素っ頓狂な声をあげてしまった。助けを求めて薫を見るも、今度はあいつも助けてくれることはなかった。それどころか、いっそ張り倒したくなるくらいの笑顔でどえらいことを言ってきた。

「うんうん。だからね、マオはしばらくフロント預かりだよ。」

「……………………は?」

「いわゆるマスコットってことで。ね?」

 状況が見えていないオレに、理子も続けてくる。“ね?”じゃねぇ。

「…な、………な、なんっでそんなことは先に話が決まってんだよ!!」

 静かな夜更けのサロンには、オレの声がよく響いた。盛大なオレのツッコミに、一同はげらげらと大笑いだ。こちとら笑いごとじゃねぇってのに、つくづくひどい連中だと思わされる。

「まあ、いいじゃない。たまには他のチームに入ってみるのも面白いと思うわ。」

 むくれるオレをなだめるように、支配人はするりと頭を撫でた。柔らかい笑顔も、今のオレにはうさんくさい笑顔にしか見えない。

 絶対この婆さんの入れ知恵だ。そう確信したが、真意を問いただす前にオレはいそいそと理子に回収されてサロンを後にすることになったのだった。

 ただ……オレがサロンを出ていくそのときまでリリーだけは皆の輪に加わることはなく、うつむいたままだったのが気がかりだった。

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