私立ッ! ジェンダー学園

春とんぼ

プロローグ

 重厚な木製のドアの前で、槌谷春樹は緊張した面持ちをしていた。

 黒い学生服に身を包んだその少年は、背丈こそは16歳の標準的なサイズだが、細めの体に少し長めの髪と色白で中性的な顔立ちは女性と見間違えるほど美しい。

 だが、いまは長い眉毛の下の綺麗な瞳も愁いを帯びている。これから会う人物に緊張しているのだ。


 春樹はドアを叩こうと右手を伸ばすと、その手が震えているのに気づいた。震えを抑えるためにギュッと拳に力を込めたが、ドアは控えめに叩いた。

「入れ」

 中からはすぐに返事があった。良く通る鋭い声に春樹はさらに緊張を高める。

「失礼します」

 ドアを開けて中に入ると、執務室の奥で中年の男が手元の書類に目を落としていた。

「待っていたぞ、春樹」

 男は書類に目を落としたままいった。

「遅くなりましてすみません……父様」

「こっちに来い」

「はい」

 春樹は父親の机の前までいくと、背筋を伸ばして言葉を待った。

 槌谷定雄。文部科学審議官。つまり、この文部科学省において大臣など政治家を除いた官僚のナンバー2であり、官僚のトップである事務次官の最有力候補だ。

 定雄は書類にサインをすると、ようやく顔を上げた。七三に揃えられた髪、細い顔に黒縁のメガネだが、その瞳は鋭く知性を宿している。

「お前も16歳か。怠ってはいないな?」

 定雄は春樹の頭からつま先まで確認してから訊いた。

「はい」

 春樹は力強く返事をした。だが、その顔色は青く緊張しているのがわかる。定雄は春樹の顔をジッと見つめる。心の中を見透かされているようで、春樹はいたたまれなくなる。

 永遠に感じる10秒ほどで、ようやく定雄の視線から開放された。

「……よろしい。兄や姉に続き、お前にも文部科学省の諜報員として働いてもらう。出来るな?」

「はい」

「ここに資料は揃っている。転校の手続きも終わっている。すぐに向かえ」

「はい」

 春樹が資料の入った封筒を受け取ると、父はまた書類に目を落とした。もう会話は終わったのだ。

「失礼します」

 春樹は頭を下げるとドアに向かって歩いて行く。だが、その途中で足を止めた。母のことを思い出したのだ。

 母は優しく明るい人だ。自分たち子供の前ではいつも明るく振る舞っていたが、ときおり見せる寂しそうな顔を春樹は知っていた。だから春樹は勇気を振り絞って振り返った。

「母様が寂しがっています。次はいつ家に帰って来られますか?」

「公僕である私に私的時間などない」

 父は書類を睨んだまま即答した。

「……余計なこといって申しわけありません」

 春樹は頭を下げて謝ったが、父からの返事はなかった。


 文部科学省の地下駐車場には黒塗りのリムジンが止まっており、白髪の老人が高そうな羽毛のはたきで掃除をしていた。春樹の姿に気づくと老人は駆け寄ってきた。

「春樹坊ちゃま、お待ちしておりました」

「ありがとうございます、武藤さん」

 武藤と呼ばれた老人は槌谷家に古くから使えている執事だ。すぐに春樹の微妙な表情に気づいたが、余計なことは訊かない。心得ているのだ。

「ついに初めての仕事ですか?」

「はい。父様を失望させないように頑張ります」

「春樹坊ちゃま……」

 武藤は一瞬、哀れんだ顔をした。

「さっそくその学校に向かいますか?」

「お願いします、武藤さん」

 車に揺られながら、春樹は封筒の中から書類を取りだす。一冊にまとめられた書類の表紙には『私立ジェンダー学園』と書かれていた。

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