竜の食卓 ※

※第四部「13.絆」の後の一幕




 まぶしい黄金色の光を浴びながら、傭兵たちはせわしなく動き回っている。両腕に皿の山を抱えようとした一人をラリーが大慌てで止めているのを見つけて、セシリアは苦笑した。彼女が見ている中で、黒い髪の優しげな少年が二人の間に割って入り、皿の一部を取り上げて運んでゆく。相変わらず甲斐甲斐しく働く弟分に、男たちは優しさ半分からかい半分の視線を向けていた。

 ファイネ近郊で暴走したりゅうをなだめて、事後処理をすべて終えるまで、彼らが言いようのない緊張感の中で動き回っていたことを、セシリアは知っている。彼女もまた『家』の中、街の中で資料検索や住民たちへの呼び掛けに奔走していたため、主菜はこれから作るところだ。つかれているであろう仲間たちのためにも、気合を入れなくてはならなかった。

 よし、と一人で腕まくりをしたセシリアは、しかしそこで動きを止めた。先ほど、皿を運んでいった少年を見て、漠然とした不安にかられたのだった。わずかに顔をしかめたセシリアは、視線を巡らせた先に、銀髪を揺らす美しい女性の姿を見つける。

「あの、すみません。マリエット、さん」

 呼びかけるのにためらってしまったのは、彼女とあまり話したことがないからだった。けれど、彼女の戸惑いをよそに、槍使いの女性は優雅な所作しょさで振り返る。

「あら、セシリアさん。ひょっとして、いけないところがあったかしら」

 マリエットの言葉に首をかしげたセシリアは、しかし次には「いえいえ」と慌てて手を振る。食卓の準備中に、厨房を取り仕切っている彼女に呼ばれたものだから、間違いや不備があるのでは、と思ってしまったらしい。申し訳なさを感じながらも、セシリアは改めて、口を開いた。

「マリエットさんは、確か、竜の研究をしていらっしゃるんですよね」

「ええ」

「でしたらあの、ひとつ訊きたいことが……」

 意識しないうちに、声が潜められる。マリエットは少女のように小首をかしげ、「何かしら」とささやいた。セシリアは思いきって、もやのような不安を吐きだした。

「竜って……何を食べるんですか?」

――青銀髪の女性は、一瞬、本気で意味がわからない、というように、目を見開いた。けれど、セシリアが言いなおす前に相好を崩し、声を立てて笑いだす。

「なるほど、ディランのことね?」

 ずばり言いあてられたセシリアは、頬を押さえて沈黙した。

 先ほどからよく動きまわっているあの少年は、どうやら、記憶を封じて人間の姿をとっていたすいりゅうだったらしい。ということを、傭兵団の人々はつい先ほど知ったばかりだ。当たり前だが、みんなものすごく驚いていた。セシリアももちろん驚いたが、それ以上に、今感じている不安は強い。要は――自分は今まで、ディランに何か間違ったものを食べさせてはいなかったか、と、恐ろしくてしかたがないのだった。

 マリエットはあくまで、楽しそうに笑ったまま、セシリアを見る。

「ねえ、彼がここにいたときは、どうだったの? 好き嫌いはあった?」

「いえ。猫舌なのか、熱いのは苦手だったみたいですけど、好き嫌いはなかったです。でも、それはあくまで自分を人間と思いこんでたからなんじゃないか、って思って……」

「なるほどね」くすくすと笑ったマリエットは、得意気に右の人さし指を一本、立てた。怜悧な光を帯びた緑色の瞳に自分の顔が映りこんだのを見て、セシリアはたじろぐ。

「じゃあ、答えを教えてあげましょう」

 彼女は、そうして歌うように、言った。

「竜はね――、基本的には


「は……?」

 漏れ出た声が自分のものだと気づくのに、少し時間を要した。呆然と女性を見返していたセシリアは、隣に一人、小さな人影が近づいてきたことに気づかない。

「なんの話をしてるんですか?」

 子どもの声に飛び上がって、見下ろせば、男の子が立っている。ハシバミ色の双眸をきらめかせている彼もまた、ディランやマリエットと旅路をともにする一人だった。

「あ、レビくん」

「今ね。竜の食事について訊かれたから、教えていたのよ」

「竜の食事? そういえば、ぼくもよく知らないです」

 レビは興味津々とばかりに身を乗り出す。マリエットが得意気に先ほどの言葉を繰り返すと、彼もまた、きょとんと首をかしげた。ただ、セシリアほど驚いていないのは、頓狂とんきょうな話に慣れているかいないかの違いだろう。

「どういう意味ですか? なんでも食べられるけどなにも食べない、って」

「正確に言えば、なにも食べる必要がない、ね。ディランもそうだけど、あくまで付き合いや楽しみとして食事をする竜はいるわ」

 今まであまたの竜をその目で観察してきたであろう、槍使いの女性は、淡々と続ける。

「竜は本来、活動するための力を、自分の性質に近い自然物からとりこむの。水竜なら雨や雲、えんりゅうなら火や溶岩、こうりゅうなら日光、という感じでね」

「なるほど、だからほかの動植物を食べる必要がないんですね」

「ええ。炎竜は、水分をとる必要もないみたいね。むしろ、水が苦手みたい」

 それを聞いて、セシリアはぴんときた。

「もしかして、ディランが猫舌だったのって……」

 緑の目が笑う。そのとおり、と声なき言葉が語っていた。熱い物を口にしづらかったのは、単純に猫舌だったのではなく、水と反対の、熱の性質が苦手だったからなのだ。そう聞くと、急にすっきりした気分になる。「『食事』をするときは、人間と同じものを食べるから、ふだんどおりの料理を出して大丈夫よ」ともいわれ、ようやくセシリアは、安堵の笑みを浮かべた。

「安心しました。教えてくださってありがとうございます、マリエットさん」

「どういたしまして。頑張って作ってね。きっと、彼も楽しみにしているわ」

 からかう様子もない言葉をなげかけられたセシリアは、はにかみつつもほほ笑んで、うなずいた。


 ほのぼのと笑いあう女性たちをながめていたレビ少年は、しかし、ふと目を瞬いた。

「光竜は日光を取り入れる……お日様で育つって、植物みたいだなあ」



     ※



 クレティオは、ぶるりと身を震わせる。動きに合わせ、りんぷんのような光の粉が舞い、消えた。

『クレティオ様、どうなさいましたか? ひょっとして、狩人が近くに?』

『……いや』

 眷族けんぞくの問いに、彼は不可解といわんばかりのしかめっ面を貼りつけて、かぶりを振る。

『なんか今、ものすごくを入れたい気分になったんだけど、どうしてかな』

『つっこみって……何に対してです?』

『わかんない。ま、いいや、多分気のせいだし』

 釈然としない様子ながらも、そう言って伸びをするあるじを、光の竜たちは怪訝そうな目で見ていた。

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