業を奏でる

「話を聞いてください」

 うら若き娘が、全身を砂埃にまみれさせて彼の前にやってきたのは、まだ日も高く、焼けるように暑い時分だった。彼は、愛用の笛を足もとに置くと、娘の顔をのぞきこむ。いつもは強い意志が宿っている新緑の瞳は、今は薄暗い影に縁どられて沈んでいる。彼女は、彼が何も言わないままでいると、厚い唇をわななかせた。

懺悔ざんげを――させてください」

 そう言う娘の顔は、蒼白かった。ここ数日まともに寝ても食べてもいないのか、目は血走って、頬はこけている。深くこうべを垂れ、力のない手を前で組む姿は、本当に裁きを待つ罪人のようであった。

 彼は、帽子のつばをつまんで下げる。

「何か、あったのかい」

 できるだけ、いつものように、穏やかな声で問うた。すると娘は、唇を引き結ぶ。肩を震わせ、自らを切り裂くかのごとく、激しい言葉を吐いた。

「アルフが……人を、殺したわ」

 彼は目をみはった。遠くに映る青々とした山並みが、とたんに色彩を失ってゆくような気さえした。

――彼は、以前からこの娘を知っている。彼女がアルフと呼んだ、青年のことも。二人は竜を研究していた。竜と縁のある彼は、時折彼らのもとに立ち寄っては、その知識と経験を譲り続けてきたのである。人と竜のいさかいが広がりつつある世界を変えてゆく力になれば、と。

 彼は、ため息をこらえ、笛を拾い上げる。

「どうして、彼は人殺しなど」

「彼が殺したのはりゅう狩人かりうどよ」

「…………ああ」

 現実は、非情だ。

 アルフは、馬鹿なことをした。彼のしたことは、竜が禁忌をおかすのと同じことだ。同胞殺し、という点では、それよりもさらに罪深い。そして、それだけではない。

「私は、彼を止めることができなかった。こうなることはうすうす気づいていたのに、いなということをためらってしまったわ」

 娘は衣服を強くつかむ。手に白が浮かびあがり、布にきついしわが寄った。

「私は、彼と同じ、罪人だわ」

「いいや」

 彼は、首を振った。涙にぬれた娘の瞳を、このときはじめて、真正面から見る。彼はもう一度、ゆるくかぶりを振り――ひとつの音を、奏でた。空に響いて、吸われるように消えた笛の音を追いかけながら、彼はちょうの笑みを浮かべる。

「君だけではない。僕もまた、罪人だよ」

「――どうして」

 娘は、ひどく驚いた様子で問うた。彼は、笛の穴をじっと見つめる。

「君たちに竜のことを教えたのは、僕だから」

 アルフは罪深い。けれど、それだけではない。罪科つみとがを負っているのは、彼もまた、同じだ。

 世界は変わらないのだろうか。つかのま、茫洋とした絶望にとらわれた。



     ※



 奏でた音の最後のひとつは、明るい喧騒の中にのまれてゆく。彼は、誰にも気づかれぬよう息を吐き、身じろぎをした。椅子の背もたれが小さく軋む。

 野性的な騒ぎ声の合間をって、拍手が聞こえてきた。そのことに彼は安堵した。称賛されたことではなく、店の中に音色が届いていたことに。帽子を目深にかぶってから一礼した彼は、卓に笛をそっと置いた。細い、まっすぐな影に、誰かの手が触れる。

 彼は目を丸くし、顔を上げた。いつの間にか、そこには少年が立っていた。黒い髪の下で、優しい青のそうぼうが、笛を物珍しげに見おろしている。格好からして傭兵だが、その割にうき離れしているような気もした。

「いいうたですね」

 少年が、ぽつりと呟く。その場の勢いに任せた美辞麗句とは違う、実感のこもった、深みのある称賛だった。彼は思わず頬をほころばせる。

「どうもありがとう。君は、音楽は好きかい?」

「あまり詳しくはないですけど、好きですよ。――さっきの唄なんかは、よく聴いていましたし」

 彼は、息をのんだ。言いたいことが頭の中で、花火のように弾けたが、それらは何一つとして言葉にならない。彼が唖然としているうちに、別の人物が少年に歩み寄った。槍を携えたその人は、少年の驚いた顔にほほ笑みかける。

「あら、こんなところにいたのね、ディラン」

「どうしたんだ?」

「ゼフィーが探してたわよ」

 優しい言葉に、少年はあせりを見せた。手ぶりで『彼女』に感謝を示すと、戸口の方へ駆けてゆく。それを見送った彼は――青銀の女を、見上げた。

「久しぶり、マリエット。少しは整理がついたかい?」

 声をかければ、彼女は淡くほほ笑む。最後に見た、傷ついた娘の影が、少しだけのぞいたような気がした。

「整理はついていないわよ。自分なりにいろいろ考えている最中、というところかしら」

「そうか。なら、いいんだ」

 彼はうなずく。そのまま視線を、木の卓に落とした。

「……アルフのことは、まだ何もわかっていないよ」

 そう呟けば、空気が動いた。マリエットは、珍しく目を丸くしている。

「調べてくれていたの?」

「彼のことについては、僕にも責任があるからね。言っただろう、僕もまた罪人だ、と」

 そう、と彼女はこぼした。感情の読めなかった瞳に、見覚えのある光が灯る。

 彼女は昔からそうだった。驚くほどに、強かった。意志の力と、それを養う心というものが。

「――私、アルフを探そうと思うの」

 思いがけない言葉に、彼はつかのま固まった。けれど、すぐ、ほほ笑んで笛を撫ぜた。――彼女はいつもそうだった。己に従い、生きている。ならばもう、彼が口を出すべきことはない。彼もまた、己の意思に従うまでだ。

「それなら、何かわかったら僕にも知らせてくれ。音色は、教えたよね」

「ええ。そのつもり」

 彼女は不敵に笑うと、槍を持ちなおした。それじゃあ、とそっけない別れの言葉を告げる彼女に、彼は思わず訊いていた。

「さっきの彼は、君の同行者?『あれ』はどう見ても――」

「あなたの考えているとおりよ」

 彼女は、静かに答えた。言葉の終わりがわずかに弾む。顔を背けた彼女は、泰然として歩き出した。騒ぎ立てる男たちの中に、猫のように消えてゆく彼女を見送り、彼は薄く笑う。

「物好きな竜も、いたものだな」

 人の世に好んで混じる竜。噂は聞いていたが、実在するとは思っていなかった。あるいはあの少年が彼に声をかけたのも、何かの導きなのかもしれない。人のごうはわからない、といつも思う。わからないからこそ、人は人であれるのだろうとも。

 彼は、いつものように感傷をほほ笑みの裏に隠し、再び笛を手に取った。

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