第1話 潜入! ジェンダー学園!



 東京から車で六時間。その学園は山奥といっていい場所に建てられていた。

『私立ジェンダー学園』

 恥ずかしげもなく掲げられた大きな金色の文字の看板。男女差別撤廃を掲げて設立された私立の高校である。全寮制で生徒は全員併設された寮に住んでいる。携帯電話やネットなど外部への通信は規制されており、特別な許可を受けた者しか外出も面会も出来ない。

 この閉ざされた世界で何らかの犯罪行為がおこなわれている。そんな情報を得たものの、学校という特殊な空間への捜査は難しく、外から手が出せなかった。

そんな学園を内部から調査するために、全国の学校を所轄する文部科学省から、春樹は諜報員として派遣されたのだ。


 学園の門には人の良さそうな女性教師が待っていた。年齢は30歳前後とまだ若く、短くまとめた髪にシュッとしたパンツスーツ姿だが、垂れ目で優しげな表情をしているその女性教師は、スカートなど女性らしい格好のほうが似合いそうだと思った。

 女性教師に案内されて、学園長室に連れて行かれた。私立だからかやけに広い、教室の半分はありそうな大きな部屋だ。半分は机や棚、それに来客用のゆったり座れそうなソファーとテーブルが置かれていたが、残りの半分は何もない、ただ絨毯が敷かれている空間だった。

「まあまあ、あなたが新しくうちの生徒になる槌谷春樹さんね」

 女性教師から学園長と紹介された男性は、身長は大きい、二メートルはあろうかという大きさだった。顔は厚い化粧をしており、やけに赤い唇が目立つ。白髪の長い髪は団子状に一つにまとめていた。何より気になったのは、その衣服だ。落ち着いた柄のドレスに黒いタイツ姿。それは、紛れもなく女装だ。

「この服装が気になる?」

「え、ええ、まあ」

「うふふ、そうよねぇ。でもね、この学園は性差をなくす活動の一環として、男女の服装を逆にしているのよ」

 学園長は服装だけでなく、言葉使いも女性のものだった。ただ、その声は年相応以上に野太かった。

「まずはあなたにも、この学園にふさわしい格好をしてもらうわ。先生、お願いします」

「はい」

春樹と女性教師は学園長室をあとにした。


 春樹は女性教師に更衣室に案内されると、紙袋を渡された。

「中で着替えてちょうだい。なにかわからないことがあったら、ここで待っているからなんでも訊いてね」

「はい、ありがとうございます」

 春樹は更衣室に入って紙袋から中身を取り出す。学園の制服と、他にも色々な小物が用意されていた。その中には何故か長い髪のカツラも入っていた。

「これは……」

 困惑顔の春樹が手に取ったのは、女性用のパンティだった。白い生地にワンポイントだけ小さな赤いリボンのプリントがされているその下着は、とても小さく、まるで人形の衣装みたいだと思った。

 女性用の下着を着けるべきか一分ほど悩んだが、真面目な春樹は着替えることを選択する。誰もいない更衣室でも周りを気にしながらズボンとパンツを素早く脱いだ。あまりにも小さい女性下着をちゃんとはけるのかと心配しながら足を通す。下着は信じられない柔軟さで春樹の股間にフィットした。

 上着は黒い男子学生服のままで、下半身は女性下着だけの姿。白く無毛の脚が二本スラリと伸びている。股間のふくらみさえ気にしなければ、まるで上半身と下半身で男性と女性に別れているようにも見える。

「うぅ……」

 妙に恥ずかしくなり、早く着替えを済ませようと急いだ。上着を脱いで上半身裸になり、用意された女子生徒の制服に伸ばした手が途中で止まる。

 そこにはもう一つ下着があった。ブラジャーだ。

 春樹は下着とお揃いらしい白いブラジャーを手に取る。その存在は知っていたが、本物を触るのは初めてだ。

 春樹には母や姉妹がいるが、躾の厳しい家庭だったので、家族とはいえ下着姿でうろつく者など一人もいなかった。

 春樹はブラジャーの構造を調べると、おもむろに肩紐を通す。両手を背中に回してホックを留めようとしたが、なかなか留まらずに焦る。焦れば焦るほどよけいにうまくいかなかった。

 しばらく格闘してなんとかホックを留めると、女性用パンツとブラジャーだけの姿の春樹がそこにいた。

 元々中性的で美しい顔立ちなので、男子生徒が見たら興奮してもおかしくない姿だ。

 自己嫌悪に陥りながら、これも任務だと着替えを続けた。制服は赤い紐リボンのある凝ったデザインで、スカートは短めだった。

 最後に用意されていたカツラもかぶってみた。背中まである長い髪のカツラだ。

着替えを終えて設置されていた大きな鏡で自分の姿を確認する。背丈こそ平均的な女子より高いが、細身で中性的な顔立ちの春樹は女子生徒そのものになっていた。


「あら、いいじゃない」

 女性教師はうっとりとした顔で女装姿の春樹を見て褒めた。お世辞ではなく本気でそう思っているようだ。

「少し恥ずかしいですね」

 頬を赤らめる姿がまたより女性っぽかった。

「ふふふ、とってもかわいいから自信をもって大丈夫よ」

「喜んでいいのか、微妙です」

「すぐに慣れるから大丈夫よ。そうそう、まだ寮の準備が終わっていないから、先に校内を見学してもらえる?」

「はい」

「私は寮のほうの準備があるから……兼高くん」

 女性教師に呼ばれて一人の女子生徒が現れた。

 その女子生徒は男子の制服を着ていたが、大きな胸は隠しきれていない。本来は長いだろう髪はアップにまとめられていた。目はキリリとしていて気が強そうな印象を受けたが、相当な美人なのは間違いない。


「兼高くんはちょうど一週間前に転校してきたの。同じ転校生同士仲良く出来るかなと思ってお願いしたのよ」

「兼高由良よ。よろしく」

「槌谷春樹です。よろしくお願いします」

 二人は挨拶を交わした。由良は印象通りハッキリとした声だ。

「じゃあ、終わったら職員室に来てね。寮に案内するから」

「わかりました。ありがとうございます」

 春樹は女性教師に頭を下げて見送った。

「兼高さん、お忙しいところありがとうございます」

 由良に対しても深々と頭を下げた。由良はしばらくキョトンとしたあと。

「アハハハ、春樹くん、かたいねー。もっとフランクに話してよ」

 大きく笑いながら、春樹の肩をポンポンと叩いた。

「は、はぁ、頑張ります」

 あまり同年代と会話をしたことのない春樹は戸惑った。身近な人間はみんなずっと年上で、敬語で話すことが当たり前になっていたからだ。

「本当にかたいなー。まあいいわ、さ、行こッ」

 そういって由良は歩き出した。春樹は戸惑いながらついていった。


 建物自体はどこにでもある学校と同じだった。校舎や体育館などはまだ新しく、掃除も行き届いている。すでに放課後だが、部活の生徒たちでにぎわっていた。男子生徒と女子生徒の服装が逆なのを除けば、どこにでもある普通の学校だ。

「ね、やっぱり気になるよね?」

 スカート姿の男子生徒の一団を見送る春樹に、由良は声をかけた。

「そうですね、少し戸惑っています」

「春樹くんはどうしてこの学園に転校してきたの?」

「えっ……」

 いきなり核心を突く質問に春樹は戸惑う。諜報員として潜入していることは誰にも知られてはいけない。

「父親の薦めです……」

 真面目な春樹は上手にウソがつけず、半分本当のことをいった。

「そっか、うちと同じだね。変な親だと苦労するよね?」

 由良はニコッと笑った。悪意はみられない。

「そうですね。でも転校してきて良かったです。兼高さんのような素敵な人に出会えましたから」

 春樹は笑顔で返した。しかし由良の笑顔は固まり顔を赤くしている。

「春樹くんって、もしかして天然?」

「いえ、よくわかりませんが」

 本当にわからなかった。

「はぁ……ちょっとあなたのこと、わかってきたかも。そうそう、わたしのことは由良って呼んで。名字で呼ばれるの、苦手なの」

「わかりました、由良さん」

「うーん、まだかたいなぁ」

 由良は苦笑いをする。コロコロ表情に変わる楽しい人だな。春樹はそう思った。

 校舎の案内が終わり、二人は職員室にやってきた。

「兼高くんありがとうね。明日から槌谷さんと同じクラスになるから、また何かあったら助けてあげて」

「はーい、じゃあまた明日ね、槌谷さん」

「あ、はい、ありがとうございました、兼高くん」

 さすがに春樹もこの学園のルールに気づいていた。教師の前では女子にはくん付けで、男子にはさん付けで呼ぶのだ。


 男子寮は校舎から徒歩で10分ほどのところに建っていた。寮というより小さなお城のようなその建物は、壁はピンクでファンシーな雰囲気を漂わせていた。

「ルームメイトを紹介するから、少し待っていてね」

 女性教師は玄関の寮母に話して二人の男子生徒を呼び出してもらった。

二人はすぐにやってきた。

「わぁ、かわいいねー。ぼくは花岡勇。勇気の勇だよ。よろしくネ」

 一人目は少しウェーブのある短い髪にあどけない顔。背も小さく子犬のような可愛らしい少年だった。

「マジで美少女じゃん。俺は片桐智也。よろしくな」

 もう一人は細身で背が高く、髪は茶髪で肩まであったが、カツラではなく地毛だ。少し不良っぽく見えたが、顔立ちは整っている。

 部屋着なのか、二人は赤いジャージ姿だった。

「槌谷春樹です。よろしくお願いします」

 春樹は深々と頭を下げる。

「あはは、同級生なんだから、敬語なんていいよ」

「う……そ、そうだね、ゴメン」

 ちょっと無理に崩した言葉にした。情報を得るためにはルームメイトと仲良くならないといけないからだ。

「ううん。でもよかった、優しそうで」

 勇は首を傾けてニコッと笑う。その笑顔はまるで少女のそれだ。

「じゃあ、あとはお願いね。槌谷さん、何か困ったことがあれば寮母さんか担任の野村先生に相談してね」

「はい、今日はありがとうございました」

 女性教師が帰ると春樹はルームメイトの二人に連れられて、今日から暮らす部屋に案内された。部屋は広く、二段ベッドが二つ。机は四つあり、本来は四人部屋のようだが、それでも窮屈にならない程度の広さがあった。

「えっと、春樹くんって呼んでいいのかな?」

「はい、あ、うん、僕も勇くんと智也くんって呼んでいいかな?」

「いいよー、ねっ智也くん」

 勇はパッと明るく答えた。

「もっちろん! なな、春樹、最初に教えておくけど、ここがエロ本置き場だ」

 智也は二段ベッドの下から段ボール箱を引っ張り出して中を見せた。エロ雑誌とエロマンガが10冊ほど入っている。

「好きに使っていいけど、寮母さんには見つかるなよ?」

「あ、うん、アリガト」

 春樹はぎこちなく答える。こういうことに慣れていないのだ。

「あはは。あ、そうだ、いまはぼくたち別々のベッドを使っているけど、春樹くんはどっちがいい?」

 勇は両手を後ろで組んで春樹を見上げる。どこか女の子っぽい仕草だ。

「どっちでもいいけど……」

「じゃあさ、じゃあさ、ぼくのほうでいい? こっち、ぼくは下を使っているから、上が空いているよ」

「じゃあ、うん、そっちでお願いします」

「あはは、やったぁ。今日から一緒のベッドだね」

 勇は首をかしげて笑う。それが癖のようだ。

「じゃあ改めまして、今日からよろしくお願いします!」

 勇は手を出す。春樹はその手を握った。そこに智也も手を重ねる。

「まあ、楽しくやろーや」

 見た目も言葉使いも少しだけ不良っぽいが、根はとても良さそうな智也。

「うんうん、きっと楽しいよっ」

 優しく愛らしい勇。

「はい、あ、うん! よろしく!」

 そんな二人を春樹はすぐに好きになった。


 その日は寮の食堂で夕食を終えると三人で綺麗な大浴場に入り、消灯時間を過ぎて深夜遅くまで雑談をした。

 勇は心優しくて人なつっこい性格だった。所作が女性っぽいのは五人の姉妹に囲まれて育った影響だそうだ。あまり裕福ではない家庭なので、給付型の奨学金を貰えることになったこの学園に入学した。

 智也は中学生のときに結構荒れていて、学校もよくサボっていた。中学三年生のとき、ケンカで相手にちょっとした怪我を負わせてしまい、それで両親を泣かせてしまった。それ以来心を入れ替えて真面目にしているとは本人談。ただ、中学の素行のこともあり、受け入れの緩いこの学園に入れられることになった。

 勇はもともとこの学園の方針に馴染んでいるようだし、智也はこの変な環境を楽しんでいるようだった。

 案外まともな学校なのだろうか? 二人との会話から春樹はそう思った。


 そして翌日。いよいよ登校初日だ。

 やはり勇と智也も女子の制服に着替えていた。春樹がブラジャーに手こずっていると、勇が声をかけてきた。

「春樹くん、前でフックをとめて、回してから肩紐を通すとつけやすいよ」

「なるほど!」

 春樹はアドバイス通りブラジャーのフック側を前にして、フックをとめてから後ろに回す。最後に肩紐を通すと簡単につけられた。

「本当だ、昨日あんなに苦労したのに。勇くん、よくこんなの気づいたね」

「あはは、お姉ちゃんがそうやってつけているのを見たことあるから」

「そっか、なるほど」

 制服に着替えると、春樹はカツラをかぶった。背中まである長い髪のカツラだ。

校則では丸坊主や角刈りなどでなければカツラは強制ではないが、春樹はあえてかぶった。潜入捜査である以上、変装できるならしたほうがいいと思ったからだ。

 こうして三人の着替えが終わった。着替える前から想像していた通りに、勇はとても可愛らしい少女そのものだった。智也もちょっと不良の姉さんという感じで、女子の制服がよく似合っていた。

「二人ともよく似合っているね」

「あはは、ぼくは子供のころからよくお姉ちゃんたちに女子の服を着せられていたから慣れているけど、春樹くんや智也くんは嫌じゃない?」

「俺はもう慣れたよ」

 智也はぶっきらぼうに答えた。

「僕はまだ違和感が少し……とくにスカートがスースーして……」

「あはは、なんだか不安になるよね。でも春樹くん、とってもよく似合っているよ」

「だな。中身が女だったら、間違いなく惚れているな」

「そ、それはどうも……」

「ははは、半分冗談だよ」

「……え? じゃあ残りの半分は?」

「さーて、そろそろ校舎に行こうか」

「智也くん、残りの半分は?」

 智也と勇は笑いながら部屋を出て行く。春樹は困惑顔であとに続いた。

三人一緒に登校して校舎に到着すると、春樹は二人と別れて職員室に向かう。そこには担任教師の野村が待っていた。

「あっらぁー、あなたが槌谷春樹さんねぇー。あたしが担任の野村よ、よろしくねン」

 金色のセミロングのカツラをかぶり、紫色のミニスカートのスーツ姿の50歳前後の厚化粧男は、バチンとウィンクした。

 この学園では学園長といい、この野村といい、男性教師も女装しないといけないようだった。そして、学園長と同じく野村も女性言葉を意識しているようだ。

「また転校生か? なんだか最近多いな」

 声をかけてきたのは黒いジャージ姿の40歳前後の男だった。頭は角刈り、手には竹刀を持っている。女性ではなく本物の男性だ。

 野村と学園長だけが異常なのかと思って春樹は職員室を見渡したが、男性教師は程度の差こそあれみんな女装しているし、女性教師は昨日案内してくれた人も含めてパンツルックで、上着も男性のものを着ているようだった。

「あらぁ村上せんせぇー。槌谷さん、村上先生は生活指導の先生よ」

「槌谷春樹です。よろしくお願いします」

「ふん、わざわざカツラまでして」

 村上は眉をしかめて春樹の頭から足先までジロジロと見た。

「まあいい、ちゃんと学園のルールを守るんだぞ」

 そういって不機嫌そうに歩いて行った。

「村上先生は厳しいから」

 野村は苦笑いすると、春樹を連れて教室に向かった。

 春樹のクラスは一年D組。なんのことはない、ルームメイトの二人もこの学園に来てまだ二ヶ月ほどしか経っていないのだ。

「はいはーい、また転校生がこのクラスにやってきましたよー」

 野村の言葉でクラスメイトの視線は春樹に集まる。整った顔立ちから女子からも、そして美少女といっていい見た目から男子からも熱い視線を受けた。

「槌谷春樹です。よろしくお願いします」

 春樹は挨拶のあと、教室を見渡した。全員ちゃんと男女逆の制服を着ている。

 クラスメイトの中にはルームメイトの勇と智也がいる。そして、昨日校舎を案内してくれた由良もいた。由良は春樹の視線に気づいて小さく手をふる。春樹は軽く頭を下げて応えた。

「兼高くんのことはもう知っているわよね? 転校生同士だし、隣に席を用意したからそこに座って」

 由良の右隣の席は空いていて、春樹はそこに座った。真ん中の一番右、廊下側の席だ。

「はーるきくん、わからないことがあったらなんでも訊いてね」

「由良さん、ありがとうござい……ありがとう」

「おっ、少し慣れてきたかな?」

「はい、あ、うん」

「あはは、がんばれー」

 由良は小さくガッツポーズをする。それを見て春樹は微笑んだ。

 こうしてホームルームのあと、そのまま野村の授業が始まった。野村は見た目やしゃべり方こそ変だが、授業はうまく、内容もしっかりとしていた。資料によるとこの学園の進学率、それも偏差値の高い大学への合格者が多いらしい。

「きゃー、槌谷くーん」

「春樹くん、春樹くんって呼んでいい?」

「ねね、どうして急にこの学園に転校してきたの?」

 一限目が終わると、春樹の周りに女子生徒が集まり質問攻めにあった。美形の春樹に女子は興味津々だ。みんな男子生徒の制服を着ており、髪は肩に掛からないよう短くしたりまとめたりしている。男子ほど異様ではないが、それでも少し違和感がある光景だ。

 最初はクラスメイトから色々と質問されるだろうと予想して解答も考えてきていたが、予想以上の迫力に春樹はドギマギしている。

 由良はそんな春樹の姿を見て苦笑いしていた。

 あっという間に休み時間が終わり、二時限目の授業や同じような質問攻めの休憩を挟んで三時限目、四時限目の授業を受けたが、どの教師も教え方が上手で内容も良かった。この学園の高い進学率もうなずける授業内容だ。

「どう? 授業は?」

 午前の授業が終わると、隣の由良が話しかけてきた。いままでの休憩時間は女子生徒がすぐに集まって質問攻めだったので、由良と話す時間は全然なかった。

「すごく良い授業内容だと思う」

「そうだよね? この学園って制服以外はちゃんとしているように見えるよ」

「……そうですか」

 だったら自分がわざわざ派遣されない。思わずそういいかけてしまった。

「おいおい、もう兼高さんと仲良くなったのか?」

 智也が話しかけてきた。隣には勇もいる。

「昨日からつき合ってるもんねー」

 そういって由良は春樹の手を握る。

「え、いや、そんなことは……」

 春樹は慌てて否定する。

「あはは、冗談冗談。でもそんなに必死に否定しなくてもいいじゃない」

「あ、いや、そんなつもりでは。素敵な女性だと思っていますし」

「ちょっと、もう……こいつ実は天然って知ってた?」

 由良は少し頬を赤らめて二人に訊いた。

「あはは、ちょっとそうかなって思ってたよ。でも美男美女だから似合っていると思うけど」

「もう、花岡くんまで」

「あはは、ごめんねー。それより食堂にいかない? ぼくもうお腹ぺこぺこ」

「だな、兼高さんのことをもっと知るチャンスみたいだし」

 智也は軽口を叩く。

「ん、いいよ、一緒に行こう。ほら、春樹くんも」

「あ、はい、うん」

 四人は学園の大きな食堂に向かった。全寮制のこの学園は、基本的に弁当の持ち込みはないので、大きな食堂を備えている。種類は多くないが、なにを食べても無料だった。

 春樹と智也はガッツリと量のあるBセットを頼んだ。

勇と由良は量が少なめのCセットを頼んで料理を受け取ると、四人掛けのテーブルについた。

「……おいしいですね」

 少し食べて春樹はつぶやいた。素材も悪くないし味付けも良い。腕の良い料理人が調理しているということだ。

「ね、これがタダで食べられるってすごいよね!」

 勇はオムレツを一口頬張って頬に手をあてて微笑んだ。

「春樹くん、入学費に比べてこれだけ良い料理が出てくるのは、政府から特別な予算が出ているからって知っている?」

「性差別撤廃に関するものでしたっけ?」

 春樹は由良に答えた。そのことは資料に書かれていた。私立学校に支払われるには多すぎる補助金がこの学園には出ていた。税金だけではない。いくつかの大きな企業から、少なくない寄付を受け取っていた。どちらもジェンダーフリー教育に賛同しているという宣伝であろうと資料には書かれていた。綺麗な校舎も良質な授業や食事も、これら潤沢な資金から出ているのだ。

「いいじゃん、俺らや親が金を出してるわけじゃないんだから、それでうまい飯を食えるなら文句ねーよな」

「あはは、ぼくは奨学金も受けているから、なんともいえないよ」

 勇は智也に苦笑いで答えた。春樹は公務員である文部科学省の諜報員という立場上、これを税金の無駄遣いと考えるべきかどうか頭を悩ませていた。

「春樹くん、温かいうちに食べなよ。おいしいよ?」

「え? あ、はい」

 箸の止まっていた春樹を由良が気遣った。

「税金投入の是非は、政治家とか官僚とかお偉いさんが考えることで、雇われている人とか現場の人には責任のないことなんだしね」

 由良はそう付け加えてニコッと笑った。

「そう……ですね……あっ、うん、そうだね」

 ただの学生を演じないといけないことを忘れかけて、春樹は慌てて取り繕うと、食事を続けた。


 午後の授業も、教師の格好や口調を除けばどれも良い授業内容だ。

そして、最後の授業は担任の野村によるジェンダーフリー教育だった。

 この学園の核心となる授業だけに、春樹は身構えて授業を受けた。

「このように、国は近年まで女性に選挙権を与えずに……」

 野村は朝の授業とうってかわって、ただ教科書を棒読みしている。

 内容は普通……というと語弊があるが、ジェンダーフリーというより女性の権利や迫害の歴史が中心で、ジェンダーフリーを掲げているわりには薄っぺらい内容に思えて、少し肩すかしを感じた春樹だった。

「槌谷さん、初めての授業はどうだったかしら?」

 授業が終わり帰宅の準備をしていると、野村が声をかけてきた。

「はい、どの授業もとてもわかりやすく、それでいて濃い内容でした」

「そう、気に入ってくれて先生もうれしいわ。明日からもがんばってネ」

 中年の女装姿でなければいい先生だと思ったが、やはりその見た目から素直に受け止められない。好意的に考えれば人は見た目によらないことを実践しているともいえる。

 普通に、一人の学生として色々と考えさせられた一日だった。

 放課後も沢山の女子生徒に囲まれたが、ずっと真面目に返事を続ける春樹に、勇と智也が助けに入ってくれた。三人は一緒に教室を出る。

「ありがとうございます、勇くん、智也くん」

「いやあ、ぶっちゃけ助けに入っていいのか迷ったんだけどな。俺だったらもっと女子にチヤホヤされたいから」

「あはは、ぼくも余計なお世話じゃないかなーって思ったんだけどねー」

「そうなの? 春樹くん」

「え?」

 三人同時に振り返ると、すぐ後ろに由良がいた。

「由良さんも寮に戻るのですか?」

「ほら、敬語になってる」

「ああ、すみま……ごめん」

「ふふふ、もちろん女子寮のほうだけどね。春樹くんは部活に入らないの?」

「学園に慣れるまでは、ちょっと余裕がないから。由良さんは?」

「わたしもしばらくは帰宅部のつもりよ」

「そうですか。あ、そういえば二人は、あれ?」

 勇と智也を見ると、目を丸くしていた。

「どうしたの?」

「どうしたって、お前、いつのまにお互いを下の名前で呼び合って……」

「うんうん。お昼休みも時々そうだったから、ぼくも気になっていたよ」

「ああ、実は昨日、校舎を案内してもらっていて、そのときにそう呼んでっていわれて、あれ?」

 二人はさらに、口をあんぐりと開けた。

「はぁ……もう、春樹くん、ちょっと天然が過ぎるぞ」

 由良は春樹の頭をコツンと叩いた。

「えっと、僕、なにか変なこといったかなぁ?」

「プッ、春樹って天然系美少女だな」

「あはは、そうだねー」

 二人は笑った。由良もクスクスと笑う。春樹だけは困惑した表情をしていた。

「ねえ春樹くん、今日一日過ごしてみてどうだった?」

「そうですね……制服には驚いたけど、あとは普通というか、授業内容は充実しているね」

「そうね、先生たちは一癖ありそうだけど、実力のある人を引き抜いてきたみたい。ジェンダーフリーについては?」

「まだ表面的なことしかわからないけど、トイレとか更衣室が別々で良かったです」

「ふふふ、そうね。間違ったジェンダーフリーだと、全部共同とかにされそうだもんね」

「おいおい、なんだ? 兼高さん、やけに春樹のことを訊きたがるな」

 智也がからかい口調で割り込んできた。

「だってこんな美少女転校生だもん、気になるじゃない」

「あー、たしかになー、兼高さんも美人だけど」

「あら、片桐くんって女子のあつかいがうまいのね」

「そのわりにはもてねーけどな」

 そうして雑談していると校門までやってきた。ここから男子寮と女子寮は別々の道になる。

「じゃあね、春樹くん」

「はい、また明日、由良さん」

 春樹が手をふって由良を見送ると、智也が春樹に肩を組んできた。

「さーて春樹ちゃん、寮に戻ったら詳しく聞かせてもらうからな」

「え? なにをですか?」

「あはは、ぼくも色々と訊きたい」

 勇も笑いながらそういった。


「だから、本人が名字で呼ばれるのは苦手だからって」

「はいはい、それは何度も聞いたって。問題は春樹にだけ下の名前で呼ばせているってことだっつーの」

 寮の部屋に戻ってから、改めて由良との関係を追及された。

「それは僕にもわからないけど、たぶん、転校してすぐだから緊張しないようにそういってくれたのかな?」

「あはは、春樹くん、本気でそう思ってそう」

「え? だってそれ以外に理由なんて」

「おいおい、普通は由良ちゃんの一目惚れって考えるだろ? 健全な男子としてはさ」

「そうかなー? そんな雰囲気ないし、二人だって僕を春樹って呼んでくれているし」

「俺らと女子じゃあ意味が違うっての。それに春樹ってすっげー……」

「ん? どうしたの?」

「いや、この場合、すっげー美人っていうのかなって」

 智也はまだカツラに制服姿の春樹を見ていった。

「あはは、そうだねー。イケメンだと思うけど、どっちかっていうと美少女って感じだし」

「う、うーん、なんか二人にそういわれると、照れる……」

 春樹は照れくさそうに指先で頬を掻いた。

「なんか興奮するなー。今日は俺のベッドに来るか?」

「え? いいですよ」

 真面目な春樹は二段ベッドの使っていないほうという意味で答えた。

「あははは、春樹はほんと天然だなー、なあ、勇。勇?」

 勇は少し暗い顔をしていたが、智也の声に気づいてすぐに笑顔になる。

「あ、うん、そうだねー」

「なんだよ、俺に取られるとでも思ったのか? 心配するなよ、取らないから」

「あははー、よかったー。ね、春樹くん」

「え? はい、うん、よかった」

「やっぱわかってねーっ」

 智也は大げさに叫んだが、まだ曇っている勇の表情が気になって、春樹は聞き流していた。

 こうして春樹の学園生活が始まった。

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