第3話 暴虐! 風紀委員


 翌朝。また風紀委員が校門で検査をしていた。その様子は前のときより真剣だ。

 週に一回あるかないかの検査がこうもすぐに行われたのは、昨夜、由良が倒した風紀委員の件が関係しているのだろうと春樹は思った。

 前に勇に絡んできたメガネの風紀委員が近づいてくる。

「おやぁ、槌谷春樹くんじゃないか。へへへ、今日はお前を検査してやる。ほら、自分でスカートをあげろ」

「春樹くん……」

 心配そうな勇と智也。春樹は二人に笑顔見せると、おもむろに自分のスカートをめくりあげた。白い女性用のパンツが露わになる。

「どうぞじっくり見て下さい」

 堂々とした態度の春樹に、メガネの風紀委員はつまらなさそうだ。

「チッ、もういい。いけ」

「はい、ご苦労様です。さあ、教室にいこう」

「う、うん」

「春樹、なんか昨日の夜から変わったなあ」

「そうかな?」

 答えた春樹は余裕の表情をしていた。

 由良の存在が春樹に勇気と、そして余裕を生んでいた。元々実力のある春樹は、余裕が生まれ、冷静になることで本来の力を発揮するのだ。


 教室につくと、すでに由良は席にいた。

「由良さん、おはよう」

「おはよう、春樹くん」

 二人は微笑みながら見つめ合う。

「なんだぁ? なんか怪しいな」

 智也が茶化すと春樹は照れ笑いをして、由良は頬を赤らめてプイッと横を向いた。そんな二人を見て勇も笑う。笑う勇を見て春樹は嬉しくなった。


 昼休み。春樹は智也に冷やかされながらも由良を誘って二人きりになった。中庭までやってくるとベンチに腰を掛け、学食から持ってきた昼食のサンドイッチを頬張る。そして近くに人がいないのを確認してから由良に話しかけた。

「由良さんは、なにかこの学園の問題を掴んでいる?」

「うーん、まずは春樹くん、キミの掴んだ情報とか思ったことを教えてくれる?」

「うん。でも、これといったことはまだ……風紀委員が怪しいと思うってことくらい」

 由良は自然とフランクな言葉遣いで話す春樹を少し感心しながら聞いていた。敬語はもともとの癖なのだから、いまも意識してしゃべっているのだろうと思ったからだ。

「わたしも同じよ。まだクラスメイトとか女子の顔見知りにしか聞き込みはしていないけど、この学園で風紀委員だけがどうも怪しい存在みたい。ただ……」

「ただ?」

「男子生徒は今朝の春樹くんみたいに結構ひどいことをされているみたいなんだけど、女子生徒はほとんど被害を受けていないみたいなの」

「それは……ジェンダーフリーと関係があるのかな?」

「わからないわ。ただ、わたしは違う気がする。昨日の夜のこともそうだけど、男子の、特に女子から見てもかわいいくらいの子が被害を受けているみたい」

「……なるほど」

 勇の顔を思い浮かべて春樹はうなずく。

「まずは風紀委員を調べるのがいいみたいだね」

「そうね。ねえ、花岡くんは特に被害が多いみたいだから注意して欲しいけど、何かあっても正体を明かすのはよく考えてからにしなさいよ?」

「うん、心に刻んでおくよ」

 勇の辛そうな顔を思い出して、春樹は力強くうなずいた。

「ふふふ、なんだか急にたくましくなったね」

「そ、そう? たぶん、由良さんという仲間がいるとわかったからだと思う」

「そっか、でも」

 由良はハンカチを出して、春樹の口元についていたマヨネーズを拭き取った。

「前ばかり見て、口元をおろそかにしないのよ?」

「あ、ありがとう」

 春樹は照れくさそうに笑った。


 目的が決まれば春樹の動きは早かった。風紀委員を中心に、本格的な調査を始める。まずは聞き込みだ。

「風紀委員か? あいつらウゼーよな。同じ生徒のくせにやたら偉そうだし」

「うーん、僕は嫌いだな。やたら体を触ってきたり、スカートをめくらせようとするし、なんだか気持ちわるいんだよね」

「ん、ぼ、ぼくはよくわからないです」

 男子生徒のほとんどは風紀委員を嫌っていた。中には怖がって話したがらない男子生徒までいた。

「え? 風紀委員? うーん、別に気になるところはないかなぁ?」

「男子は時々呼び出しをされているけど、別にウチらは検査とか呼び出しはされたことないよ」

「風紀委員? 話したことないからわかんなーい。それより春樹くんって由良さんとつきあってるの?」

 クラスの女子生徒に訊かれて、春樹は笑って誤魔化しながらその場を去った。女子生徒はまったくといっていいほど風紀委員から指導も被害もうけていなかった。そして、そのことについてはある男子生徒からこんな意見もあった。

「ほら、この学園ってジェンダーフリーを掲げているじゃん? でもジェンダーフリーって結局さ、女子を優遇するってことだろ? 制服だって女子は男子の制服を着ても別に普通だけど、男子はただ恥ずかしいだけじゃん。やたらセクハラするのだって、女子の気持ちをわかるようにーとかって意味があるんじゃないの?」

 春樹はなるほどと思いつつ、やはりどこか違和感があった。ジェンダーフリーといえば本来は男性と女性との差をなくすということだが、レディースデーや企業幹部に一定人数の女性を採用することを強要など、なぜかジェンダーフリーの名の下に女性優遇の話題ばかりが目立つ。

 この学園でも風紀委員が男子生徒だけ厳しく指導をしていたり、男子に女子の制服を着せることやセクハラ行為は、偏ったジェンダーフリー教育なのかとも思った。

 しかし春樹は、なにかが心に引っかかっていた。そんな単純な問題なのだろうかと。まだその違和感の正体はわからない。だから調査を続けるしかなかった。


 次に春樹は、風紀委員の担当教師である村上を調べた。体格が良く角刈りに黒いジャージ姿。他の教師とは違い、言葉遣いも男のままだ。体育と生活指導を兼任しており、部活でも柔道部とバレー部の監督を兼任していた。

 男性も女性も穏やかな教師が多い中で、村上はよく怒鳴り声をあげていて、生徒たちから恐れられていた。

 生活指導担当だから、ある程度は怖がられる必要はあるかもしれないが、それにしても一部の男子生徒からは、村上の話題すら嫌がるほど怖がられていた。

 それとなく村上の動向を探ってみたが、風紀委員と同じく男子生徒には厳しいが、女子生徒には軽く注意する程度で、怒鳴るようなことは滅多になかった。


 続いて春樹は担任の野村に話を聞きにいった。

「え? 風紀委員と村上先生?」

「なんとなく男子だけに厳しい気がするのですが。それに、校門での服装チェックですが、みんなが見ている前でスカートをめくれとか、違反者は物差しで叩くとか、少しやりすぎだと僕は思います」

「そう、そっかぁ……。うーん、どう説明したらいいのかわからないけど……」

 野村は困った顔を見せる。

「槌谷さんは転校生だから特にそう思うかもしれないけど、この学園がちょっと特殊なのはわかるわよね?」

「はい」

「例えば制服を逆にしていることとか、私たち教師は服装だけじゃなくて言葉遣いも逆にしているのに違和感があると思うの」

「ジェンダーフリーというのなら、服装については自由にするとか、同じ制服にするのが普通かと思いました」

「ふふふ、そっか。槌谷さんは頭がいいのね」

「いえ、そんなことは……」

「ジェンダーフリーの根本にあるのは、女性の地位向上というのはわかるわよね? 日本に限らないけど基本的に世の中は男社会だから。例えば昔は女性に参政権がなかったのはもう習ったわよね?」

「はい」

「だからこの学園はね、男子に女子の立場を理解してもらうというのが基本方針なの。普通の学校でも、男子は多少の服の乱れは元気があってよろしい。でも女子の場合は厳しく注意されるなんてなかったかしら?」

「そう……かもしれません」

 あまり普通の学校を知らない春樹は曖昧に答えた。

「もちろんそれは女子を守るため、服装の乱れや生活の乱れは悪い男を呼び込むからというのもあるのだけどね。だからね、男子が女子の制服を着て、セクハラやちょっときつい罰なんかも、女子が男子に感じている不快感や恐怖をわかってもらうためにやっているのよ。もちろんそれは風紀を乱す生徒に対してだけ。それを風紀委員が嫌われ役としてやっているの」

 野村の話はやや強引ではあるものの、まったく筋が通っていないというわけではない。相手の立場になって考える。特に人権問題については、それが基本だ。

 でも、それにしては勇を始め、素行不良より趣味が優先されているのではないかと思う。

 いくつかの反論が浮かんだ春樹だが、学園の方針を信じているらしい野村にこれ以上の反発や聞き込みは不信感を与えると思った。諜報員としては、あくまで目立たず活動することが大切なのだ。

こうして数日間の調査を終えて、春樹は再び由良と二人きりになった。

「あんなに堂々と手を引っ張られると、誤解されるじゃない」

 昼休み、教室から手を引っ張って連れ出した春樹に、由良は赤い顔をして抗議した。

「ごめん、つい」

「まあいいけど。それで、調査はどうだった?」

 二人は前と同じく学食でパンを手に入れて、中庭のベンチに来ていた。

「やっぱり風紀委員は変なところが多いみたいだね。やけに優遇されていて、風紀委員がたむろしている生活指導室は豪華なソファーや絨毯が敷かれているみたいだし、風紀委員の担任をしている村上先生にしても、一人だけ男の格好や口調も許されているし」

「村上先生のことは、わたしも最初は生活指導の先生だから強面を維持しているのかと思っていたんだけど、そうじゃないみたいね。風紀委員の横暴は先生たちも気づいているみたいだけど、黙認しているようだし」

「そうなんです。野村先生はこの学園のジェンダーフリーの方針、つまり、男子生徒に女子の気持ちをわからせるために、あえて男子ばかり厳しくしているといっていたけど……」

「それが変なんだよね。ジェンダーフリーをわざわざ学校名に掲げているくらいなのに、肝心のジェンダーフリー教育がいまいちというか」

「僕も、もっと真面目な内容だと思っていまし……いたんだ。確かに女性が迫害されてきた歴史はあるし、いまでも男女差があるのはわかるけど、だからこそ男子優遇でも女子優遇でもない本当のジェンダーフリーが大事だと思うんだ。でも、この学園がやっていることは真逆で、ジェンダーフリーからかけ離れていると思う」

 二人はしばらく無言で見つめ合っていたが、由良が先に口を開いた。

「まだまだなにかがありそうね」

「そうだね、でもいったいどうすれば……」

 春樹は頭をかかえる。

「うーん、実際に生活指導を一度受けられたらいいのだけど」

「それだ!」

 春樹は思わず大きな声を出した。

「え?」

「僕が呼ばれるように、やってみます」

「ええ? 春樹くんが? 大丈夫?」

「もちろん」

「ん……よし、がんばれ」

 そういって由良は、ポンと春樹の背中を叩いた。初めてのミッションである春樹を由良なりに応援しているのだ。


 とはいえ、バカがつくほど真面目な春樹には、生活指導室に呼ばれる方法なんて思い浮かばなかった。春樹なりに考えて、その結果。

「な、なんだよぅ、ジロジロと俺を見てさ」

 寮の大浴場で、タオルで前を隠しながら照れる智也。昼休みからずっと春樹は智也を観察していた。知人の中で純粋に風紀委員に目を付けられているのが素行不良の智也だと思ったからだ。

 授業中も、休憩時間も、夕食のときも、そして風呂場でも。

「智也くんって、結構いい体をしているんだね」

 まるでスポーツ選手のように腹筋も割れて全体的に引き締まっている智也の体を、春樹は触りそうな勢いで見ている。

「おいおいおいっ」

 智也は逃げるように湯船に入った。

「ふぅ、まったく……」

「染めているのに、艶があって綺麗な髪だね」

「わああああああっ」

 音もなく後ろから髪を触る春樹に驚いて、智也は飛び上がった。

「なんなの? そうなの? 兼高さんにふられたの?」

「由良さんとは仲良くしているよ」

「だったらなに? 俺はおつまみかなにか?」

「智也くんのいっていることがわからないな」

「俺はお前がわからなくなってきたよ……」

 こうして智也を観察した春樹は、翌朝、二人に先に登校してもらって部屋に残った。

 大鏡の前。春樹はカツラの髪型をいじり、制服を着崩した。そして、一限目の授業が始まってから校舎に向かった。

「チーッス」

 教室のドアを勢いよく開けて元気よく挨拶をした。

 カツラの長い髪を逆立て、コック帽のようになっている。制服は胸元をざっくりと開けて、スカートはパンツが見えないギリギリまで短くしていた。

「つ、つ、つつ、槌谷さん、そ、その格好はいったい……」

 教壇に立っていた担任の野村は目を白黒させている。

 由良は最初呆気にとられていたが、すぐにケラケラと笑い出した。

 自分を観察していた理由を察した智也は、その結果を見て頭を抱えていた。

 突然の春樹の変貌に野村もクラスメイトも困惑していたが、どう触れていいのかわからなかったので、野村はかるく注意をするだけで授業は続けられた。

 そして一限目が終わると、勇と智也が席までやってきた。

「春樹、お前、俺のことをいったいどういう目で見てたんだよ……」

「いや、別に智也くんは関係ないよ」

「ウソつけ。生活指導室に呼ばれるためだろ? だからってお前、俺を参考にした結果がそれって……兼高ちゃん、笑いすぎ」

 由良は春樹を見るたびにケラケラと笑っている。

「だって……クク……笑わせにきてるじゃない。くふっ」

「俺も笑いたいけど、参考にされてこれだと思うとなあ」

 智也は笑うに笑えず不満顔だ。

「は、春樹くん、本当に生活指導室にいくつもり? やめたほうがいいよ!」

 勇だけは真剣な顔で春樹を止めていた。

「勇くん、心配しないで。ちゃんと考えがあるから」

「でも……」

「勇、好きにやらせてやろうぜ」

「智也くんまで! だって」

 智也は勇の肩を抱いて耳元でささやく。

「勇、大丈夫だって。こんなあからさまなの、あいつらも警戒するだろ?」

「それは……でも」

「春樹は自分だけ生活指導室に呼ばれていないことを気に病んでいるんだよ。下手に止めてもっと暴走されるよりはいいだろ?」

「……うん」

 勇は心配でしかたなかったが、智也に説得されて渋々諦めた。

「春樹くん、本当に本当に気をつけてね?」

「大丈夫。僕はこう見えても強いから」

格好とは裏腹に、春樹はキリリとした表情で答えた。


 噂が流れたのか、風紀委員はお昼休みになるとすぐに数名がやってきた。その中には嫌味な顔をしたメガネの風紀委員もいる。

「おいおい、ずいぶん舐めた格好をしているじゃないか、一年」

 メガネの風紀委員はどこか嬉しそうだ。

「そう思いますか?」

「ふん、そのすました顔もいつまでもつかな。生活指導室までついてこいよ」

 春樹は素直に風紀委員についていく。生活指導室の前まで来ると、メガネの風紀委員は振り返り、春樹に顔を見て、つぎに体を舐め回すように見て、最後に舌なめずりをした。

「たっぷり指導してやるよ」

 メガネの風紀委員は生活指導室の鍵を開けて、ドアを開ける……その手前で声をかけられた。

「待って、彼をどうするつもり?」

 凛としたよく通る声。全員が振り向くと、そこにはスラリと背が高く、黒く長い髪の美人が険しい表情で立っていた。風紀委員の委員長、小坂だ。

「委員長、これは……見たとおり、あきらかに違反した格好です」

「彼のことを覚えています。確かルームメイトが呼び出されて体調を崩したんだよね?」

「は、はい」

 意外な人物の登場に、春樹も動揺していた。

「ルームメイトがどんな指導を受けたか調べにきたんじゃない?」

「それは……」

 春樹は言葉に詰まる。すっかり見透かされていたようだ。

 小坂は険しい表情から申し訳なさそうな顔になる。

「ごめんなさい。委員長の私の管理がなっていないからだよね? ちゃんと彼らと話しをして注意するべきことは注意するから、元に戻ってもらえないかな?」

「いえ、そういうことではなくて……」

「うん、あなたのいいたいことはわかるよ。でも、この学園はジェンダーフリーを掲げているから、ちょっと特殊な部分があるのはわかるよね? 風紀委員が少し怖がられているのも、それが関係しているから」

「そう、ですか……」

 春樹としては風紀委員の実態を調査するつもりだったが、小坂の真摯な態度に逆らうことは出来なかった。

「この子は私が面倒を見るから、あなたたちは教室に戻りなさい」

「でも委員長」

「なに?」

 メガネの風紀委員は小坂のひと睨みで黙って従った。春樹は小坂に連れられて更衣室に行くと、カツラを直し、制服もちゃんと直した。

「槌谷春樹くん……キミは最近この学園に転校してきたんだね」

 更衣室の前で待っていた小坂は、どうやら他の風紀委員から春樹のことを聞いていたようだ。

「はい」

「そっか、それで……この学園のこと、変に思ったでしょ?」

「あ、いえ、そういうことではなくて……」

「ううん、わかってる。でも、もう少しだけ我慢して。この学園が良くなるように、私も頑張っているから」

「……はい」

 小坂は真剣だった。その熱意に負けて、春樹は風紀委員、そして生活指導室の調査をいったん諦めざるをえなかった。


 その日の夜。春樹は由良と人のいない場所で会っていた。

「そっか、小坂さんに止められちゃったのね」

 由良は仕方ないという表情だ。

「あまりに真剣だから、どうすることも出来なくて」

「でもそれって、風紀委員の悪事を調べられると思って止めたのかも?」

「そういう風には見えなかったけど……風紀委員の委員長だから、そうかもしれないけど」

「なんでもかんでも疑うのは嫌かもしれないけど、それが私たちの仕事だからね」

「……はい。でも、これで生活指導室に入るのは難しくなってしまいました」

 真剣に考えているからか、春樹はつい癖の敬語が出てしまっているが、由良は咎めなかった。

「とにかく風紀委員と、それに小坂さんも調査を続けるしかないわね」

「わかりました。せっかく面識ができたので、僕は小坂さんを探ってみます」

「私は風紀委員と村上を調べてみるわ」

「お願いします……」

 春樹の表情は暗い。あれだけ自信を見せて挑んだ生活指導の調査があっさりと失敗に終わったからだ。

「うーん、ねえ、春樹くん、ちょっと歩かない?」

 そんな春樹の表情に気づいて、由良は散歩に誘った。

「え? あ、はい」

 もうすっかり暗くなっているので、部活で残っていた生徒もほとんどいない。それでも二人は人のいない場所を選んで歩いた。

 会話は少ないまま、由良に誘われて校舎に入った。静かで、蛍光灯はついているが、どこか薄暗い。昼間は沢山の生徒で賑わう廊下や教室も、いまは誰もいなかった。

「夜っていいよね。世界にわたしたちだけみたいに思えて、自由な気持ちになれるから」

 由良はそういって微笑んだ。

「由良さん……夜になるとポエムが出てくるんだね」

「改めていわれると、ちょっと恥ずかしいじゃない」

「でも僕は好きだよ」

「ちょっと、もう……」

 真剣な眼差しの春樹にいわれて、由良は頬を染める。

「わたしね、初めてのミッションのときに、すごい失敗をしちゃったんだ」

「ええ? ゆ、由良さんが?」

「ふふ、ビックリしてくれてありがとう。でもね、その失敗があったから初めてのミッションは成功したの」

「失敗したのに?」

「ううん、失敗したからこそよ。だからね、こう思うの。全部が終わったときに笑顔だったら……途中の失敗も含めて、それが正解だったんだって」

「全部が終わったときに笑顔だったら……なるほど……」

「春樹くん、まだまだミッションはこれから。失敗の一つや二つで縮こまらないのよ?」

「……はいっ。ありがとう由良さん」

 春樹は笑顔を見せる。

「ん。いい顔になった」

 由良も満足そうな顔をして微笑んだ。


 生活指導の実態調査は失敗した春樹。今度は失敗しないと心に決めて、風紀委員の委員長、小坂の調査を始めた。

 容姿端麗。背がスラリと高く、男子とは思えない凛々しくも美しい顔立ちは、長いカツラの女装も相まって、女子からも男子からもお姉様と憧れられている。

 頭脳明晰。学力は学園一を誇り、生徒会長よりも信頼と実力を持っている。

 文武両道。スポーツ万能で、古武術の実力者でもあるらしい。

 さらに父親は大きな企業の社長で、母親は有名なデザイナー。調べれば調べるほど小坂のすごさが実感できた。

 風紀委員にしても、小坂は一年生のときから所属しており、他の風紀委員は悪い噂を聞くが、小坂に限っては一切悪評を聞かなかった。それどころか、風紀委員の悪のりをたしなめて、時には村上の過剰な説教を止めることもある。まさに完璧な人間だった。

 小坂の表面的な人となりや肩書きはわかった。問題はその内面だ。これ以上の調査をどうするか、色々と考えたが真面目な春樹は真っ正面からぶつかることしか思いつかなかった。

 放課後。三年生の教室が並ぶ廊下で特徴的な長い黒髪を見つけると、春樹は駆け寄って声をかけた。

「小坂さん」

「ん? 槌谷くん?」

 振り返った小坂は、すぐに春樹に気づいた。

「どうしたの? また風紀委員になにかされた?」

「いえ、ただちょっと話しがしたくて」

「そう。いいよ。じゃあ生活指導室に行こうか」

「え?」

「あの中を見たかったんでしょ?」

 小坂は怪しく笑った。一瞬警戒した春樹だが、これはチャンスだと思い素直についていった。初めて生活指導室に入ると……。

「これは……」

 思わず絶句した。床に敷かれたふわふわの絨毯は相当高価なものだとわかる。置かれているテーブルとソファーもかなりの高級品だ。

 生活指導室とは名ばかりの、まるで高級ホテルの一室のような豪華さだ。

「こ、これはいったい……」

「驚いた? これが風紀委員の実態」

「どういうことですか?」

「優遇されているってことだよ」

 そういった小坂の顔は悲しみとも怒りともつかない表情をしていた。


「はい、紅茶だけど」

「ありがとうございます」

 春樹は小坂の入れた紅茶のカップを受け取ってお礼をいった。小坂は自分のカップを持って春樹の正面のソファーに座ると、自身が入れた紅茶の香りを嗅いで一口飲んだ。

「槌谷くん」

「はい」

 小坂はジッと春樹の目を見ている。

「槌谷くんはジェンダーフリーについて、どう考えているの?」

「ジェンダーフリーですか?」

 予想外の質問だった。

「この学園のってことじゃなくて、槌谷くん自身が思うジェンダーフリーのこと」

「僕自身ですか……」

 春樹は考える。この学園の資料を受け取ったときから、そのことは何度も考えていた。ただ、それをこの場で素直に話していいのか迷っていた。

 春樹は文部科学省から派遣された諜報員だ。自分の意見などあっていいのか? 諜報員として無難な言葉で誤魔化すべきじゃないのか? そう思う。

 小坂を見ると、まだ真剣な眼差しで春樹を見つめている。春樹は姿勢を正した。きっと間違っている。それでも春樹は、真剣な小坂に真剣に答えたかった。

「僕はまだこの学園にきてそれほど経っていません。だから、短い期間で考えただけの意見ですが」

「いまの素直な槌谷くんの意見が聞きたい」

「僕は……僕は男女に差があるのは当然だと思っています」

「へえ」

 小坂は少し驚いていた。真面目で優しそうな春樹から、そのような意見が出るとは思っていなかったからだ。

「確かに権利……選挙権などは同権であるべきです。でも、肉体的な差異は当然あると思っています。例えば、顔にちょっとした傷が出来ると、それは男性と女性で意味合いが違ってくると思います」

 小坂は無言でうなずく。たぶん、それに対する反論は出来たと思ったが、口は挟まずに春樹の意見を全部聞いてくれるようだ。

「筋力とかを別にしても、女性はどうしたって妊娠や出産のことを考えないわけにはいきません。ジェンダーフリー……本当にあらゆる面で平等にするべきだというのなら、科学技術が発達して男性でも子供が産めるようになって、そして、男性社会で作られた社会システムを一度リセットして、ちゃんと男女平等の社会システムを作り直してから、初めて総てを平等にといえるのだと思います」

「なるほど」

「僕は男だから男性側の意見しかいえませんが、重い物を運んだり、危険なことするのは男性がやって当然だと思っていますし、それが女性をバカにしているとか男性差別だとは思いません」

 多分に偏った意見だと春樹自身も思っている。しかし、母親が重い荷物を運んでいるとき、仕事人間で家庭のことなんて顧みない父親が、当たり前のようにそれを母親の手からとって運んだのを見たことがある。

 きっとそういうことだと思う。それでいいと思う。

「そっか……うん」

 小坂は微笑んでいた。

「古い考え方でしょうか?」

「ううん。私はね、最低限のラインはあるにしても、それ以上は個人個人の正義や考え方があると思っているよ」

 笑顔を見せた小坂は、またすぐに真剣な表情に戻る。

「槌谷くん、この学園のジェンダーフリーについてはどう思う?」

「……間違っていると思います」

「ハッキリいうね」

「それは……」

 春樹は言葉を止める。小坂を調べるつもりが、いつの間にか自分が調べられている。それに気づいたからだ。

「小坂さんはどうして風紀委員に入ろうと思ったのですか?」

 春樹は無理矢理話題を変えて、本来の目的である小坂の調査を始めた。

「最初はたいした理由じゃなかったよ。それこそ内申書が目的だったりね」

 小坂はイタズラっぽく笑った。とても男子とは思えない綺麗な笑顔だ。しかしすぐにその顔に憂いが浮かぶ。

「でも風紀委員に入って、すぐにその異常さに気づいた。いまと同じように、一部の男子生徒にセクハラまがいのことをしていたんだ」

「そんなころから……」

「私もね、槌谷くんと同じく変に思って、村上先生や学園長に直談判したのだけど」

「どうだったのですか?」

「そのときはうまく丸め込まれちゃった。槌谷くんも誰かにいわれたかもしれないけど、ジェンダーフリー教育の一環だとかなんとかね」

 それは春樹の担任である野村がいっていたことと同じだった。

「男性教師は女装して女性言葉だから、あまり怒ったりする役じゃないよね? だから村上先生が一手に怒る役を引き受けていたり、学園のジェンダーフリー教育の一環とはいえ、嫌われ役になっている風紀委員のために……この豪華な家具類は、そんな建前で与えられているんだよ」

「村上先生はわかりますが、生徒である風紀委員がそれっていうのは……」

「そうだよね。でも、風紀委員のみんなは楽しんでいる節があって、そういうのを改善するためにずっと風紀委員を続けて、ようやく委員長になれた。 ……いや、たぶん私の両親も関係していると思うけど」

「小坂さん……」

 春樹は困った顔になる。委員会の委員長は教師から指名されるが、小坂が委員長に指名されたのは、小坂の両親が有名人であることが多いに関係していると思っているのだろう。

「ジェンダーフリーを推進する学園だからって男女の差をなくせばいいってことじゃなくて、生徒間の差だってあったらいけないよね?」

「そうですね」

「だからね、風紀委員を、そしてこの学園のジェンダーフリー教育を変える。私はそのつもりで動いている」

「……」

 春樹は返す言葉がなかった。

「槌谷くん、あなたの気持ちはよくわかる。でも、もう少しだけ我慢して欲しい。風紀委員はともかく村上先生に目をつけられると、槌谷くんが嫌な思いをするかもしれないから」

「……わかりました。色々と教えてもらってありがとうございます」

 こうして小坂と別れて教室に戻った。話しをしてわかったことは、小坂はいままでと変わらない印象、つまり、優秀で尊敬できる先輩だということだった。


 放課後。小坂との会話を報告するため、陽もほとんど落ちた時間に春樹は待ち合わせ場所に向かった。

「由良さん、お待たせ」

 ひとけのない校舎の裏で、すでに由良は待っていた。

「春樹くん遅いって……後ろ後ろっ」

「え?」

 春樹が振り返ると……智也が由良を指さした格好で固まっていた。

「智也くん……」

「や、やっぱり付き合ってたのか! こんな時間にお前、こんな人のいない場所でお前、こんな美人とお前、くそうっ」

「や、そういうのじゃ……いや、そのなんというか」

 咄嗟に否定しようとしたが、そうするとどんな理由でこんな遅い時間にこんな場所で会っているのかという話になる。

 かといってつき合っていると認めるわけにもいかず、春樹はモゴモゴと口ごもった。

「やあねえ、ちょっとデートしているだけじゃない。ね、春樹くん」

 由良はそういって春樹に腕を組んできた。

「なっ、クソッ、やっぱりか!」

「……プ、プラトニックです」

 春樹はグルグルと目を回しながら、ようやく出せた言葉はそれだった。

「ふふ、いつまでそれがもつかなー?」

 由良は小悪魔っぽく微笑む。

「うあああああっ! 青春のばかやろおおおっ!」

 智也は頭を抱えて叫んだ。

「ねね、片桐くん、このことは誰にも絶対に内緒にしてね?」

「……チッ、わかってるよ。勇にも黙っていてやるけど、くそう、まあ美男美女のお似合いカップルだからなぁ」

 嫉妬混じりの目でそういって、智也は悔しそうに何度も振り返りながら去って行った。

「由良さん!」

「しょうがないじゃない。っていうか、つけられているのに気づかなかったの?」

「……あっ、はい。もちろん周囲には注意していましたが、まったく、はい……」

「そっか……まあいいわ。それより小坂さんはどうだったの?」

「はい、あの、その前に腕を」

 由良はまだ春樹に腕を絡ませたままだ。

「優秀な春樹くんが気づかない尾行で、まだ彼が見ているかもしれないじゃない」

「うう……はい。このまま報告します」

 春樹は照れながら小坂との会話と、生活指導室の豪華な内装を説明した。

「ふーん、小坂さんのいうことも筋は通っているわね」

「そうなんです。あ、そうなんだ。やっぱり僕には悪党には思えなくて……」

「固定観念に囚われるのはダメよ。かといって自分の勘を見過ごすのもダメ。いい? どっちの可能性も考えて動きなさい」

「……はい」

 結局、小坂に関しては新しい情報はないという報告になってしまった。

 由良が調べた風紀委員に関しては、二人が思っていた以上に酷い被害で、陰で泣いている男子生徒が何人もいるようだ。

「それにね、風紀委員の担当教師であるはずの村上だけど、風紀委員の横暴を注意しないだけじゃなく、一緒になって一部の男子生徒をいじめているって噂もあるわ」

「村上先生もですか? 担当教師として相応の責任はあるとは思っていましたが」

 由良の情報収集力に感心しつつ、強面でいい噂は聞かなかったが、それはあくまで生活指導としての役割だと思っていた村上の黒い噂に驚いていた。

「わたしたちが派遣されたこととは別件かもしれないけど、風紀委員の横暴に関してはもう少し証拠を集めて、学園に改善を求めましょう」

「そうですね。出来るだけ早くしないと……」

 風紀委員に目をつけられている勇の辛そうな顔を思いながら、春樹はつぶやいた。


 風紀委員対策に動き出した春樹と由良だが、まるでそれをあざ笑うかのようにその事件は起きた。

 休み時間、廊下で一人になったタイミングを見計らって、メガネの風紀委員が勇に話しかけてきた。

「おい、今日の放課後、またあの不良娘を連れて生活指導室に来い」

「……嫌です」

「おいおい、退学になりたいのか?」

 うつむいていた勇は真っ直ぐにメガネの風紀委員を見た。

「ぼくはもう覚悟を決めました。友達を売るくらいなら、退学届けを出します。そして、この学園で受けたことを全部いいます」

 あれから……智也を巻き込んでからずっと悩んでいた勇は、自分のためではなく大切な友達を巻き込まないために覚悟を決めていた。

「……てめえ、画像をばらまかれてもいいのか?」

「どうぞ好きにしてください」

 キッパリと言い切って、勇は教室に戻っていった。


 生活指導室。そこには村上に報告するメガネの風紀委員の姿があった。

「村上先生、あいつマジで舐めてますよ」

 先ほどの勇とのやりとりを、メガネの風紀委員はイライラしながら話した。

「生意気だな。どうやら再教育が必要なようだな」

「どうします?」

「自分がどれくらい無力か教えてやろう。俺にまかせろ」

 村上はニヤリと笑う。

 そして放課後。

「花岡さん、ちょっと来てくれる?」

 勇は野村に呼ばれて一緒の教室を出て行った。もしかしたら風紀委員か村上からなにかいわれて退学や奨学金の話をされるのかもしれない。覚悟は決まっているとはいえ、勇は不安そうに野村のあとに続く。

「え? ここは?」

 てっきり職員室に連れて行かれるのかと思っていたが、野村が向かった先は生活指導室だった。

「誰もいないから、中でちょっと待っていてね」

 野村にそういわれて恐る恐る生活指導室に入ると、本当に誰もいなかった。嫌な思い出しかないこの教室。勇はソファーには座らず立って待っていた。


「村上先生、花岡さんを生活指導室に連れて行きましたけど、直接呼び出すんじゃなくて、どうしてこんな遠回りなやりかたなのです?」

 少し離れた場所で、野村は困惑顔で村上に抗議をしていた。

「いやあ、どうも俺や風紀委員からの呼び出しは無視されましてね」

「そうなのですか? 花岡さんはそんなことをする子じゃないと思うのだけど……」

「ああ見えて結構反抗的なんですよ。じゃなきゃ一年生を何度も呼び出したりしませんよ」

「そうですか……あの、村上先生、風紀委員のやりかたに心配している生徒もいます。先生の存在の意味はわかっていますが、どうかほどほどでお願いしますね」

「わかっていますよ」

 そうして村上は、手下の風紀委員を連れて生活指導室に向かった。


 勇が不安顔で待っていると、コンコンと控えめにドアが叩かれた。ようやく野村が戻ってきた……と思い、開けられたドアのほうを見ると、村上と風紀委員たちがニヤニヤしながら入ってきた。

「よう、ずいぶん反抗的になったじゃねーか」

「村上先生……どうして……野村先生は?」

「ああ、知らないのか? 野村も他の教師も俺の命令で何でもするんだぜ?」

「そんな……」

 勇の心に絶望が広がる。見た目やしゃべり方はともかく、担任の野村は良い先生だと思っていたからだ。

「お前が誰になにをいおうが無駄だ。もちろん外でなにを話しても、この学園の教師は誰もお前を擁護しねーよ」

「そ、それでもぼくは、あなたたちの命令にはもう従いません」

 勇は勇気を振り絞って毅然と答える。だが、勇の抵抗もそこまでだった。

「いいぜ? 勝手にしろよ。お前がいなくなればあの不良娘と、槌谷だったか? もう一人のルームメイトを代わりにかわいがるだけだ」

「え?」

「ほら、とっとと出て行って退学届けを出してこいよ。ああ、もちろんいままで受けた奨学金は返せよ?」

「……うぅ」

「どうした? 行かないのか?」

 村上は勝ち誇った顔でいう。野村を利用して大人の味方は誰もいないと思わせる。そして、勇が逃げたり裏切ったりすると友達の智也や春樹に危害を加えると脅す。まさに卑怯な大人のやり方だった。

「まあ、俺も鬼じゃないからな。自分から進んで裸になって土下座でお願いするなら、俺に逆らったことを許してやってもいいがな」

 もはや村上に逆らう気力が勇にはなかった。自分はともかく春樹たちにだけは絶対にもう手を出させたくない。それだけが勇の願いだった。

 勇は制服に手をかけて脱ぎ始めた。そして全裸になると、その場で土下座をする。

「む、村上先生……グスッ……さ、さからってごめんなさい」

「ふーん、それで?」

「こ、これからは二度と、先生にも……風紀委員のみなさんにも逆らいません」

「そうか。まあ俺は心が広いからな。許してやろう。ほら、今日はもう帰っていいぞ」

「え?」

「ほら」

「ありがとうございます!」

 勇は制服に手をのばす。するとメガネの風紀委員が勇の制服を踏みつけた。

「あの、制服を……」

「制服と下着はあとで寮に届けてやるよ」

「え?」

「そのまま帰れよ。裸のままな」

「そんな……」

「おい、教室から追い出せ」

「いや! やめてくださいっ」

 力の弱い勇は抵抗虚しく、生活指導室から全裸のまま放り出された。

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