第6話

 鍵宮さんに案内されてたどりついた食堂は、思ったよりもこじんまりとしていた。食堂というよりは、ラウンジといったほうがある意味しっくりくるかもしれない。

 もう夜も遅いためか宿泊客の数はまばらで、控え目にかかるジャズが大きく聞こえた。聴いたことのない曲だったが、控え目なストリングベースの弾むような音がとても粋だと思った。

 鍵宮さんはその入口で俺を振りかえる。その動きの後を追って、服の裾と結った髪がふわりと揺れた。

 「それでは、私はこれで!お席は、お好きなところをお選びください。」

 「あ……はい。ありがとうございます、本当に。」

 「ふふ、これが私のお仕事ですからね!」

 彼女はどこか誇らしげに胸を張ると、俺に向き直って一礼した。

 「榎本さま、よい夜を!」

 その姿が、俺にはただただ眩しく見えた。


 鍵宮さんが去っていくのを見送ったあと、俺が選んだ席は食堂の隅の窓辺だった。飴色の椅子に腰を落ち着けて、窓の外を見る。天気は相変わらず悪いようで、時折雨粒がガラスに叩きつけられていた。

 今は夜の帳が下りてまるで外の景色が見えないが、この窓の向こう側にはどんな景色が広がるのだろう。宵闇の黒に染め上げられたカンバスに複雑な模様を描く雨粒を見つめながら、そんなことを思っていたときだった。

 「失礼いたします。」

 ふと隣に人が立った気配にそちらに顔を向けると、ウェイター服に身を包んだ青年がひとり、銀のトレイを片手に立っていた。ツートンカラーの少し襟足の長い髪をハーフアップにし、妙に目つきが悪い青年だった。

 (や、ヤンキー……!?)

 内心びくびくしながらいると、青年は慣れた手つきで俺の前に一枚の皿に乗ったサンドイッチとホットミルクが入ったカップを置く。それから、はちみつの入っている小さなポットをひとつ置くと丁寧に一礼した。

 「今夜のイヴニングプレートになります。よい夜を、お客さま。」

 こつこつと靴音を立てて去っていったのを尻目に、俺はサンドイッチに手を伸ばす。中身はたまご、チーズとハム、トマトとレタスに、フルーツサンドと多種多様だ。中身の具材によってパンに焼き目をつけたりつけなかったり、手が込んでいる。そのどれもがとてもおいしそうだった。

 ひとくち、たまごから食べてみる。半熟を少し残した懐かしい甘さのオムレツがはさんであった。辛味のきいたマヨネーズもいいアクセントになっていて、あっという間に食べてしまう。はちみつ入りのホットミルクを一口飲む。ほっと一息、息を吐いた。

 おいしい、と久しぶりに思った気がした。ずっと味覚を……いや、“生きている”という感覚そのものを、忙しさの中になくしていたような気がした。

 「………美味いなぁ。」

 もう一度、今度は口に出して言ったときだった。

 「こんばんは──すごい嵐ね。」

 「へ………?」

 気づけば、傍らに一人の女性が立っていた。

 老婦人という言葉がぴったりの白髪の女性だ。外国人なのか彫りの深い顔立ちで、青みがかった瞳が神秘的な印象を受けた。

 「お隣、よろしいですか?」

 そう言って、柔らかく老婦人は微笑んだ。

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