新時代の風

 土をこすっていななき、煙を立ち昇らせる車輪は、あっという間に視界の外へと消えてゆく。むだに大きなそれを見送ったエイルは、ひとつ舌打ちをした。しかし、ほどなくして顔をそむけ、歩きだす。無関係な人間にいらだちをぶつけてもしょうがない。相手が人ですらないのなら、なおさらだ。

 白昼の町は、音と香りに満ちている。いつもであれば、そのひとつひとつは青年の好奇心をくすぐるに足るものだろうが、今はただ焦燥をふくれさせるだけだ。人々の笑い声も、肉の芳香も、牛馬の声さえも。

 青灰色の瞳がかげる。遠く、異国までやってきて、今のところひとつの手がかりも得られていない。探し人は、気まぐれに目立つ立ち回りをしたあと、煙のように消えてしまう。痕跡は、ほとんど残らない。立つ鳥跡を濁さず、といえば聞こえはよいがこれではいつまでも進展がないままだ。後ろ姿を、薄笑いを思い出せば、それだけで抑制のきかない感情が胸の奥を焦がしてゆく。

「探し方がだめなのか? いやでも、今の時世、竜からたどっていった方が早いはず……」

 奇特に思われるのは承知の上で、青年は呟きをこぼす。

 一時期は激しかった竜狩りも、ここ数年でずいぶんと件数が減った。それにともない、竜が人里の上を飛ぶことも、少しずつだが増えてきている。人の言葉も解する彼らのことだ、『相手』との何かしらの接触があれば、誰かにはそのことを伝えるはずである。そして、『彼』は、竜がいるところには必ず現れる。ゆえにこそ、エイルは「竜のむ場所」を重点的に探しているのだ。――ただ、問題なのは、その「竜が棲む場所」も、簡単に見つからないことだ。人々にも名が知れているゼノン山脈や《大森林》は、エイル一人で向かうには遠すぎる。

「もしもし。そこな、金の髪の殿方」

 打つ手のない状況に対し、悶々としているなか、かけられた声は、エイルを不愉快にさせるにはじゅうぶんだった。しかも、本人の趣味なのか誰かの教育の賜物たまものなのか、やたら古風な口調なのがさらに鼻につく。彼は、眉間に深い縦じわを刻んで、振り返った。

「なんだよ。金ならもってな……」

 怒鳴りかけたエイルは、直前で声をのみこんだ。大きな金色の双眸と、視線がぶつかったからだ。自分のすぐ後ろに立っている、娘の目なのだと気づくのに、時間がかかった。娘の方も唖然としていたが、こちらは二度ほどまばたきをすると、強くかぶりを振る。動きに合わせて、ふたつの三つ編みが躍った。

「いやいや、そうではないのだ。誤解を招いてしまったのであれば、謝ろう。そうではなくてだな……これは、お主の物なのではないか?」

「え――」

 エイルは、目をみはる。彼女が両手で包むように持っていたのは、小ぶりな袋。エイルが母に作ってもらった、小銭入れだった。まだ重みのあるそれを見て、彼は青ざめる。いつの間に落としたのか。まったく気がつかなかった。

 エイルが硬直しているのをふしぎに思ったのか。娘は、ちょこんと首をかしげた。見たところ十七、八歳ほどのようだが、それにしてはしぐさが幼い。

「違ったかな」

「あ、いや」

 慌てて手を振ったエイルは、こほんとひとつ咳払い。「俺の」と言いなおした。娘は、ぱっと顔を輝かせる。

「そうか。よかった! お財布は大事だから、気をつけて持っておくといい」

「あ、ああ。ありがとう……」

 差しだされた袋をぎこちない手つきで受け取る。「怒鳴ろうとして悪かった」と青年が続ければ、娘はまじめくさってうなずいた。

「気にしなくても大丈夫なのだ。虫の居所いどころが悪いときは、誰にでもある。私でよければ相談に乗るぞ」

「い、いや。えっと」

「誰かとけんかしたか? それとも、探し物が見つからないとか、か?」

「探してるのはどちらかというと人……て、そうじゃなくてだな」

 エイルは、慌てて目をそらす。金の瞳が無垢な子どものもののようだから、腹立たしい。うっかり人探しをしていることをしゃべってしまったではないか。彼女の言動に振りまわされている自覚はあったが、どうにもできない。なんと言って別れようかとエイルが少し悩んだとき、人混みの間から声がした。

「ゼフィー、どうしたんだ」

 人混みをかき分けて、少年が姿を現す。エイルより見かけは年下だが、落ちついた雰囲気をまとっている。格好からして、流れの武人か何かなのか。名前を呼ばれた娘は振り返る。

「むっ。ディラン」

 少年を呼ぶ彼女の口調には、強い親しみがこもっている。娘はそのまま、人目をはばからず、少年の腕にすがりついた。青みがかった黒髪の彼は、エイルに目をとめると、青い瞳を瞬かせた。

「なんだ。知り合いか?」

「いや。たまたま落とし物を拾っただけなのだ。ついでにお悩み相談を」

「ゼフィーの思考回路がどうなってるのか、たまにわからなくなるんだが」

 少年はため息をつく。その姿を見て、エイルは安堵した。娘の連れのようだから、娘のように変わり者だったらどうしよう、と思っていたが、どうやら連れ人よりはまともらしい。娘は少年のため息を気にもせず、彼とエイルを交互に見る。

「どうも、人を探しているようなのだけども」

「人?」

 首をひねった少年は、怪訝そうにエイルを見る。「どんな人か、訊いてもいいですか?」と尋ねてきたのは単に、自身がいろいろな人と会っているからだろう。娘のような困っている人には手を差し伸べよう精神ではない、はずだ。エイルは戸惑いながらも、簡潔に、『彼』の特徴を伝えた。――それから、もしかしたら竜が、『彼』のことを知っているかもしれない、とも。少年と娘は顔を見合わせ、なぜかしぶいものを食べたときのような表情をつくった。しかし、直後に、かぶりを振る。

「わからないな……ゼフィーも?」

「うむ。それだけ特徴があるなら、簡単には忘れんだろう」

「そっか。ま、そうだよな」

 少年と娘は、二人してうなだれる。

「俺もこいつも力になれそうになくて、すみません」

「いや。俺の方こそ、手間取らせて悪かったよ。……あと、財布の件も」

 エイルはほんの少し笑みを浮かべると、「それじゃ」と言って背を向ける。しかし、そこへ少年の声がかかった。「おわびと言ってはなんだけど、ひとつだけ」という落ちついた一言に、さしものエイルの足も止まる。

「この町の東門を出て北へずっと進むと、森に囲まれた村があるんです。その村の奥の森林に、樹竜じゅりゅうと呼ばれる竜が棲んでいます。竜に話を聞きたいのなら、行ってみるといいですよ。彼は比較的、人間にも友好的ですし」

「なっ――!」

 エイルは、思わず振り返る。しかし、そのとき、二人の後ろ姿はずいぶん小さくなっていた。

「ちょ、ちょっと待て。あんた、なんでそんなこと知って」

 叫んでみたが、声は喧騒けんそうに弾かれた。二人は雑踏ざっとうに飲まれて見えなくなってしまう。エイルはしばらく、袋を持ったまま呆然と立ち尽くしていた。しかし、脇を通りすぎた男に邪魔だと怒鳴られると、慌てて行こうとしていた方角へつま先を向ける。ついでに、袋のひもを腰帯に強く結んで、おとしの深くへねじこんだ。

 彼が遠くの空に青い竜の姿をとらえるのは、東門を出てすぐの時である。



     ※



 青い空を、青い竜が駆けている。その首にしがみつき、風に吹かれるゼフィアーは、唯一無二の竜の友を見おろした。

「ディラン。いや……ディルネオ」

『なんだ?』

 竜が少しだけ、頭をかたむける。竜の言語で問われ、ゼフィアーは軽く顔をしかめた。

「先ほど聞いた人物、本当に心当たりがないのか?」

 竜、水竜ディルネオは、気まずげに沈黙する。それから、一度、喉を鳴らした。

『悪いが、本当に覚えがない。だが』

「うむ」

 言葉を切ったディルネオをうながすように、ゼフィアーは、うなずいた。

「銀髪に緑色の瞳、というのが気にかかる」

 ディルネオの翼が強く空を打つ。

 銀の髪の人間というのは、そういない。ディルネオとゼフィアーの知る限り、『つたえの一族』と交流を持っている人々くらいのものだ。竜が知っている可能性がある、という先ほどの青年の推測は、奇しくも真実を言いあてている。

 だからこそ、ひっかかる。探し人を語る青年の声には、隠しきれない憎悪と憤怒の感情がにじんでいた。

『何か、揉め事があったのかもしれぬな。マリエットに会えたら、訊いてみよう』

 見知らぬ人物と同じ色彩を持つ仲間の名前を出され、ゼフィアーは目を見開く。竜の提案は、状況を知る一番の近道だろう。同胞ならば、何か知っているかもしれないのだ。ゼフィアーは、そうだな、と力強く答えた。

「けども、その前にチトセのところに寄らねばな」

『うん。急ごう。あいつは怒らせると怖い』

 冗談めかした竜の物言いに、ゼフィアーも声を上げて笑う。竜と娘はそのまま、空を西へと突っ切っていく。

――かつて、ひとつの時代に区切りをつけた二人は、こうして新時代のはじまりに立ちあった。だが、彼らがそれを自覚するのは、もう少し先のことである。

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