本編完結後

竜鱗の星 ※

 狭い道を人と馬車が行き交う、都市の昼下がり。表通りの喧騒とは無縁の路地にたたずむ宿屋は、今日も変わらず静かな営業を続けている。一風変わった旅の一行を客としてむかえているとしても、主人の穏やかな立ち居振る舞いはそのままだ。


 宿の隅、白い陽光が窓から差し込む一室で、客の少女は窓辺に腰かけ、両足をふらふらと揺らしながら、鼻歌をうたっている。茶色いふたつの三つ編みは、動きにあわせてひょこひょこ動く。使い古され色あせたスカーフと、丈の長い紺色の上着のせいか、物語の中の船乗りを彷彿ほうふつとさせるたたずまいの彼女は、二曲目が終わったところで、いったん息を吐いた。なんとはなしに右手を持ちあげる。手にしているものを光にかざしてながめた。それは青い花びらのようにも見えるが、硬い光沢を放っている。

 琥珀色とも金色ともつかぬ目が、細められた。楽しくなってきた彼女は、三曲目に入ろうと息を吸って――

「ゼフィー? 何してるんです?」

 声をかけられたので、やめた。右手を背中に回してから、声の方を見ると、金髪の少年が戸口に立っている。両腕にふくらんだ紙袋を抱えていた。町に買い出しに出ていたレビ・リグレットが戻ってきたのである。少女――ゼフィアー・ウェンデルはつかのま彼を見つめた後「ひまつぶしなのだ」と答えた。

「暇つぶしですか。ゼフィーも一緒に来ればよかったのに」

「そのつもりだったけども、うっかり寝坊をしてしまったのだ。その節はすまなかった」

 少女はしおらしく頭を下げる。レビは、紙袋をそばの寝台に置いて、やわらかくほほえんだ。

「気にしないでください。ゼフィーでも寝坊するんだなあって、ちょっと安心しましたし」

「むっ。どういう意味だ、それは」

 ゼフィアーが唇をとがらせると、レビは声を立てて笑った。そのまま、ゼフィアーの隣まで歩いてくる。窓辺で足を止め、いい天気ですねえ、と呟いた彼は、それからハシバミ色の瞳を瞬かせた。

「ところで、さっきから隠しているものは、なんなんですか?」

「……う」

 ゼフィアーはうめき声をもらした。大きな目が泳ぐ。

「な、なんのことだ? 私は何も隠していないぞ」

「ゼフィー……。交渉とはったりは上手なのに、嘘は下手ですね」

「……それこそ意味がわからん」

 言外にばればれだ、と一刀両断されたゼフィアーは、がっくりとうなだれた。あきらめて、背中に回していた腕を前に出す。その手に大事そうにおさめられているものを、レビはしげしげとながめた。

「なんですか、これ。石? でも、なんか光ってますね」

 そのまま青いものに指を触れようとするレビを、ゼフィアーは慌てて止めた。

「あう。その、あ、あんまり触らないでほしい」

 レビは首をかしげながらも、指をひっこめる。

『これ』がそう簡単に砕けたりするものではないと知っているが、もとの持ち主のことを考えると、どうしても敏感になってしまうゼフィアーであった。「どうしたんですか、これ」と重ねて問うてくるレビに、なんと答えようかと考えこむ。

 答えは、まったく別のところからもたらされた。

「あら。それ、竜の鱗じゃない。珍しい」

 笑い含みの女性の声は、またしても戸口の方から聞こえた。飛び上がるゼフィアーをよそに、レビは目を輝かせる。

「あ、マリエットさん! 槍、どうでしたか?」

「いい感じに直してもらえたわ。腕のいい職人さんでよかった」

 戸口に立っていたマリエットは、穂先から柄まで手入れしなおされた槍をたずさえて、やはり窓辺にむかって歩いてきた。彼女の興味も、やはりゼフィアーが手にしている青いもの――竜鱗へとむく。

「体を離れた竜の鱗が光っている、って本当だったのね。青ということは水竜かしら」

「う、ううう」

 恥ずかしがる理由はないはずなのだが、恥ずかしくなって縮こまるゼフィアーをよそに、レビとマリエットが、意気揚々と会話をはじめる。

「へえ。竜の鱗って一枚だとこんな感じなんですか。なんだか新鮮です」

「あまり、一枚で見ることがないものね。昔は、人と仲良くなった竜が親愛の証に自分の鱗を贈る……なんていう風習もあったみたいだけれど。いろいろあったからすたれてしまったようだわ」

「そうですか。人と竜の交流がまた始まったら、そういう風習も復活してくるんでしょうか」

 だといいわね、とほほえんだマリエットは、そのまま丸まっている少女に視線を戻す。

「それで、ゼフィー? あなたの竜鱗の贈り主は、愛しのディルネオ様かしら」

 ゼフィアーは、ひゃうっ、と奇妙な声を上げてまた飛びあがる。かたわらで、レビが目を見開いて「あ、そうか」と呟いていた。

 なぜばれた、とゼフィアーはうろたえたが、考えてみれば当然だ、と思いなおして落ちつく。この旅の一行にとって、人に鱗を贈るような水の竜、といえば一頭しかいない。一頭というべきか、一人というべきか、悩ましいところだが。

 ゼフィアーはいよいよ観念してうなずいた。

「うむ。この間、十日かけて大陸東端に行ったことがあっただろう? そのとき、突然もらったのだ。……本人は、ずっと迷っていたようだがな」

「ディラン、なんで急にそんなことを?」

 レビが、『彼』の人としての名前を口にして、首をかしげる。ゼフィアーは返答に窮して黙りこんだ。

「竜の鱗は、生命と存在の証。……死後も残り続ける、唯一の証だわ」

 はっと息をのんだのが誰か、はっきりとしない。

 ただ、マリエットの言葉は遠回しながら真実を言いあてていた。どう言葉を続けていいかと迷っていたゼフィアーだが、頭に優しく手がおかれたのに気づいて、顔を上げる。すぐそばで、銀髪の女性が優しく見おろしていた。

「だから、とても大事なものよ。なくさないようにしないと、ね」

「――うむ」

 ゼフィアーが、こくん、とうなずくと、マリエットは手を離す。そのまま、思案顔になった。

「でも、そのまま持っていたんじゃ、いつか落としてしまいそうだわ」

「実は、私もそれが気がかりでな。こうしてしょっちゅう確かめてはいるけども」

 三人の視線が、再び、淡く光る鱗に集中する。ゼフィアーは眉根を寄せた。

「ディランは、『なくしたときはまたあげるから気にするな』と言うけどもな。そういう問題ではないのだ。わかっていないのだ。ディランは気が利くときと利かないときがあるのだ」

「ゼフィーがいつになくとげとげしいです、マリエットさん」

「鱗をもらった背景を考えるとね。神経質にもなってしまうわよ」

 珍しく同行者の文句をいうゼフィアーの横で、少年と女性が苦笑する。

 マリエットが、槍を壁に立てかけて、目を細めた。

「なら、何か入れ物を作ってあげましょうか? 私、こう見えて、小物作りが得意なのよ」

 入れ物? と、二人の声が繰り返す。ゼフィアーは目を瞬き、レビは手を叩いた。

「いいですね! ぼくも、そういうの少しできますよ!」

「でも、ただの入れ物だとつまらないわね。鱗だと一目でわかってもまずいでしょうし」

「うーん……あ、なら、首飾りみたいにしたらどうですか? 女の子がつけてても違和感がないような!」

「まあ、素敵ね。さっそく考えてみようかしら。材料が売っているといいけれど」

 二人の会話はどんどん盛り上がってゆく。水竜の鱗とともに置いてきぼりをくらったゼフィアーは、目をまんまるに見開いて、固まる。

「おーい……」

 彼女が放った気の抜けた呼びかけは、ひとつのことに夢中になった彼らの耳には届かなかった。

 

 雑談の中の冗談だろう、とゼフィアーは思っていた。だから、数日後、本当に首飾りをレビから手渡されたときは度肝を抜いた。銀の鎖の先に、銀色の丸いものがぶらさがっている。「入れ物」はこの丸いものなのだとレビが喜々として説明してくれた。

 ゼフィアーはしばらく唖然としていたが、せっかく作ってくれたのだから、とお礼とともに受け取った。

 この宿に滞在する、最後の夜。食堂に向かおうと歩いていたゼフィアーは、正面から人が来るのに気づいて立ち止まった。遅れて、それが誰なのかを認識して目をみはる。

「む、ディラン」

「ゼフィー。ちょうどよかった、呼びに行こうと思ってたんだ」

 ディランは、剣の鞘を軽く叩きながら笑う。その顔には、いつもより濃い疲労がにじんでいて、ゼフィアーは思わず顔をしかめた。

「目がさめたのだな。大丈夫か?」

「大丈夫だって。おまえら、いつも心配しすぎだ」

「あたりまえだろう」

 ゼフィアーは、ディランの前でつま先立ちになって、額にぴたりと手を当てる。ディランがくすぐったそうに目を細めた。熱はない、と確かめてから、少女はもとの姿勢に戻る。


――《魂還しの儀式》のあとから、ディランはときどき、長く眠ることがあった。三日から十日程度にもなるその眠りは、今までに傷ついた魂を癒すために必要なのだと、教えてくれたことがある。目ざめたあとに熱を出してさらに寝込むこともあったから、仲間たちは気をもんでいた。

 しかも、《儀式》以前は気をつかわせないよう、眠りを我慢していたのだと後から言うのだから呆れたものである。このときばかりは五人とも、烈火のごとく怒った。


「まったく。そういうものがあるのなら、早くに教えてほしかった。そうすれば、眠りの時間がとれるように旅の日程を一緒に考えられたのに」

 ゼフィアーが頬をふくらませると、悪かったよ、と、心底申し訳なさそうにディランが縮こまった。えんえん説教をされた日のことを思い出したのかもしれない。ゼフィアーが目もとをゆるめたところで彼もようやく顔を上げ――青い瞳が、少女の胸元で止まる。

「あれ? ゼフィー、どうしたんだ、それ」

「む」

 ゼフィアーもつられて胸元に視線を落とす。銀の鎖の先にぶら下がった、同じく銀色の丸いもの。表面で輝く透明な星の中だけは、目のさめるような青色だ。ディランはそれを物珍しそうにながめる。

「きれいな首飾りだなー……って」

 かがみこんで、よく見たことで、ディランは違和感をおぼえたらしい。目を瞬いて「それ」を凝視ぎょうしした後――あ、と声を上げた。

「これ、鱗?」

「そうなのだ。鱗の入れ物なのだ。レビとマリエットが作ってくれた」

 彼が言いあてたところで、ようやくゼフィアーも得意気に胸をそらして、答えを教える。するとディランは感嘆の声をあげる。少し楽しそうだったので、ゼフィアーは密かに安堵した。

「あの二人、そう言うの得意なんだな。星の内側は、硝子がらすなのか?」

「そうみたいだ。硝子なんて高いのにな。外から見えて、かつ鱗だと気づかれにくいようにしたと楽しそうに語っていた」

 二人の顔が思い出される。彼らは終始笑顔だった。久々に物が作れて楽しかったのもあるだろうが、その裏には間違いなく、仲間たちへの確かな気遣いがあって、少女はそれが、とても嬉しかった。

 ディランはほほえむと、ゼフィアーの頭をくしゃくしゃとなでる。

「よかったな。トランスにも自慢するか」

「うむ! そうと決まれば食堂、なのだ!」

「うん。行こう」

 ディランとゼフィアーは、手を取りあって歩きだす。

 ゆらゆら揺れる竜鱗の星は、彼らの前途を照らすように、青く淡く光っていた。

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