リフィエの夜宴 ※

 リフィエ村は、西大陸・アルセン国に佇む小さな村だ。そばに大きな森林が広がっているため、「森林に抱かれた村」といわれることもある。

 常に流動する世界で、穏やかな時を刻みつづける小さな村。そこに住む子どもは、今のところ二人だけ。そのうちの一人であるジェイクは、母から頼まれた届け物を終えて解放されたばかりだった。上機嫌に村を散歩する。なんとなく村の入口に目を向け、外まで出て行ってみようかな、などといつものように考える。本当に出ていってしまうときもあれば、考えただけで実際には出ないこともある。今日は、ジェイクは出ない方を選んだ。今はせっかくいい気分なのだから、わざわざ親の怒りを煽ることもない、と思ったからだった。

 緑のにおいをまとった風が吹く。気分がよくなったジェイクは、気分がいいまま家に戻ろうと、踵を返した。けれど、すぐに足を止める。村の入口の方から声が聞こえた気がしたのだ。こんな小さな村に人が来ることはめったにない。気のせいだろうな、と思いながら入口の方へ目を向けたジェイクは、ぎょっとした。

 本当に、人の集団がこちらへ向かってきたからだ。集団といってもそこまで大人数ではない。せいぜい五、六人といったところだ。けれどそれすら珍しいリフィエ村の少年は、驚き固まって、来客の方を見ていた。やがて、彼らが村にたどり着く頃になると――集団の中に見知った顔があることに気づき、ますます驚く。

 その、「見知った顔」の最たる少年は、ジェイクに気づくなり顔を輝かせた。

「あ、ジェイク! 久しぶり!」

 最後に見たときよりも、少し日に焼けて、たくましくなった少年。彼は以前と変わらない笑顔で、そう声をかけてきた。ジェイクはなんと返していいかわからなくなり、無言のまま突っ立っていた。すると、少年がハシバミ色の目を見開く。

「――ああ、そうだ忘れてた。ジレ草をとって帰ってこようと思ってたのに」

「ま、まだ根に持ってたのかよ!」

 挨拶もそこそこに、ジェイクはつい言い返してしまう。けれど、楽しげに言った本人に悪気はなかったらしく――レビ・リグレットは、きょとんとして頭を傾けたのだった。



     ※



 久しぶりに会ったジェイクが、いきなり変な声をあげて走っていってしまった。そのことにレビはぽかんとしていたが、背後にいる仲間たちはどういうわけか、揃いもそろって笑いをこらえている。

「いやあ……レビ坊の友達は、なんというか、独特だな」

「トランスさん、わざと言ってますよね」

 おさえきれない笑い声をもらしながら、トランスが少年の肩を叩く。レビは男を半眼でにらんだあと、ジェイクの去っていった方を見た。ややあって、遠く声があがる。

「やれやれ、これはかなり驚かれてるな」

 ほほ笑みながら呟くディランの隣で、ゼフィアーがまじめくさってうなずいた。

「当然なのだ。レビと旅立ってからこっち、一度もリフィエ村を訪ねていなかったのだから」

「私も来るのははじめてだわ」

「用がなけりゃ来ないでしょ、こんな田舎」

 ゼフィアーに続けとばかり、女性二人が口を開く。相変わらずな一行の物言いに、レビは苦笑した。

 そうこうしているうちに、彼らがやってきたという話は村じゅうに広まり、たちまちお祭り騒ぎとなった。

 あまりにも勢いよく村人たちが飛び出してきたので、リフィエ村にはこんなに人がいただろうか、と混乱してしまうほどだった。人混みのなかに、なじみ深い人影を見いだしたレビたちは、群がる村人をかきわけて、そちらへ走ってゆく。

「よう。やっと帰ってきたか!」

 人の波の中から、その勢いをものともしない大声を張り上げて手を振ってきたのは、ロイだった。隣ではナタリアが、笑っているのか不機嫌なのかよくわからない顔で立っている。「はい!」と叫びかえしたレビは、ようやく二人の前にたどり着くことができた。息を整えながら見上げると、二人は顔を見合わせてから、レビをまっすぐに見た。

「――おかえり」

 二人同時にそう言われる。意表を突かれたレビは、口を開けて固まった。しばらくそうしていたが、やがて、じわりと言葉が胸に染みて、目頭が熱くなる。

「ただいま」

 出かかった涙をこらえ、代わりに満面の笑みを浮かべて、レビはそう言った。

 

 来客があることも、一度村を出た者がつかのまとはいえ戻ってくることも、村にとっては一大事である。その一大事が重なった日の夜は、大宴会となった。草を編んだ敷物のうえに、ふだんは絶対に食べられないようなごちそうと酒が並び、煌々と火が焚かれて、村の中心だけは闇夜の中でも明るかった。もちろん客をもてなすための宴だが、村人にとっても最大の楽しみであることは、いうまでもない。

 さあさあ今夜は無礼講、と騒ぐ男たちをながめながら、レビは杯に口をつける。入っているのは酒ではなく、果汁をしぼったものだ。レビがちびちびとそれをのんでいると、横からのびてきた手が背中を叩く。振り仰ぐと、ロイがにやりと笑っていた。

「こんな日くらい、酒飲めよ」

「ぼく、お酒苦手なんですよ」

 豪胆な義父の言葉に、レビは苦笑で返す。目を丸くしたロイを相手に、意外にもレビの援護をした者がいた。宴会場の隅で弓を抱えつつ肉を骨ごとしゃぶっている男だ。

「あはは、そうだったな。一口飲んだだけでまっ赤になって、しかも第一声が『苦いです』だものねえ。やっぱ十二歳に酒は早いぜ、親父さん」

「ちょ、トランスさん! 余計なことを言わなくていい!」

 レビが顔を赤くしてうろたえていると、まわりから笑いが起こった。信じられないことに、あのナタリアすら失笑している。レビが恥ずかしさにうつむいていると、慌てたように、そばの少女が口を挟んでくる。

「わ、私もお酒は苦手だ。大人の味というのかな? どうも舌が受け付けん」

「あたしは傭兵団の宴会で飲むことがあったから平気だけど。……そういえば、ディランはいくら飲んでも素面しらふよね」

 こちらは果実酒に口をつけていたチトセが、言いながら視線を滑らせる。トランスと並んでつつましやかに食事をしている少年は、「まあな。好きではないけど」と肩をすくめた。そのしぐさで、おおよその意味を察した仲間たちは、ひそかに笑みを交わしあう。――竜にとって、人間の酒など酔うには足りぬ、ということだ。

 旅の思い出を材料に、レビは養い親や村人となごやかに会話していた。そんなとき、勢いよく土を踏む音がする。レビは顔を上げ、意外な客を見上げた。

「おうおう、楽しそうじゃねえか!」

「やっぱりレビは村人というより旅人だね」

 突っかかるように言ってきたのは、村の少年――ジェイクとリオだ。レビが呆然として二人の名を呼ぶと、強気だった表情がたちまちしぼむ。

 彼らは隣に座りこんだ。宴の喧騒のなか、ジェイクがおずおずと、口を開く。

「へっ。すげえやつになりやがって。おまえらの噂、ちょっとだけど、村にも届いてたんだぜ」

「そ、そうなの?」

 質問の声が裏返る。『暁の傭兵団』が中心となって流した噂が、どこまで広がっているかはわからなかったが、まさかリフィエまで届いていようとは。表情でそう語っていたのだろう。少年たちはレビを見るなり吹き出した。以前の小さな悪意を含んだものではない、無垢な笑顔に心が揺らぐ。

「あのさ。……悪かった、よ。村にいたころ、いろいろ、意地悪して」

 突然こぼれた謝罪はか細く、夜宴の中にすぐ溶けてしまう。けれど、レビの耳にはしっかり届いた。彼は、ふっと頬をゆるめる。

「気にしてないよ。外から来た得体の知れない子どもだったんだし、しかたない。それに、ぼくもうまく言えなかったんだ。一緒に遊ぼう、って、それだけの一言が」

「レビ」

「おわびと言ってはなんだけど、旅の話、いっぱいするよ。本当にいろんなことがあったんだから」

 レビが明るくそう言うと、ジェイクとリオの顔が輝く。それから三人は、にぎやかに話しこんだ。時折は、旅の仲間も巻きこんで。

「いやあ、でも、さすがにレビが恋人をつくって帰ってくるとは、思わなかった」

「はっ!? なんのこと!?」

「え? そこの姉ちゃん、彼女じゃねえの」

「ち、ちが……ちがう!」

 隣のチトセが盛大に果実酒を吹き出したあと、鬼の形相でレビをにらみつけてくる。

 さすがに、泣きそうになった。



 宴も佳境を迎えた頃。レビは、その輪から外れて、村の端へとやってきていた。興奮と炎の熱でほてってしまった体を、夜気にさらして冷ましてゆく。しばらく歩いた彼は、集会場を通りすぎたところで足を止めた。長く息を吐きだして、目の前にそびえる物体を見上げる。――竜信仰を象徴する三角錐。彼は刻まれた竜をじっと見て、かつて繰り返していた感謝と謝罪の文句を、心の中で唱える。

「ずいぶん熱心ね。前からそうだったの?」

 背後から声をかけられて、レビは我に返った。間もなく、槍を携えたチトセが隣に立つ。彼女は、竜の三角錐を一瞥したのち、レビを見つめた。

「いいや、昔は、なんにもわかってなかった。竜がどれほど偉大かは聞かされてきたし、お祈りもしていたけど。多分、本当に理解してはいなかった」

「今は違う?」

「――たぶん。前よりは、わかってきてるんじゃないかなあ」

 レビはほほ笑み、肩をすくめる。

 思えば竜も、ずいぶん身近な存在になったものだ。その大部分は、彼を連れだしてくれた旅人のおかげだろう。竜でありながら記憶を閉ざし、人として生きていた彼。当初はレビも、また彼自身も、そんなこととは知らなかった。

 それにね、と、レビは小さく言葉を継ぐ。

「ぼく、ここに住んでいたころは、息苦しくてしょうがなかったんだ。竜が何かとか、考える余裕もないほどに。けど、今はこうして思いを巡らせられるし――そうすると、なんていうのかな、忘れてた感謝の気持ちみたいなことも、考えられるようになってるんだ。今になってやっと、リフィエ村を『第二の故郷』って呼べる気がする」

 淡々と語る少年を、少女はじっと見つめていた。だが、やがて、息を吐きだしながら呟く。

「故郷って、呼べる場所があるだけ、いいわ」

 大事にしなさい、と彼女は言う。

 レビは息を詰めて、振り返った。竜狩人だった少女の横顔は、静けさをまとっている。故郷をなくした彼女が、仲間の帰郷に何を思うのか――知りたい気はしたが、とても訊けなかった。

 レビが戸惑っているうちに、チトセは、さてと、と言い、手槍を持ちなおす。空気を変えた彼女は、レビを振り返るなり――なぜか、思いっきり脇腹を蹴ってきた。反射的に蹴られたところを押さえて飛びすさったレビは、予想外のことに、目を白黒させる。

「え? は?」

「これが用事だったのよ。どうしても一発蹴りたくて」

「なんでだよ!」

「腹が立ったから」

 なんのことだと言いかけて、レビは宴での一件を思い出す。それから「恋人扱いはぼくのせいじゃないでしょ」と、げんなりして呟いた。しかし、チトセは、いらだたしげに鼻を鳴らす。これは、機嫌が直るまでに時間がかかりそうだ。

 レビが重いため息をこぼしていると、遠くから声がする。宴会場の方から、不機嫌の元凶たる少年たちが駆けてきた。そして、なぜかそばにはディランもいて、頭を抱えている。

「なあなあ、兄ちゃんが竜って、本当かよ?」

「話、聞かせてよ。興味がある」

 ジェイクとリオの言葉に、レビもチトセも唖然とした。果たして、いつどこから、話がもれたのか。例の「噂話」に話題が及んだのかもしれない。

「戻った方がいいね」

 チトセの呟きに、レビも、うん、と同意する。助け舟を出すにしろ、逆に真相を告白するにしろ、元村人のレビがいた方がいいだろう。

 決めた二人はうなずきあって、炎のもとへと駆けだした。




※注:お酒は二十歳になってから!

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