Ⅷ -epilogue ②- ここから始まる物語

「あ、あのね、オズ」


 それまで一言も喋らず歩いていたエメラルドが、突然口を開いた。


「助けてくれて……ありがとう」


 市壁の中にいたら聞こえなかったんじゃないかというくらいに小さくはにかんだ声。とはいえ、あえてそれに立ち止まることはしなかった。


「……いいって。俺のほうこそ助けてもらったんだし」


 なんとなれば、互いに相手が話しかけて来るのを待っていたかのような空気の中、ちょうどこちらから声をかけてみようかと思っていた矢先のこと。わずかに出鼻をくじかれた圭介は、気恥ずかしさもあいまってそのまま振り向かずに返事をする。 

 賑やかな都の喧騒の余韻がすっかり感じられなくなった、二人だけで歩く、森への帰り道でのことだった。


「それに、魔法石のことも……」

「ああ、気にすんな。大事なもんだったんだろ? それ」


  少しだけ首を動かして、圭介は続けた。


「あん時はけっこう驚いたぞ。魔法石、全部家の下敷きになったんじゃなかったっけ」


 あるいはごめんなさいと言いかけていたので、もしかするとオリガの手に渡った圭介の家のネックレスの件を指していたのかもしれない。

 ただ、 背中からエメラルドの返事が聞こえてきた。


「これは……これだけはずっと離さず身に付けてるの。おばあちゃんから貰った、大切な形見だから……」


 ギュっと、服の上から握りしめながら。

 そんな姿が容易に想像できる口調だった。


「……そっか。うん、だったらこれからも大事にしなきゃな」


 エメラルドの助命と引き換えに手離したネックレスは、圭介の親にとっても大切な品だ。が、それと秤にかけたって、今回のことはこれでよかったんだと心から思える。だからまるで自分にも言い聞かせるかのように自然とそう答えたのだったが、形見という言葉に少しチクリときた。

 そこでふと圭介は歩みを止める。


「どうした?」


 急に後ろをついて来る気配がなくなった気がしたので振り返ると、少し離れた場所で立ちすくむエメラルドの姿があった。


「疲れたか?」


 そう言ったのは、圭介自身も若干疲労を感じていたからだった。なにせ互いに昨夜から緊張の連続に晒されていた身。そこからようやく解放された心地がするとはいえ、次に待っていたのは長い道のりを歩くという単純で肉体的な壁だ。

 別に体力に自信がないわけじゃなかったが、目の前の小さな魔女はどうだろう。それでなくともエメラルドは女の子だ。

 城を出る際、警備隊の者に森まで送らせましょうというオリガの申し出を丁重に断ったことを思い出して、圭介は少し後悔した。

 けれど、エメラルドはふるふると首を振る。


「ううん、違うの。……あの、ね」


 そう言った後、エメラルドは伏せ目がちに圭介を見つめる。

 そして意を決したかのようにもう一度小さく「あのね」と呟いたかと思うと、途端に緑色の瞳は伏せられてしまい、それっきり黙り込んでしまった。


「…………」


 言いたいことがあるならはっきり言えばいい。

 もしその台詞を口にするのであれば、今の圭介にとっても耳が痛い。

 なぜなら城を出てからずっとこの調子なのは、圭介もお互い様だったからだ。

 話したくてもなかなか話せない。だから黙ったままでいる。

 たぶん、エメラルドが話したがっているのはこちらが話そうと悩んでいたことと同じ話題であり、エメラルドが口を閉ざしたままでいたのは、その話題が本質的には圭介から振るべき内容だからに違いない。

 それは自分でもなんとなく理解はしていた。

 

 けど、どんな顔してそれを?

 

 単純なようでいてなかなかに厄介な問題に、ついため息が出てくる。

 遠い向こうでは、二人が後にしたアメジストの都の市壁が一望できた。見下ろす形になっているのは、いつのまにか坂を登っていたからだろう。丘を二つ越えさえすれば目的の森が見えてくると、入り口の門まで見送りに来てくれた警備隊士が教えてくれたが、すでにその一つ目は終えている。

 そう考えるとずいぶん長い距離を歩いていたんだなと思った。

 ずいぶん長い間、言い出せないでいたんだな、と。

 振り返れば、あとちょっとのところで丘の頂が見えていた。

 ここを越えれば森が待っている。そこには家がある。

しばらくこの世界で暮らすことになった圭介にとっては欠かすことのできない大事な拠点。

 ただ、エメラルドは少し違う。

  目指している場所は圭介と同じ森なのだが、エメラルドには住む家がなかった。

  ともに暮らす、家族さえも。


 ♦ ♦ ♦


  結局あの後、圭介たち二人は城でオリガに食事を振舞われた。

 その席で、圭介は改めて元の世界に帰る手段を探したいと話をしてみたのだが、オリガはもとよりそのつもりだと、全面的に圭介を支援すると約束してくれた。

 その具体的な内容は圭介の想像以上のもので、アメジスト国内に待機する一部の諜報員をすべて圭介の住む世界についての情報収集に充てるという話から始まり、加えてもう一つ、オリガは圭介自身もこの世界で活動しやすいようにと二つの贈り物をくれたのだった。

 その一つが生活資金だ。

  腰から下げるだけでかなりの重みを感じる麻袋の中身。そこにはアメジスト国内で流通する貨幣の中でも一番価値の高いと言われる王室発行の銀貨がぎっしりと詰めらていた。

 これで当面の暮らしには困らないはずだと微笑むオリガの横で、食事を運んでいたメイドの女の子が目を丸くしていたから多分相当なものなのだろう。感覚のわからない圭介でさえ一目でこれはと肌で感じて驚いていたのだが、そんな圭介を見たオリガの「公の金には一切手を付けていないからご心配なく」と付け加えた断りにはますます驚かされてしまった。

 そしてもう一つオリガから手渡されたもの。それが特権状だった。

 女王直筆のサインが入ったその書状には、曰くアメジスト国内における様々な特権を享受することが許される身分であるとする旨の文章がしたためられているらしい。つまりその書状を所持する人物は、他者のあらゆる束縛や詮索から解放されるばかりか、逆に自身の意を他者へ押し通すことがオリガに容認されているため、たとえ異世界についての話を他人にしたところでそれを鼻であしらわれる可能性が格段に低くなるというわけだ。

 どちらもアメジスト領内に限られた話ではあるが、いずれにせよ圭介にとっては感謝してもしきれないほどの厚遇だった。

 しかし、これらの贈り物には圭介への援助とはまた別の意味が含まれていた。

 エメラルドのことだ。

 それは食事中、話の流れでオリガがエメラルドに普段の生活についてたずねたときのことだった。特に他意はなかったであろうオリガの質問に対し、エメラルドは自分が孤児であることを打ち明けた。魔女を取り巻く状況を考えれば、ありえない話ではない。だが、エメラルドはもう何年以上もたった一人で森に隠れ、夜になれば食べ物を求めて近くの村を漁り、その日の飢えをなんとかしのぐ暮らしをしていたという。その話に圭介は衝撃を受けた。

 それは話を振った側も同じだったようで、身の上を話し終えたエメラルドが表情を暗くしたまま食事にまったく手を付けなくなったのを見て、オリガは軽率で不要な詮索をしてしまったと後悔の色を露わにしていた。

 だからなのかもしれない。

 そのままなにかを思案していた様子のオリガが、ふいにこう言ったのだった。


『そういえば、森に一軒家がありましたわね』


 一瞬、なんの話だと圭介は怪訝な顔を向けたのだが、そのあとすぐに例の二つの贈り物を用意させたオリガは圭介への援助についての話を滔々と語り始めたのだった。

 しかし、その言葉の節々には明らかに含みが。



 圭介はもう一度深くため息をついた。

 腰からぶら下がる大量の銀貨が詰まった麻袋、そして服の内にしまってある特権状。そのどちらも見方を変えればそういうことになる。

 城を去る際、最後にオリガが圭介に言った台詞だ。


『しっかり守って差し上げてくださいね』


 その時のオリガの悪戯っぽい表情もそうだが、それ以上に隣で目が合ったエメラルドの顔は今でも忘れられない。

 女王様もなかなかの曲者だな、と歳の若い圭介でも舌を巻かされる。


 ただ、本音を言えばその気にはなっていた。

 

 境遇を聞いて同情した面ももちろんある。しかし、今までもそうやって暮らしてきたのだからと簡単に割りきれないくらい、エメラルドとは出会ってからすでに浅からぬ縁ができてしまっているのだ。少なくとも圭介はそう感じていた。 

 ではなぜこうして話を切り出せないでいるのか。

 問題は、実に単純で情けない理由。

 それはエメラルド本人がどう思っているのかという問題とは別に、もう一つあるのだが――。

 

「あ、あとね」


 と、再び先に口を開いたのはエメラルドだった。

 

「あと、ずっと気になってたんだけど……私の名前、どうしてトトなの?」

「あー……それか」


 問われて圭介は苦笑いした。

 エメラルドの真の素性を隠すためについた偽りの名前。あの時こそ非常に重要な役割を持った言葉だが、それ自体に大した意味はない。


「それ。そこにそう書いてあるんだ」

「?」


 言いながら、エメラルドが着ているパーカーへと視線を促す。

 黒い下地の上に刺繍されたデザイン性のある白い文字。

 そこにはアルファベットで「トト」と刻まれていた。


「読めるか?」


 少し意地悪するような口調で圭介が問うと、エメラルドは顔を上げ、すぐにもう一度を視線を落とす。そして一生懸命に服を引っ張りながら頭上に大量の「?」を浮かべていた。

 そんなエメラルドの姿を見て圭介はつい吹き出してしまった。


「やっぱ読めねーか。ていうか、読めたらウソついてんのバレちゃってただろうしな」


 実に大したことのない種明かしだが、エメラルドみたいな可愛らしい少女が付き合ってくれるとそれはそれで甲斐がある。

 だからなのだ。

 そう、エメラルドが女の子だから――。

 ただ、今のやり取りでなんとなく重しが取れた気がした。


「……お前、これからどうするつもりなんだ?」


 尚もパーカーとにらみ合いを続けていたエメラルドに、今度は圭介からたずねた。

 するとエメラルドはびくっと身体を震わせた後、そのまま地面と話すかのようにうつむいたまま答える。


「わ、私はあの森に帰って……それから、いつものように暮らすの」

「一人でか?」

「そ、そうよ。ずっと……一人だもん」

「家は?」

「な、ないっていったでしょ」


 そう言っておもむろに顔上げたかと思うと、突然強い口調でまくしたててきた。


「い、偉大なる魔女の私は一人でも十分なの! じゅーぶん! 誰の助けも借りなくても生きていけるし、寂しくなんかない! オズなんていなくたってちゃーんと生きていけるんだから! 私はエメラルド! 偉大なる魔女なの!」


 そして、魔女の……予定なの、と小さく付け加えた。


「で、でもあれよね。魔法石が……あれがないと、さすがの私も困るっていうか、どうしてくれんのっていうか……誰かさんが元の世界に帰るまで、その……ちゃんとあの家を見張ってなきゃいけないし……」


 ごにょごにょとまだ何かつぶやいている。

 そんなエメラルドに対して圭介はあえて言葉を遮ることはなかった。

 どうやら、この偉大なる魔女様自身の問題はなさそうだ。

 なぜなら言葉を探しながらちらりちらりとこちらを見てくる緑色の双眸が、口ほどに本心を物語っているのだから。

 これが圭介の勘違いであったら、たぶん、この先の人付き合いについて深く考えなければならないだろう。

 とはいえ、これからある意味で人生初の告白に挑戦しなければならない。

 

 まだ女の子と付き合ったことすらないんだけどな。


 いまだに引きずるものがあるが、圭介は言った。


「あのさ、エメラルド」


 正面から、見据えて。


「俺、この世界に来たばかりだし、色々とわからないこが多いと思うんだ。今だって、こうしてお前と一緒じゃなきゃたぶん帰る道にも迷ってた。明日からも街に出て話を聞いたり、生活に必要なものを買い揃えたりしたいんだけど、もし誰かががそういうの案内してくれたらすげえ助かるだろうな、て考えてる。……だから、さ」


 そこが限界だった。

 けれど仕方がないだろうと自嘲する。なぜなら語る圭介の目に映っていたのは、城を出たとき隣で見たのと同じ、エメラルドが浮かべるせつな気な表情だったのだから。


「だ、だから元の世界に帰るまででいいんだ。お前さえよかったら……その……」

 

 視線から逃れるように顔を背けると、ちょうどいい具合に頬に冷たい風が当たってきた。

ただ、赤くなってるところは見られたかもしれない。


「お、俺の側に……いてくれないか。ていうか、あの家で一緒に暮らさないか……って」

「暮らす!」


 かぶさるようなエメラルドの強い一言に心臓が飛び出てしまうかと思った。


「私も……オズと一緒がいい……」


 かぁーと、さらに顔が熱くなるを感じた。


「あ、そう……だったら」


 決まったのあればさっさと帰ろう。

 そんな勢いで後ろを向いた。

 ただ、そのまま逃げるように歩き出そうとした瞬間、背中から声がした。


「オズ!」

「?」


 なんだ? と思い振り返った。

 

「オズ、ケイスケ……オズの名前」


 圭介ほどではないが、頬を朱で染めるエメラルド。

 そして、


「私の名前は……トト。トトです。オズにもらった名前」


 風に少しあおられたクリーム色の前髪をかきわけてはにかんだ後、魔女は小さくお辞儀をした。


「ふ、ふつつかものですが、今日からよろしくお願いします」


 そう言って、えへへ、と。

 年頃の少女に相応しい照れた笑顔をおまけにして。


「……ああ。こちらこそよろしくな」


 この先もきっと、想像以上の苦労が待っているに違いない。

 けれど、なんとなくこの少女が横にいさえすれば、ずっと笑っていられるような気がした。

 ずっと、この笑顔を眺めていたいと思った。


「帰るか、トト」

「うん!」


 今度は並んで歩き始める。

 しばらくするとすぐに丘の頂上へとたどり着いた。

 聞いていた通り、目の前の先には大きな森が広がっている。

 しかし、それよりももっと大きな光景に目を奪われた。先へ続く道、その両脇で、見事に実った麦穂の群れが風に揺られて大きな波をうねらせていた。

 その黄金色こがねいろに包まれながら、二人はさらに森へと目指す。



 少年と魔女の出会い。

 物語は、ここから始まるのだった。

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