商人と放浪少女

 馬の高いいななきを聞いたマリクは、飛び上がってそちらを振り返った。栗毛の馬は御者に手綱をひかれて、ぶるぶるっと鼻を鳴らしている。驚き、すくんだ青年に気がついたのだろう、馬上の男はにやりと笑った。

「そんなにびくつかなくても大丈夫さぁ。こいつは大人しい馬なんでね。でなきゃ、荷馬車なんてひかせやしねえさ」

「は、はあ、そうですか」

 マリクはわざとそっけなく答えた。馬の一声ごときに驚いてしまったと知られてしまい、たまらなく恥ずかしい。御者は彼の心中を知ってか知らずか陽気に声をかけてくる。

「それよりあんちゃん、本当に横っちょ歩いてるだけでいいのか? なんなら車に乗せてやってもいいんだぜ」

 親切な誘いに、しかし、マリクは笑って手を振った。「大事な商品がのってるんだろ。そんなところにあがりこめないって」と、つとめて明るくやわらかく断る。御者――商人でもあるのだが――は、気を悪くしたふうもなく、ふうん、と言って顔を正面にむけた。

 マリクも商人だが、この御者と商売仲間なのではない。ただ、取引先の街に向かう途中でばったり出会ったので、行動をともにしているだけだった。あちこち渡り歩いていれば、このような邂逅も珍しい話ではない。見知らぬ誰かと往くことに、抵抗はなかった。

 それぞれの商売の話に花を咲かせながら進んでいた二人だが、途中で御者の方が何かに気づき、手綱をひいて馬を止めた。マリクも彼につられて、正面を見る。

「ん? ありゃあ……子どもか?」

 道の先から人が歩いてくる。十代前半の少女のようだった。茶色い髪をふたつの三つ編みにまとめ、金色の大きな両目できりりと前途を見つめている。風になびくスカーフと紺色の上着、履き古した筒袴ズボンのせいで、水夫のように見えなくもない。

 ちっこい娘だなあ。

 マリクが彼女に最初に抱いた感想は、そんなものだった。

 少しして少女も馬車に気づいたのだろう。ぱあっと顔を輝かせて、ちぎれんばかりに手を振って駆けてきた。無邪気なふるまいに、荷馬車の御者が苦笑する。

「なんだ嬢ちゃん、お使いか?」

 御者が大声で声をかけると、少女はこてんと首をかしげた。

「うむ? いや、違うぞ。私はあちこちふらふらしている旅人だ。お主らは、見たところ商人だな?」

「お、おう。そうだけど」

「二人だけか?」

 少女の問いに、マリクと御者は顔を見合わせたあと、うなずく。とことん変わった少女は、ぐっと背伸びをして二人を見つめてくる。

「ならば、頼みがある。私を荷車に乗せてはもらえんか?……大事な商品が乗っているのだろうと察しはつくけども」

「乗せるのはかまわねえけど……嬢ちゃん、そっちから来なかったかい?」

 御者が、茶色と緑のまだら模様をつくりながらのびる道を指さす。少女は振り返ったあと、軽くかぶりを振った。

「私は、あっちの方で迷いに迷って、ようやくこの道にでてきたところだ。今はとにかく、町に行きたい」

 そう言い、少女が示したのは、道のわきにうっそうと茂る木々――どこまでも続いていそうな木立のむこうだった。マリクと御者は再び固まる。どれだけの時間か知らないが、身ひとつであんななかをさまよって平然としているとは、そうとうの胆力だ。変わっているにしたって限度があるだろ、と、マリクはめまいを感じつつ、心の中で呟いた。

 御者も苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、少女の力強い視線に押し負けて、首を縦に振る。

「わかったよ。そういうことなら、乗っていきな」

「本当か! かたじけない!」

 少女は嬉しそうにそう言ったあと、拳を胸に当てて一礼する。どこの国の作法だろう、とマリクが思っている間に、少女は頭をあげていた。

「そうだ。私は、ゼフィアー・ウェンデルという。短い間だろうけども、よろしく頼む」

 はきはきと名乗る彼女につられ、マリクたちもついつい名前を教えてしまう。そして、短い旅の道連れに、少女が一人加わった。


 ゼフィアー・ウェンデルは変わった娘だが、楽しい娘でもあった。彼女が教えてくれる旅の話は、淡々とした道行きに花を添えてくれる。この歳で本当に「あちこちふらふらして」きたらしく、下手をするとマリクよりも多くの国を知っているかもしれなかった。

 最初こそ車に乗り込んでいた少女だが、話が盛り上がってゆくにつれて下におりて、マリクと並んで歩くようになっていた。

「無理しなくてもいいんだぜ。ちっこいんだから」

「ちっこくても体は丈夫なのだ」

 つい、思っていたことをそのまま口に出してしまったマリクにも、ゼフィアーは気を悪くした様子がない。むしろ快活に笑って言葉のやりとりを楽しんでいるようだった。

 しかし。残念ながら、旅というものには常に危険が付きまとう。

 いきなり、前方から影が勢いよく飛び出してきた。御者が驚いて荷馬車を止める。マリクもぎょっと身を引き――飛び出してきた影の正体を知ると、天を仰ぎたい気分になった。

 立ちふさがったのは、鍛えられた肉体を誇示する男たち。ぼろのような衣服に似合わぬ上等な剣を持っている。真っ向の一人が持つ片刃の剣は、すでに三人へ突きつけられていた。「荷物、全部置いていきな!」というわかりやすい恫喝に、御者が顔をしかめた。

「悪いけど、これは大事な商品なんだ。ほしければ、相応の代価を払ってもらわないと」

「うるせえよ。いいからとっとと渡せ」

 流れるように放たれた御者の言葉を、どなり声が打ち消した。マリクはとうとう頭を抱えた。聞く耳を持たない盗賊も盗賊だが、この局面で正面から言いかえす御者も御者だ。肝っ玉を尊敬すべきなのか、呆れるべきなのかわからない。マリクがぐるぐると思考をしている間にも、男たちは武器を手に、にじり寄ってくる。「護衛もつけずに歩いてるおまえらが悪いんだ」とかなんとか、そんな言葉が聞きとれた気がした。

 逃げるか、抵抗するか、腹をくくるか。

 選択肢がマリクの頭の中で弾きだされた瞬間――ごんっ、と息の詰まりそうな低音がして、正面の男が倒れた。え、と声がどこからか聞こえる。それはあるいは、マリクの声かもしれなかった。彼は、銀色の何かが隣で光ったことに気づき、息をのむ。


「護衛がどうかしたか?」


 世間話でもするかのように、問いの言葉が放られる。茶色い三つ編みの少女が、悠然と、マリクたちと盗賊の間に立った。その手にはいつの間にか、使いこまれたサーベルがにぎられている。マリクは目をみはった。彼女の奔放な言動に惑わされていたせいか、今までサーベルの存在に目がいっていなかったのだ。

「おい、やめろ。危ないぞ」と御者が叫んだが、ゼフィアーはさらりと無視した。サーベルの切っ先を盗賊たちに向けて、かぶりを振る。

「まったく。こういう無粋な連中は、どこにでもいるものだな」

 年端もいかぬ少女の、嘲るような一言に、盗賊たちが顔を赤黒く歪めた。あ、まずい、とマリクは他人事のように思う。

「が、ガキが……! 馬鹿にしやがって!」

「子ども一人くらいは見逃してやろうかと思ってたが、気が変わったぞ」

「殺せ!」

 いきり立った男たちが、構えをとってなだれこんでくる。その様をながめていたゼフィアーは――不敵に、唇の端をつりあげた。

「ふむ。私を、殺すか。やってみるといい」

 それまでの人畜無害な少女と違う、鋭さをまとったゼフィアーの呟きを耳にしたマリクは、我知らず喉を鳴らしていた。


 少女の戦いぶりには目をみはるものがあった。飛びかかってきた一人の一撃をするりとかわしたかと思えば、鳩尾にきれいな蹴りを食らわせて昏倒させ、続けざまにもう一人の眉間をサーベルで貫く。剣のみならず全身を使った立ち回りで、あっという間に大人の男をのしてしまった。崩れ落ちる一人の頭を踏みつけて、最後の一人をサーベルの柄で殴りつけたゼフィアーは、鮮やかに着地した。

「こんなものだな。きりきり反省しろ」

 もの言わぬ男たちに、いつもの調子で言葉を吐いたゼフィアーは、くるんと商人たちを振り返った。では行こうか、と続ける彼女をまじまじと見た二人は、肩をすくめる。

「ゼフィアー……ちっこいくせに、強いんだな」

 マリクが本音をこぼすと、ゼフィアーは得意気に胸を張った。

「だてに、あちこちふらふらしていないからな」


 その後彼らは、騒動に巻き込まれることも誰かに襲われることもなく、無事に町へたどり着くことができた。ゼフィアーがそれから旅路の軌道修正をできたのか、マリクは知らないままだった。しかし、その答えは、ひと月後に、再会という形で得ることになる。

 そして、マリクとゼフィアーの長い付き合いが始まったのだ。

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