第11話

 1階に降りると母親である杏奈が、夕食の調理を終えダイニングへ料理を運んでいる最中であった。


「歩人、食器をお願い」


「うん」


 歩人はキッチンへ向かうと、自分と杏奈の食器を選んでダイニングへ運ぶ。


「ありがとう」


 杏奈はそう言いながら笑顔を歩人に向けた。


 準備を終えた食卓には2人分の準備しかされていないが、歩人の父親は今年の春から、勤務先のプロジェクトで南米に単身赴任している為、今は2人だけで生活をしている。


「そう言えば、さっき大きな音がしたけど?」


「ちょっと、椅子ごと倒れて」


「大丈夫? 頭とか打たなかった?」


 杏奈はそう言いながら身を乗り出して、歩人の頭を確認しようと右手を伸ばすが、歩人はそれを慌ててよけた。


「だ、大丈夫だって」


「そう?」


 心配そうな表情を見せる杏奈に、歩人は少しばかり後ろめたい気持ちも感じるが、気恥ずかしさもあり杏奈の事は意識しないように食事を続ける。


「あと、話し声がした気もするけど」


「ス、スマホで、兼久と話してから」


 流石にレスティナ達の事を口にする訳にもいかないと思い、歩人は咄嗟にそう答えてしまったが、杏奈に対し嘘を吐く事が思った以上に罪悪感を覚えるとは思わなかった。


「ふーん」


 そんな歩人の心を知ってか知らずか、杏奈は意味ありげに歩人を見る。


「な、何?」


「女の子かと思ったのに」


 杏奈の言葉に、歩人は顔を赤らめ激しく動揺し、思わず椅子から立ち上がる。


「ち、違うよ」


「本当に?」


 動揺する歩人に対し、杏奈は終始笑顔で歩人を見上げており、歩人はからかわれていると察し大人しく椅子に座る。


「本当だよ」


「まあ良いわ。でも彼女が出来たら、ちゃんと紹介するのよ」


 歩人は内心自分がどれ程モテないかを、杏奈に伝えるべきか悩んだが、すぐに別の悩みを思い出した。


「そ、それより、ちょっとバイトとかしたいんだけど」


「ダメです」


 今日レスティナを買った事と、今後レスティナやクロエを助けるにも資金が必要と考えた歩人はそう口にするが、杏奈に即否決され困惑する。


「で、でも」


「歩人、お父さんと約束した事を言って御覧なさい」


「父さんが帰って来るまでは、余程の事が無い限り、母さんと食事を一緒にする様に」


 それは父親が南米に行く前に、杏奈を寂しがらせない様に、そしていざという時には歩人が杏奈を支える事が出来るように、何よりも一緒にいられる時間を大切に、という想いから決められたルールであった。


「アルバイトなんかしたら、約束守れないでしょ」


「それは、そうだけど」


「何か欲しいものがあるの?」


 落胆し俯く歩人に、杏奈は優しく問いかける。


「ちょっと、フィギュアの衝動買いをして。それと、この後色々と必要になるかも知れないから」


「色々って?」


 自身の言葉を口にした直後、歩人は思わずしまったと思ったが、杏奈は優しい表情のまま間髪入れずにその点を突いてきた。


「そ、それは」


 レスティナ達の事を口にせず、上手くこの場を切り抜ける事が出来るか、歩人は思考をフル回転させるが、良い答えは浮かんで来ないまま時間だけが過ぎていく。


「まあ、良いわ。しばらくお皿洗いは任せるし、あとお風呂掃除もね」


「わ、分かりました」


「ただし、お金が必要な時は、その都度何に使うか言うのよ」


「う、うん、間違っても、悪い事には使わないから」


「その点は信じているから」


 相変わらずの笑顔を浮かべる杏奈に、歩人は正直に言えない心苦しさを感じつつも救われる思いがしていた。


 そして、その夕食後から歩人は食後の後片付けを行う事になったが、その最中にある事に気が付いて杏奈に見つからないように実行に移す。

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