第6話 下二階鉄道

『あれを見てください。発車まであと2ミラーです』

彼女は車両の前方に取り付けられたディスプレイを指さす。そこには、このように書かれていた。


現在地: 7. 625 597 484 * 10^12

次の駅: 1. 000 000 000 * 10^16

発車まで: 2#13


「発車までの数字が0になったら、発車するんですよね」

『はい。そして、1京で一度停車します』

僕は一瞬考える。兆は10^12だから、京はその1万倍で10^16か。

「しかし、指数表記されると分かりにくいですね」

『兆とか、京とかで書いてほしいということですか?』

「はい。指数表記だとパッと見でどれくらいの大きさかわかりにくいので」

『それは、数がまだ小さいからです。溝、澗、正、載あたりの数になると、数の単位で書くと逆にわかりにくくなりますよね。それに、無量大数を超えたら、この数え方は使えなくなります』

「確かに、京を超えると分かりにくくなるかもしれません」

僕は納得したが、単位での併記があってもいいのではないか、とも思った。


『あっ、そろそろ、電車が動き出しますよ』

そして電車が動き出す。


〔次の停車駅は、1京、1京です〕

車内アナウンスだ。アナウンスには、数の単位を使うようだ。


発車時の加速度はそれほど感じられなかった。車内の揺れはあまりないようだ。僕は前のディスプレイを見る。「現在地:」の右の数字が徐々に大きくなっている。*の左の小数が9.999……まで増えると、1.000……に戻って*の右の10^12が10^13に代わる。こんなことがあと2回起こって、*の右の指数部分が10^15になった。


指数部分が10^15になってから、小数部分の増え方が少しゆるやかになった気がする。といっても、実際の数自体は1秒で0.1*10^15、つまり100兆ほど増えているから、僕たちは今これまでで一番速く移動していることになる。


〔まもなく、1京、1京です〕


小数が9.999……に漸近する。しばらくして、数字が繰り上がって1.000……*10^16になる。


1京の駅に着いたようだ。扉が開き、何人かが乗り込む。降りる人はいないようだ。乗り込む人のうちの一人の顔が、国語便覧で見たことのある顔に似ているような気がした。


「僕たちは、どこまで乗るんですか?」

『もちろん、終点までです!』

「終点の数は、どれくらい大きいですか?」

『グーゴル、つまり、10の100乗です』

「大きすぎて、全く想像がつきません」

『グーゴルは、1の後に0が100個続く数です。無量大数は10^68なので、その1溝倍です』

「すごく・・・大きいです・・・」

『いえ、巨大数の世界は、まだまだこんなものではありません。グーゴルなんて、巨大数のほんの入り口にすぎません』

「巨大数・・・なんだか・・・怖いですね・・・」

『そんなことはありません。一緒に、巨大数の世界を冒険しましょう!』

「そ、そうですよね」

『そろそろ、電車がまた動き出しますよ』


〔次は、ラマヌジャン定数、ラマヌジャン定数です。ラマヌジャン定数駅の停車位置は、ほかの駅よりわずかに小さくなっていますのでご注意ください〕

車内アナウンスだ。前のディスプレイによると、ラマヌジャン定数は「2. 625 374 126 * 10^17」らしい。なぜこんな数に止まるのか、僕には見当もつかない。


〔ラマヌジャン定数は、e^(π√163)と表され、この数は非常に整数に近いことで有名です〕

そうなのか。しかし、僕にはこの数の重要性がわからない。


〔まもなく、ラマヌジャン定数、ラマヌジャン定数です〕


そして電車が止まった。それほど大きくない、無人駅のようだ。駅の壁には大きな看板がある。そこには「262537 412640768744」と2行にわたって書かれている。この駅では乗る人も降りる人もいなかったので、電車はそのまま発車した。


〔次は、1垓、1垓です〕

そして電車は再び動き出す。


『下二階鉄道は、グーゴル以下の有名な数に止まります』

彼女は突然解説を始めた。


「いきなり喋るので、びっくりしました」

『いえ、言ったほうがいいのかな、と思って』

「ただ、こういうのは普通車内アナウンスで言いますよね」

『いいえ、ここの電車ではそういうアナウンスはなくて、それぞれの数字についての解説しかしません』

「そうなんですか」

『なので、私が少し説明しますね』

「はい」

『下二階鉄道は、この後、


アボガドロ定数

恒河沙

阿僧祇

那由多

不可思議

無量大数

エディントン数

プライモファクシュル

グーゴル


に止まります。グーゴルに着くのは、約15ミラー後です』

僕は15ミラーがどれくらいかかるか思い出す。確か、1ミラーの100分の1が0.8秒だった。ということは、1ミラーは80秒だから15ミラーは1200秒、つまり20分だ。

「意外とかかるんですね」

『この鉄道は遅いので。この後、もっと速い鉄道に乗り換えますから大丈夫です』

「ならよかったです」

僕は考える。僕はこの世界に来てからどれくらいたったのだろう。体感では3~4時間くらい経った気がするが、定かではない。ただ、まだ1日は経っていなさそうだ。

ところで今は地球で言う何時だろう。前のディスプレイは停車と発車までのカウントダウンしか表示してくれないので、現在時刻はわからない。僕は彼女に聞いてみることにした。

「ところで、今は昼ですか、夜ですか?」

『昼?夜?それは何ですか?』

まさか、この世界には昼夜の概念がないのか。

「僕のいた世界では、一日周期で周りが明るくなったり暗くなったりします。明るい時が昼で、暗い時が夜です」

『それは知りませんでした。この世界にはそういったものはなくて、ずっと同じ明るさです』

やはり、昼夜がないのか。

「でも、それは、ここが室内だからではないですか?」

『いいえ、この壁の向こう側も、ずっと白いです。暗くなることはありません』

「そうですか」


僕と彼女の会話が途切れた。僕は車窓から外の景色を見ようとする。左にはカラフルな壁が見える。何かの規則に従って色が塗られているように見えるが、僕にはその規則性がわからない。右には通り過ぎていく無数の部屋が見える。いったいこれはどこまで続いているのだろう。それを探すのが僕たちの旅の目的だ。


〔まもなく、那由多、那由多です〕

気が付かなかったが、もう那由多まで来たようだ。ディスプレイによると、那由多は10^60らしい。僕たちの目的地は10^100だから、桁数にして半分は過ぎたことになる。といっても、この半分というのは時間と桁数がほぼ比例関係にあるから言えることであり、実際の数で言うと

10000000000000000000000000000000000000000

倍違う。


〔まもなく、不可思議、不可思議です〕

現在地の数字は数分で1万倍に増える。慣れてきたので何とも思わないが、本当はハイパーインフレである。ジンバブエですらここまでは増えなかっただろう。あまり恐ろしさを感じないのは、指数表記されているからだ。指数だけ見ていると、2桁の数が少しずつ増えているようにしか見えない。本当は、その数字は桁数なのだが。


〔まもなく、無量大数、無量大数です。ここは、中数鉄道の終着駅となっています〕

だが、なぜか単線の無人駅になっている。複数の鉄道がダイヤを共有しているのだろうか。


〔次は、エディントン数、エディントン数です。エディントン数は、無量大数までの系列とは全く異なるものであることに注意してください〕

確かに、今までの数は「1.000……*10^xx」という切りのいい数だったが、エディントン数は「1. 574 772 413 * 10^79」と表示されている。どうやら、無量大数以降は1万倍ごとに止まるわけではないようだ。



しばらくして、電車はエディントン数、続いてプライモファクシュルに止まり、やがてグーゴルに着いた。

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