第20話 多階鉄道(後中編)

僕たちはホームに向かって走っている。寝起きでいきなり全速力で走るのはつらい。しかもかなり速く走っている。100メートルを14秒で走れそうなスピードだ。しかも2つの階段を含めてもう500メートルくらい走っている。彼女は余裕そうで、むしろ僕のスピードに合わせているようにも見える。


ホームが見えてきた。僕の息はすでに切れている。発車のベルが鳴っている。

『急いでください!あと1ミラーで列車が行ってしまいますよ』


あと1分か。このまま走り続ければ何とか間に合うか。ホーム前の階段まで来て、音楽が聞こえてきた。駅メロか何かだろうか。音楽と呼ぶには物足りない単なる音の並びのような気もする。僕たちは階段を駆け上がる。電車の扉まであと5メートル、3メートル、ここで駅から音が消える、1メートル、0メートル、・・・


なんとか間に合ったようだ。

安心して最初に聞いたのは彼女の批判だった。

『もう少し早く走れると思っていました。もっと時間に余裕を持った方がよかったですね』

「はあ・・・はあ・・・これが・・・限界なんです・・・」

『仕方ないですね。次にこんなことが起こった時にはもっと早く出発しましょう』

「あっ・・・そうですね・・・」

『大丈夫ですか?』

「とりあえず・・・座らせてください・・・」

僕は空いている席を見つけて座る。彼女も僕の隣に座る。彼女は僕の呼吸が落ち着くのを待っているようだ。


呼吸が落ち着いてきたタイミングで、車内アナウンスが聞こえる。いや、それまで聞こえなかったというのが正しいのだろうか。


〔次は、メガ、メガです。多角形表記では、5角形の中に2を書いて表されます〕


『もう、話してもいいですか』

「はい」

『では説明しますね。多角形表記は、多角形の中に数を書く表記です』

「それは、どのように計算するのですか」

『便宜上、n角形の中のmをm[n]と書くことにします』

「mを先にするのですね」

『はい。まずmがあって、それをn角形に入れるイメージです』

「わかりました」

『では定義を書きますね』

彼女はノートを取り出す。いつものノートだ。指数表記、矢印表記、E表記などいろいろな定義とその計算例が書かれている。彼女は新しいページに新しい定義を書き足す。


m[3]=m^m

m[n+1]=m[n][n]...[n] ([n]がm個)


『これを使って、実際に5角形の中の2、つまり2[5]を計算してみましょう』

彼女は定義に続けて書く。

2[5]

=2[4][4]

=2[3][3][4]

=2^2[3][4]

=4[3][4]

=4^4[4]

=256[4]

=256[3][3]...[3][3] ([3]が256個)

『この数を少しずつ計算していきます』

256[3]=256^256

256[3][3]=256^256[3]=(256^256)^(256^256)=256^(256*256^256)=256^256^257

256[3][3][3]=(256^256^257)^(256^256^257)=256^(256^257*256^256^257)≒256^256^256^257

『このように計算すると、256の後に[3]をn個続けた数は256の指数をn段重ねた上に257を置いた数で近似できることが分かります』

「テトレーションを使うとどうなるのですか」

『テトレーションでは、256↑↑257と近似できます。10↑↑257と書いてもそれほど変わりません』

「それはなぜですか」

『この計算を見てください』

256↑↑2=256^256≒10^616

256↑↑3=256^256^256≒10^10^616

256↑↑4=256^256^256^256≒10^10^10^616

『重ねる数が256でも10でも、重ねる段数は変わりません』

「一番上が257になっても変わらないのですか」

『はい。計算してみましょう』

256^257≒10^618

256^256^257≒10^10^619

256^256^256^257≒10^10^10^619

『このように、一番上の数を1増やしても段数は全く変わりません』

「確かに、一番上の数を少し変えても、累乗の段数を増やさないと意味がないですね」

『はい。このように、数を少し変えても全体の段数には影響しないというのが、テトレーションの重要な性質です』

「つまり、テトレーションはそれだけ強いということですね」

『はい』


僕たちの会話が終わって沈黙が訪れたのもつかの間、車内アナウンスが流れる。


〔間もなく、グレートビッグボックス、グレートビッグボックスです〕

「グレートビッグボックスですか。面白い名前ですね」

『はい。この数の定義は4角形の中の1000です。4角形が箱に見えることから、この名前が付けられました』

「それは、どれくらいの大きさなんですか」

『さっきと同じように考えましょう』

1000[4]

=1000[3][3]...[3][3] ([3]が1000個)


1000[3]=1000^1000

1000[3][3]=(1000^1000)^(1000^1000)=1000^1000^1001

1000[3][3][3]=(1000^1000^1001)^(1000^1000^1001)=1000^(1000^1001*1000^1000^1001)≒1000^1000^1001

『このようにして、1000[4]≒1000↑↑1001≒10↑↑1001であることがわかります』

「つまり、4角形の中にnを書くと10↑↑(n+1)になるということですか」

『正確に一致はしませんが、n[4]は10↑↑(n+1)で近似されます』

寝起きだが何とか理解できた。しかしなぜ僕たちは寝起きで数学をやっているのだろう。彼女は寝起きではなさそうだが。この電車にいる限りは永久に数学をすることになるのだろうか。そんなことを考えながら、僕たちは電車に揺られてより大きい数の場所へと向かっている。

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