第7話 罪と筋肉

 学園長室までやってくると、春樹は手早くドアの鍵を開けた。

「やるじゃない」

「こういうのは得意なんです」

 由良は中に入ると電気を点けた。

「由良さん?」

「さっと証拠を手に入れて、見つかる前に出ましょう」

「わかりました」

 学園長室は相変わらず広い印象だ。教室の半分はある広さで、入り口側には何もない空間があり、奥の半分に机や棚が置かれている。

 二人はさっそく学園長の机を調べる。引き出しにも鍵はかかっていたが、ドアより手早く開けることが出来た。一番下の引き出しの中にはいくつかの資料があり、二人はそれぞれ手に取り目を通す。

 ある資料のところで由良は手を止めた。

「村上のことが書いてあるわ。風紀委員関連の問題がばれたら村上が全部の責任を取ることになっていて……ああ、それでか」

「なにかあったのですか?」

「いかにも横暴な男性って感じの村上が不祥事を起こしたということで、この学園の表面的なジェンダーフリー教育、つまり、男性サゲ女性優遇の正当性をいうつもりみたい。村上の切り捨ては織り込み済みだったから、あれだけ好き勝手していたのね」

「よく村上先生がそれに従いますね」

「なにかの犯罪を隠蔽してもらった弱みがあるみたい」

「それでか……」

 さらに二人は資料を読み進める。

「なによこれ? 優良な推薦は全部男子じゃない」

 由良はその資料に目を通しながら呆れていた。内申書や有利な進学条件は全部男子。なかには学園長の愛人になることで有利な推薦を受けた証拠もある。

「ひどい……」

 女子生徒の情報を見て、春樹は眉をしかめる。

「女子はほとんど推薦状が出されていませんね……それどころか内申書の内容も酷い。委員会にも参加せずって、委員を決めているのは教師で、その教師に指示しているのは学園長じゃないか」

「それだけじゃないわ。怪しいお金の流れも書かれている」

「え? 本当ですか?」

「補助金や企業からの寄付の一部が政治家に……これは県議ね。やたらジェンダーフリーを叫んでいる人よ」

「なるほど……由良さん、この資料があれば学園を告発できますか?」

「男性差別に見せかけた女性差別に不正なお金の流れ。ふふ、十分よ」

 決定的な証拠を手に入れた二人がドアに向かおうとした瞬間、ドンッと大きな破壊音と共に、ドアが反対側の壁まで飛んでいった。


 怯える由良が庇うように春樹が前へ出る。二人が見守る中、見上げるほど大きな人物が入ってきた。

 白髪の長い髪を団子状に一つにまとめ、紺色のワンピースを着たその人物はこの部屋の、否、この学園の主である学園長だ。

「学園長……これはいったいどういうこと? ジェンダーフリーと真逆、完全な女性差別じゃない!」

 一瞬怯えた由良だが、強気で資料を掲げて叫んだ。

「……ぐふっ……グハハハ」

 普段とは違う下品な笑い声をあげる学園長。

「なにがおかしいのよッ!」

「女が男に勝るものが一つでもあると思っているのか?」

「なんですって?」

「いいか? 女はな、劣等生物なんだよ。男に比べて総てが劣っているんだよっ!」

「なんてことを……」

 由良は怒りに肩を震わせる。

「知能、体力、精神。その総てにおいて男が上だ。見せてやろう、これが男と女の最大の違いだ!」

 学園長は顔を拭って化粧を落とし、白髪のカツラを脱ぎ捨てた。そして、着ているワンピースをビリビリと破り捨てる。

 その姿に由良は言葉を失う。スキンヘッドに服の上からでは想像もできない筋肉に包まれた体。赤いレスラーパンツに同じく赤いレスラーブーツ。

「コイツ……知っているわ」

「由良さん?」

 春樹は驚いて由良を見た。

「10年ほど前まで活躍していた悪役プロレスラーよ。確か筋肉男爵」

「ほう、その名前をお前みたいな小娘が知っているとはな」

「犯罪者のことは詳しいのよ。確か練習生……それも男性に性的暴力を繰り返して業界から追放されたはず。そんな奴がどうして学園長なんかに?」

「それが男と女の違いだ。この筋肉さえあれば、男は何度でも蘇る」

 学園長こと筋肉男爵はグッと力を込めて胸筋を膨らませた。

「10年前より筋肉が倍くらい大きくなっている……」

 由良は筋肉男爵の肉体に驚きを隠せない。とっくに現役を引退したはずなのに、その筋肉量は昔よりずっと多くなっていた。

「ぐふふ、ほら、雑魚ども、かかってこい」

 筋肉男爵はちょいちょいと手招きして挑発する。

「先手必勝!」

 まずは春樹が突っ込み、得意の掌打を学園長の胸に当てた。体内で貯めた気を手のひらに乗せてダメージを与える技だ。

「ふんっ」

「うっ」

 手のひらが触れた瞬間、逆に春樹が弾き飛ばされた。

「春樹くん!」

 由良が駆け寄る。

「ダメです、気のダメージが筋肉の動きで弾かれました」

「わたしに任せて!」

 今度は由良が学園長に向かっていく。そして。

「エイッ」

 学園長の股間を蹴り上げた。それを見ていた春樹は思わず内股になる。

「……グフフ、玉筋を鍛えているワシには効かぬ」

 学園長はまったくダメージを受けていない。

「ええ! 男子ってそうなの?」

 由良は春樹に訊いた。

「ないよ! そんな筋肉ないから!」

「まあいいわ、これならどう?」

 由良は懐から催涙スプレーを取り出すと、容赦なく学園長の顔に浴びせた。

「ぐおおおおお……ホッホッホ、眼筋を鍛えたワシには通じない」

「バケモノめっ! でもこれなら!」

 由良はスタンガン付き特殊警棒を取り出すと、出力を最大にした。そして警棒の先を、学園長の首に当てると、容赦なくスタンガンのスイッチを入れる。熊ですら昏倒させられる電撃を受ける筋肉男爵。

「ウソでしょ……」

 しかし筋肉男爵はなんでもないようにその場に立っていた。

「ガハハハハ、エレ筋を鍛えているワシには効かぬわっ!」

「どんな筋肉よっ!」

「筋肉! イズ! パワー!!」

 学園長は叫びながら向かってくる。

「あぶないっ!」

 春樹は由良に体をかぶせて筋肉男爵のタックルをよける。筋肉男爵はそのまま壁にぶつかりひび割れを作った。

「ぐっふっふ。しょせん女は男に守られないとなんにもできないなあっ!」

 筋肉男爵は二人を見下ろしながら叫んだ。

「なんですって!」

 再び立ち向かおうとする由良を春樹は手で制した。

「どうして智也くんにあんなことをさせたのですか?」

 そして、筋肉男爵を睨みながら訊いた。

「智也ぁ? 誰だそれはぁ?」

「あんたがレオタードを着せて小坂さんを襲わせた子よ」

 今度は由良が叫ぶ。

「ああ、あのガリガリか。ちょっと鍛えてやったら、やたら懐いてきたから使ってやっただけだ。奴隷をどう扱おうが俺の勝手だろ?」

「奴隷? 智也くんはあなたのことを……あなたのことを……」

「なんだ? あいつに惚れているのか? ならお前に譲ってやろうか? ガハハ」

 親より愛してくれた。そういっていた智也のことを思うと、筋肉男爵の言動は許せなかった。

「うわあああああっ」

 春樹は筋肉男爵に向かっていき、拳や蹴りを滅茶苦茶に食らわせた。しかし……。

「女なんかとつるんでいるから、そんな弱々しい攻撃しかできんのだっ!」

 筋肉男爵に片手で弾き飛ばされた。

「冷静になりなさい」

 由良は春樹に駆け寄り声をかけた。

「はい……すみません」

「次は二人でいこう」

「はい」

 二人を気にした様子もなく、筋肉男爵はポーズをとっている。

「見ろよこの筋肉を。女にこの美しい筋肉が作れるか? 男の筋肉こそ美の極み」

 筋肉男爵はグッと筋肉を盛り上げた。

「学園長! いや、筋肉男爵! 僕はあなたを許せないッ」

 春樹は構えをとると、ゆらりと流れる動きで筋肉男爵に迫る。

「キモイのよ! 筋肉お化け!」

 由良も警棒片手に向かっていった。

「ハアッ」

「やあっ!」

 二人同時に攻撃が入る。

「ガハハハハ、無駄無駄ァ!」

 しかし春樹の掌打も由良の警棒もモノともせずに、両腕を伸ばしたダブルラリアットで二人を弾き飛ばした。春樹も由良もバックステップで威力を相殺しようとしたが、インパクトの瞬間、筋肉が盛り上がり、そのタイミングを奪われた。

二人は飛ばされ、したたかに全身を壁に打ちつけられた。

「クッ、由良さん、大丈夫ですか?」

「ん……大丈夫」

 由良は苦しそうな顔をしていたが、すぐに笑顔を見せた。強い人だ。春樹は由良のことを本気でそう思った。

「弱い弱いッ! お前らただで済むと思うなよ? 女は素っ裸にしてグラウンドに晒してやる。男は卒業するまで俺のペットとして飼ってやるぞ。ガハハハハ」

「ゲスが」

 由良は吐き捨てるようにいった。

「由良さん」

 春樹は由良に耳打ちする。

「なに?」

「筋肉の鎧を通して攻撃できる技があります。だけど、パッションを練るのに少し時間がかかります」

「か弱い乙女に囮になれっていうの?」

「信頼してますよ」

「ふふ、しょーがないなー。ちゃんと決めてよ?」

「はいっ」

 由良はひとり、筋肉男爵の前に立ちふさがる。

「くらえっ」

 由良はどこからか取り出したロープを鞭のようにあつかい、まる生き物のように筋肉男爵の体に絡みつかせる。筋肉男爵はあっという間に全身を縛られた。

「フンッ」

 しかし全身の筋肉を盛り上げるだけで、易々とロープを引きちぎった。

「そんな、特殊繊維で編んだロープなのにっ」

「ガハハ、その程度か?」

「まだまだよ!」

 由良は得意の蹴り技で応戦する。しかし、筋肉男爵にはまったくダメージがなかった。

 二人が戦っている中、春樹は両腕をゆっくりと動かしながら、体の前で球を作るような動きをする。全身のパッション=気を集める動きだ。

「……クッ」

 だが、気持ちが焦りうまく集められない。勇を、そして智也をあんなに傷つけた悪党。絶対に倒さないと。そう思う。しかし、そう考えて焦れば焦るほど手の隙間から集めた気が逃げていく。練習では何度も成功した技だった。それなのに、いまこそ必要なときなのに、うまく出来ない。

 いつもそうだった。この技に限らず、実戦では冷静さを失い失敗ばかりだ。

「スゥゥゥゥ……ハァァァァァァ」

 大きく深呼吸をして、もう一度気を集める。

「キャアッ」

 しかし、由良の悲鳴にせっかく集めた気がまた消えていく。

 春樹は由良を見た。悲鳴こそあげたものの、まだ無事だ。早くしないと由良が危ない。そう思うとよけいに気が集まらない。

 師匠……春樹は心の中で師匠の言葉を思い出す。

『実戦ではゆっくりパッションを貯めている余裕なんぞないぞ?』

 師匠はそういっていた。春樹はどうすれば実戦で使えるのか訊いた。

『お前は気といっておるが、パッションじゃ。内からわき出すパッションを集めるのじゃ』

「パッションとはなんですか?」

『パッションとは情熱、怒り、魂。そういった内からわき出るエネルギーじゃ。そして究極のパッションとは……愛じゃ』

「愛……」

 春樹はつぶやいた。

 愛とはなにかなんてわからない。わからないけど……春樹は由良を見た。春樹を信じて必死に戦ってくれている。初めてのミッション。由良がいなかったらここまでたどり着けなかっただろう。何度も助けられ、励まされてきた。由良がいたから……。

 守らなきゃ。そう思う。筋肉男爵を倒すことより由良を守ること。それこそがいま春樹がやるべき唯一のこと、唯一の願いだった。

 その思いに至った瞬間、全身に力がみなぎり両手に気が集まるのがわかった。


「どうしたどうした? やはり女はその程度か?」

 筋肉男爵は余裕の表情で由良を煽る。

「クッ、どうしてそんなに女をバカにするのよ?」

「じっさいバカだからだろーが! この学園の牝ガキどもをみてみろ? 面倒な委員や生徒会は男子がやってくれる。怒られるのは男子ばかり……そんな表面上の優遇に満足して、本質にはなんにも気づいておらん」

「男子優遇の推薦とかってこと? あんたこそバカでしょ。そんなのって性別関係なく、大人が子供を騙しているだけのことじゃない」

「黙れ牝ガキッ!」

 筋肉男爵の巨体が由良に迫る。

「女が男に勝てるわけないだろ!」

 勝ち誇った顔で、筋肉男爵は拳をふるった。

「わたしだけならね。でも、わたしたちなら!」

 由良は大きくバク宙をして拳を避けた。

「なにぃ?」

 由良と入れ替わるように春樹が現れる。

「くらえっ、蒼馬神拳究極奥義ッ! 奥・深・山ッ!」

 トン。軽く手のひらで筋肉男爵の胸を触ったように見えた。

「なんだそれは? 蚊に刺されたくらいにも……ブホッ!」

 目と鼻と口と耳から血が噴き出した。筋肉男爵はよろよろと後ろによろめきながら自慢の筋肉がしぼんでいく。凝縮した気が筋肉の鎧を通過すると、内部で爆発して破壊したのだ。

「う、うーん……」

 すっかりしぼんだ筋肉男爵は、カエルがひっくり返ったように倒れた。だが、まだ意識はあるようで手足をばたつかせている。由良はそんな筋肉男爵に近づくと、大きく右足を引いて。

「男も女も……なめるナッ!」

 金的。筋肉男爵は泡を吹いて気絶した。

 春樹は由良に出会って何度目かの股間を守る姿勢になった。

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