槍 ※

 よく晴れた日の朝。『破邪の神槍』の拠点を出てから数日の旅を経て、小さな宿場町にたどり着いたチトセは、届いた手紙を頼りに一軒の宿を探しあてた。金のない旅人が利用しそうな小ぢんまりとした宿屋で、人の出入りはほとんどないが、一応営業はしているらしい。薄暗い宿屋に入って、主人に会釈すると、主人は彼女を一瞥して、おもしろがるような顔でうなずいた。ひょっとしたら、『客』から彼女のことを聞かされていたのかもしれない。チトセはため息をこらえ、建物の奥へと入っていった。歩きながら使われていない部屋をのぞいてみたところ、狭いながら寝具はそなえてあるらしい。なら、まだましな方かしら、とこぼしながら、チトセは最奥の客室の扉を叩き、中に入った。

 すると、明るい声が出迎える。

「む、チトセか。おかえり」

 そう言って目をくりくりさせたのは、ゼフィアー・ウェンデルだった。『つたえの一族』の末裔特有の、琥珀色とも金色ともつかぬ瞳は、今日も元気に光っている。彼女のそばではトランスが胡坐あぐらをかいて、短剣をみがいていた。チトセは彼らに「ただいま」と返す。それから、埃っぽい部屋を見渡して、ゼフィアーに視線を戻した。

「なんか少ないわね。ほかの奴らは何してんの?」

「レビとマリエットは、食料の買い出しだ」

 ゼフィアーは元気に答えてから、こてん、と首を傾ける。

「ディランは……なぜか、裏の方で槍を振りまわしているのだ」

「はっ?」

 チトセは素っ頓狂な声をあげる。そこで、金属のこすれる音が響いた。トランスが短剣を磨き終えたらしく、革の鞘に戻してもてあそんでいる。彼はチトセと目が合うと、ようやくしゃべりだした。

「あいつ、半月前に突然、槍を買ってな。それ以降、折を見て振りまわしてるみたいなんだ。たまーに実戦でも使ってるけどな、どういう心境の変化なんだか」

 チトセは答えに困った。しばらくまごついたあと、そう、と言う。少女の視線は、自然と、愛用の手槍の方へ向いていた。しばらく考えこんだ彼女は踵を返す。

「ん? ひょっとして、ディランのところに行くのか?」

「まあね。宿屋の裏、だったっけ?」

「うむ」

 背後から聞こえたゼフィアーの声に軽くうなずいて、彼女はそのまま、宿を出た。

 

 まずは正面入り口から外に出て、すなおに裏へと回りこむ。そこは今や使われていないらしい通りで、人っ子ひとりいなかった。――いや、正確には、一人だけいた。ちょうど、客室の裏に当たる場所で、一人の少年が槍を持って素ぶりをしている。突いて、回転させて、また突いて。槍の基本動作をえんえんと繰り返しているようだった。真新しい槍はそのたびに、激しく風を切る。

 ひょうっ、と響く風切り音の間を縫って、チトセは口を開いた。

「珍しいことしてるじゃない」

 わざと大声で呼びかけると、少年は動きを止めた。黙ってチトセの方を見た後、目をみはる。彼――ディランは、すぐに槍を立てて、軽く呼吸を整えた。にじんだ汗を拳でぬぐうと、いつもどおりの、人のよさげな笑みを浮かべる。出会った当初はその微笑にいらだちをおぼえたりもしたものだが、今は当然のものとして受け入れていた。

「ああ、チトセか。帰ってたんだな、お疲れ様」

「どうも。……それで? 新品の槍なんて振りまわして、どうしたのよ」

「どうしたって……」

 ディランはすぐに何かを言いかけていたのだが、次の音が出る前に、ぴたりと口を閉じてしまう。チトセがいぶかしげに様子を見ていると、彼は悪戯っぽくほほえんだ。

「おまえに、わざわざ説明する必要、あるか?」

 はあ? と口に出しかけたチトセだが、すんでのところでのみこんだ。聞きようによってはたちの悪い挑発にも聞こえる言葉だが、ディランはそのつもりで言ったわけではないらしい。声音がものすごく楽しそうだった。思考を巡らせようとしたチトセはけれど、自分の手槍を見てはっとした。

 まだ、彼女が竜狩人だったころを思い出す。雪の中、共闘のあとで交わしたさりげない言葉と――『最北の聖山』でカロクを引きつけるために、ひとりで立ち向かうと言ったディランに、手槍を貸したときのこと。記憶がおぼろげな映像となって脳裏にひらめいたとき、チトセは目をみはった。

「まさか、あんた、埋め合わせのこと覚えてたの?」

「当然。本当は、記憶力いい方なんだ」

 槍を持ちかえながら、ディランは満足そうに答えた。チトセは唖然とする。まさか、「埋め合わせ」のためだけに、わざわざ槍を買って振りまわしていたというのか。考えると、おかしくなって、吹き出した。

「――ほんと、どこまで馬鹿なのよ」

 小声で呟いた彼女は、自分の槍の感触を確かめる。力強くうなずいて、槍頭を覆う鞘を外し、無造作に地面へ投げた。驚いているディランを見ながら、彼女は構えをとった。

「なら、今、相手してよ」

 少女は好戦的にささやいた。ディランは「えっ?」と素っ頓狂な声を上げる。

「俺、まだ勘が戻りきってないんだけど……?」

「何言ってんだか。勘が戻りきってないからおもしろいんじゃない。どうせやる気だったんでしょ。ほら、早く」

 チトセが急かすと、ディランはしばらく困ったふうにしていたが、やがてため息をついて自分も構えをとった。なかなか様になっている――どころか、かなり場慣れした人間のそれに見える。チトセは一瞬だけひるんでしまった。が、すぐに気を取り直して前を見る。

 二人は槍を構えたまま、静かに立つ。無音の緊張が流れ去る。一陣の風が吹き抜けたあと――チトセが、地面を蹴って、突撃した。

 

 彼女は声もあげずに槍を突き出した。ディランの槍が、一撃を器用に受けとめて、弾きあげようとする。チトセはかろうじてその勢いを殺して、飛びすさった。すると今度は、ディランの方が駆けだしてくる。獰猛な突きを、ぎりぎりで弾いた。槍をとおして手に走った、鋭いしびれにぞっとする。

『勘が戻りきってない』状態でこれ!?

 歯を食いしばり、心の中で叫ぶ。雷光が迫った。こちらも鋭く突いて一撃をそらしたが、ディランの隙をつくることはかなわない。何度も穂先がぶつかりあい、柄がこすれあううちに、チトセは自分の認識を改めざるをえなくなった。ディランは、『暁の傭兵団』でひととおり教わったと言っていた。――あの傭兵団の教育と、彼の身体能力は、恐ろしいくらいにずば抜けている。気付けば彼女は、これが一種の模擬戦であることすら忘れていた。

 二人のぶつかりあいは、長く続いた。素人目には、白い光がぶつかりあっているようにしか見えないだろう。激しく突きあい、距離をとり、勢いよく踏みこむ。そして、手槍と長槍が交差したとき、手を打つ音があたりに響いた。


「――そこまで!」


 すきとおった少女の声が空気を打ちすえた。同時に、戦いの音もやむ。チトセもディランも槍を構えた状態でしばらく固まったあと、ゆっくりと互いの得物を下ろした。チトセは乱れた髪と呼吸を整えてから、ディランを見上げる。彼も同じようなものだが、表情にはまだ余裕があって腹立たしい。竜と人間の差だとあきらめるべきところかもしれないが、簡単には認めたくなかった。

「やれやれ、何事かと思ったぞ、二人とも」

「何してんだか。お互い、顔が本気だったぜ」

 悶々としていたチトセは、明るい声を聞いて我に返った。振り返ってみると、宿屋の壁際に、いつの間にかゼフィアーとトランスが立っている。戦いを止めたのはゼフィアーの方だろう。二人に向けて「ちょっと前の約束を履行してた」などとうそぶくディランを、少女は鋭くにらみつけた。

「ふん。あんたは全然本気じゃなかったでしょ」

「いや。今はあれが精一杯。やっぱり本物の槍使い相手にやりあうのはつらいな」

「嫌味にしか聞こえないけど」

「なんで」

 不満げに口をとがらせるディラン。一方、チトセはそっぽを向いた。こちらに背を向け、笑いをこらえているトランスにかつかつと歩み寄り、思いっきり肘鉄を打ちこんだ。

 悶えている男に、ゼフィアーが笑顔をむけた。

「でも、なんだか楽しそうだったな」

「おお……そだな。ゼフィーこそ、ディランに剣で相手してもらえばいいんじゃね……」

「うむ。考えておこう」

 まじめにうなずく少女を、少年姿の水竜は、複雑そうな面持ちで見つめていた。チトセは、誰もいない通りに目をむけて、ぽつりと呟く。

「相手、か」


 それから数日後、チトセはマリエットに手合わせをお願いして――完膚なきまでに叩きのめされた。

 負けず嫌いな少女の挑戦は、当分終わりそうにない。

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