Ⅶ -epilogue ①- 本当の嘘つきは……
城の最上階にある女王執務室で、オリガは一人物思いにふけっていた。
窓の外は明るく、夕暮れにもまだ少し早いかという時間帯。それでも部屋中のカーテンを閉め切っているのはこのほうが落ち着くからであり、薄暗い部屋にこもるこの一時こそが多忙を極める身と精神こころに安らぎを与える。そうして程よい充実がひとしきり身体を巡った後、オリガはいつも酒の酔いを冷ますかのように四年前の出来事を思い返すのだった。
四年前。すべてがあの日から始まったといえる。
南の辺境都市で開かれた「
当時のことは、今でも鮮明に覚えています――。
もともと
一見、崇高なる理念の下、あらゆる国々が互いの結束を強め、大陸に新たな秩序構成をもたらすかのように思えた。長年の戦火はこれでようやく幕を閉じたのだと、誰もが思ったのだ。
だがそれは同時に、ブリリアントに広大な領土を有する北と南、東と西の四大国による大陸経営の独占を決定付ける瞬間でもあった。
その様相は時を経るにつれ、会議の内容にも色濃く反映される。
当初こそ民を想い、わずかな不安でさえ取り除かんと躍起になる中小国を横目に、大国の「四人の王」たちはそれでも本心をちらつかせることはなかった。しかし、そもそもが無理な話だったのだ。ただでさえ肥え太った自国の版図をさらに広げようと他国へ手を伸ばし、利権の奪い合いを続けていたのは他ならぬ「彼女たち」なのだから。
もともと
そして――
四年前の会議で、一人の女王が高らかに声をあげた。
『我々は、未だ“真の輝き”取り戻せずにいるのではないか!』
その前置きに、アメジストの若き女王オリガは感心して頷いた。
大国のパワーバランスを背景に形成された秩序など、わずかな歪で瞬時に瓦解する砂上の楼閣に過ぎないと、そう母に教えられていたからだ。真の意味での輝きは未だ存在せず、とは母の口癖でもあった。だからオリガも、ようやく彼女たちがそれに気付いたのだと思った。
だが、齢十五――即位後間もないオリガの初にして晴れの外交舞台は、西の女王の口から漏れ出す台詞とともに狂気の幕を開ける。
『その通り! 魔女だ! 魔女の一族! その存在こそが民の不安を煽る大因なのである! ヤツら溝鼠の一掃なくして、この大陸は真の平和を享受することなど出来やしない!』
オリガは愕然とした。空耳ではないのかと自分を疑った。次に目にしたのは、その言葉に深く頷く他の二人の姿であった。そして、視線が突き刺さる。
三匹の獣が、それぞれ口元に禍々しい笑みを湛え、じっと「新たな仲間」の反応を伺っていたのだ。
オリガは――、
当時のことを振り返るだけで悔しさが込み上げてくる。
今でも公に発する連名状に震える手でサインをした自分の情けない姿が鮮明に記憶として残っているのだ。「大陸法」――表向きは平和秩序の安定のためというお決まりの文句で取り繕われた文面はあまりにも白々しく、それでいてかつて類を見ないほどの悪法であると言わざるを得なかった。
それに自分は同意をしたのだ。
罪無き魔女を根絶やしにするという責務を、自国の民とともに遂行すると大陸全土に宣言したのである。
城に帰った後、オリガは一晩中泣いた。そして己の矮小さを呪った。四国の一強とはいえ、代替わりを終えたばかりのアメジストの国内情勢は著しく不安定であり、何よりあの会議以降、オリガ自身の政治的経験の未熟さを察知した他の中小国にまでそれまでの態度を翻される始末であった。
先代の頃からの佞臣でさえ、公然とオリガの陰口をたたき始める。
あの時、国中の誰もが王室の行く末に暗い影を見たのだった。
アメジストの女王がその才を発揮するようになったのは、それからしばらくしてのことである。
「ただ、少し遅すぎましたわね……」
ゆっくりとソファに背を預け、オリガは呟いた。
もし、あの場にいたのが今の自分であれば、何かを変えれていただろうか。再び大国としての威信を取り戻したアメジストに、あの三人の狂気を止めることが果たして出来たのだろうか。
それらを考える余裕がオリガに訪れた時点で、すでに数年の歳月が過ぎている。今となっては意味のない想像。ただ、自信はある。
伝え聞く魔女たちの凄惨な叫びに耳を覆い、繰り広げられる殺戮の惨状に、目を覆い恐れ震えた昔の自分はもういない。取り戻したのは、威信と自信だけではないのだ。
「仰るとおり……この世界は、まだ本当の意味での輝きを知らないのです。お母様」
が、それを知らしめるのは私だけで十分。
オリガは、己が血に流れる業にようやく気付いたのだった。
いや、気付かされたというべきか。
間もなく四年越しの
「真に排除すべきは、あの獣たち……」
会議は、その布石に過ぎない。
と、丁度そこへ、部屋の扉を叩く者が現れた。恐らく部屋に来るように伝えていた者だろう。
果たして入室を許すのと同時に入ってきたのは、先ほどまで異世界の客人の世話を任せていた侍従のヴィヴィだった。
「お呼びでしょうか、陛下」
まだ幼さの残る見た目とは裏腹に、仕事柄、抑揚のない声を発するヴィヴィの姿を見てオリガはわずかに顔を綻ばせる。ヴィヴィは、オリガが心を許せる数少ない臣下の一人だった。
「――これを」
だからオリガも、主従の関係とはまた一味違う無遠慮な物言いとともに「緑の石」を差し出したのだが、それを見たヴィヴィが驚きの声をあげたので思わず笑ってしまった。同時に安堵する。
やはり、初見では彼女たちでさえそう思うのか、と。
無理も無い。それは首飾りの意匠を施されているものの、中央にはめ込まれた石はどう見たって魔法石なのだから。
「こ、これは……魔法、石……?」
「ええ、これを貴女たちに調べていただきたいのです」
戸惑うヴィヴィを余所に、オリガは用件を伝えた。
「明日からの給仕の仕事は多少疎かになっても構いません。この魔法石が錬成後のものなのか、そうであるのならば込められている魔力、特性……特に腕の良い者を中心に、総出で解析に当たって下さい」
「か、かしこまりました」
「それともう一つ」
「?」
「装飾を全て破壊し、石そのものが採掘直後の原石であるかのような細工を施していただきたいのです。 こちらは五日以内。必ずそれまでに間に合うよう最優先でお願いしたいのですが、可能ですか?」
するとヴィヴィは、少しだけ困惑した表情を浮かべる。
「……はい。細工自体は可能かと。ですが陛下、それですと石を変形させるということになりますので、この魔法石に魔力が込められていた場合、その力が消失してしまう恐れが……」
しまった、と即座にオリガもその意味を理解した。
「そういえば……そうでしたわね。私としたことが失念していました」
練成後の魔法石は、それ自体が一つの芸術作品だと比喩される。他人がみだりに手を加えれば、すべてが台無しになる恐れがあるのだ。
もしかしてこれもそうなのだろうか、とオリガは自分の手に視線を落とした。
光を湛えていなければ、何の変哲もない指輪。
あの時、異国の少年に対して使おうとしたにも関わらず、反応を見せなかったアメジストの魔法石だ。
知らぬ間に、傷でも付けたのでしょうか――?
今でも輝きを帯びないでいる石だが、ぱっと見る限りそうとは思えない。
「…………」
ただ、このことをすぐに知られるわけにはいかない。
それにヴィヴィに渡したのは異世界から持ち込まれただけの、それこそこの大陸では何ら価値のない鉱石。例の少年は、「ほうせき」と呼んでいたか。そこに嘘偽りがないことも自分の手で証明済みだ。それでもオリガは念のためにと、『読心』の魔法の力を疑うわけではないが、もう一度確実にそうだといえる保証が欲しかっただけなのだ。
しかし専門の者に釘を差されてしまった以上諦めるしかない。今大事なのは、自分の指輪ですらない。後に伝えた用件なのだから。
「……わかりました、それでも構いません。細工を優先して行うようお願いします」
そう告げると、今度は得心がいった様子でヴィヴィも深々と頭を下げたのだった。
「それにしても……」
と、そこでオリガは口にしかけた言葉を一旦飲み込んだ後、急に黙り込む。
「?」
なんとも不思議な客人が迷い込んできたものだ。
首飾りをヴィヴィに託したのと同時に、少しだけ肩の荷が降りた気がしたので、オリガは再び昼間のことを思い出した。
ブリリアントとは異なる世界からの来訪者。しかし異世界という存在の驚き以上に、オリガは会話を交わした人物そのものに強い印象を覚えたのだ。
あのオズという名の少年、まだ齢十七という身でありながら、じつに芯のある良い目をしていましたわ――。
最初に一目見たときこそ、その年相応の頼りない風貌に、オリガは四年前の自分と同じ姿を重ね微笑ましく思っていたのだったが、どうやらそれは見立て違いだったようだ。
青臭くも熱意こもる論調。久しく耳にしていなかった人の情けによる道理。それらを並べ立て、一人の魔女を庇うその姿は、まさしく騎士に勝るとも劣らぬほどの立派な雄姿を見せつけてくれた。
彼もまた、胸の内に激情を秘める者。
オリガは、またたくまに圭介のことを気に入ったのだった。
だが、そんな圭介の姿を想えば想うほど、どうしても頬がゆるんでしまう。
私に、魔女の助命を申し出るなんて――。
あの様子ではきっと、昨夜警備隊の者たちから散々に脅すようなことを言われたのだろう。まったくジェイルも人が悪い。
そんな風に考えると、ますます悪戯な笑みが零れるのだ。
「ふふっ」
このことを知ったら、彼はなにを思うだろう。もし真実を話したら、彼はどんな顔をするのだろうか。彼とは再び会う約束をしている。そこには恐らく、あの可愛らしい魔女も側にいるに違いない。そこですべてを明かすのも――。
いや、とオリガは胸中で首を振る。
止めておこう。あの時彼がぶつけてきた言葉は、まったく正しいのだから。魔女たちが置かれている現状、悲劇をつくりだしたのは紛れもなく自分。そこから来る非難の声は、責任をもって受け止めなければならない。
それに、このままで良いのだ。あの二人は、あのままで良い。
城を去る最後まで寄り添い合っていた少年と少女の姿はなんとも微笑ましく、そして腕に抱かれて泣く魔女の姿を見てオリガは――少し羨ましさを感じた。幼少の頃、よく母に読んで聞かせてもらっていた騎士と捕らわれの姫の恋愛譚、それを思い返したのだ。今でこそありきたりな、ご都合主義の陳腐にさえ思えるストーリーであったが、オリガは毎晩、夢見る少女のようにその御伽の世界へ想いを馳せたものである。
今ではもう、手に掴むことが叶いそうにない夢。
だから――
そんなオリガを、ずっと怪訝な顔で見つめていたヴィヴィに気付く。
そういえば途中で黙り込んでしまっていたと、オリガは苦笑いをした。
「……いえ、ごめんなさい。なんでもありませんのよ。……ただ、ね」
そう言って、再び笑みをこぼしたオリガは窓のほうへと歩き出す。そしてカーテンを開け、扉を開け放つと外の空気がたちまち部屋に入り込んでくるのだった。
その爽やかな冷たさを肌で感じ、オリガは目を閉じる。
「ただ、もう少しで貴女たちの仕事仲間が増えるはずでしたのに」
身体を通り抜けていく風はあまりにも心地良く、それでいて、くすぐったい。
だから、ちょっぴり嫉妬してしまったのかも――。
「ふふっ。異国の悪い殿方に連れ去られてしまいましたの」
秋の澄み切った空が、遠くアメジストの城下を包み込んでいた。
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