第13話 白銀の世界

車で北海道の内陸をひた走る。

白一色の世界。

木々も原野も真っ白に染まり、色々な動物注意の標識が立っている。

美雨先輩や菜露に霞は小次郎さんが買ってきてくれたタコ焼きを美味しそうに頬張っている。

綺麗なデリカの車内にたこ焼きのソースの香りが立ち込めている。

「ハル君の分もちゃんとあるよ」

「俺は良いよ。皆で分けて食べたらいい」

「ハルは相変わらずストイックだな。もう仕事モードか、あん?」

「その為に北海道まで来たんだし、それがメインだろ」

「うぅ、何だかゴメンね。仕事の邪魔しに来ちゃったみたいで」

「ハル、ちゃんとフォローしてやれよ。男だろ」

「俺が呼び寄せたようなものだからな。来て欲しくなかったら北海道に行くなんて言わねぇよ。それにこんな思い出も良いだろ」

「ハル? おもいっきし殴っていいか」

「仕事が済んだらって、わったよ。俺が悪かった。ゴメン」

デリカが信号も無いまっすぐな一本道でゆっくり減速していく。

美雨先輩の切なそうにうな垂れる姿を見て小次郎さんがルームミラーの中で俺の事を真顔で怒っている。

車から降りた瞬間に細切れにされてトドやアザラシの餌にされそうな雰囲気だ。

俺が右手を美雨先輩の左手に重ねると驚いたように手を引っ込めようとする、逃げられないように手を掴むと諦めたのか美雨先輩の手から力が抜けた。

そして指を絡めるようにすると美雨先輩の顔が赤くなり手に力がこもった。

「これで良いんだろ」

「なぁ、亀梨。もう着くのか?」

「まだだよ、霞はそれだけじゃ足りないだろ。俺の分も食べて良いぞ」

「ほ、本当か。遠慮なく頂くぞ」

後ろの席から顔を除かせた霞の目の前にタコ焼きの箱を出すと嬉しそうに受け取り顔を引っ込めた。

小次郎さんは握った手を見せるとため息を付いて車を加速させた。

しばらくすると3人は朝が早かった為か静かになり寝息を立て始めた、俺の右腕に美雨先輩の重みを感じる。

俺は窓の外の白銀の世界に目をやった。


相変わらず北海道はでかいを実感する。

かれこれ2時間はデリカで走り続けている。

東京なら関越・軽井沢・館山あたりだろうか、でもここは北海道……

美雨先輩・菜露・霞の3人はタコ焼きを食べて満足したのかぐっすりと寝ている。

コンポからはスローバラードが流れ、流石に白一色の世界にも飽きてきた。

すると小次郎さんが静かに口を開いた。

「ハルは美雨ちゃんの事は本気なのか?」

「本気と聞かれればそうなんだろう。今までの様にいい加減な気持ちではないのは確かだ」

「随分と曖昧な答えだな」

そう小次郎さんに言われるまでも無く曖昧だ。

これから先の事を考えるとこれ以上近づけばその反動は大きい。それでも俺は……

「手遅れだな。ハルが何を考えているのか俺には判らねぇ。でも一つだけ言える事がある恋愛なんてな気付いた時には手遅れなんだよ。知らねぇ間に堕ちているもんなんだ。だがな、手前の心を偽るような事だけはするなよ、相手が一番傷つく事だかんな。それにハルになら判るはずだ、誰にも先の事なんて判らねえからこそ今を一生懸命に歩いているんだよ」

「手遅れか。そうかもな。最近になって失っていた幼い頃の記憶を取り戻してきているんだ。それは美雨に出会ったからかもしれないんだ」

「それって子どもの頃に出会っていたと言う意味か?」

「はっきりと思い出せた訳じゃないけどな。そう言うこった、絶対に言うなよ」

「やっと男の顔になってきたな。そろそろ着くぞ」

道の向こうに道を挟むように小高い丘の上に横に広がるように裸になった樹木が立ち並びその先にやがて牧場の看板が見えてくる。

小次郎さんが駆るデリカが『まほろ牧場』と書かれた看板の前を左折すると前方に大きなログハウスの母屋と従業員用のログハウスに牛舎が目に飛び込んでくる。

それ以外の世界は枝だけの木々と雪だけしか見えない。

空はいつの間にか青空に変わっていた。

「着いたぞ。起きろ!」

「ふぁ~」

「ん~」

「むにゃ?」

3人3様の寝起き顔から一瞬で目を輝かせて外の世界に釘付けになっている。

車から降りると目の前の牧草地にはフカフカの新雪が積もっている。

先陣を切って俺に向かってきたのは……霞だった。

血が騒ぐのか走り回りたくてウズウズする様に瞳が揺れている。

正しく犬のそれだ。

「好きにしろ」

「おう!」

拳を突き出し一目散に新雪が積もる牧草地に全身でダイブしている。

霞につられて菜露も美雨先輩もパウダースノーを舞い上げながらはしゃぎまわっている。

そこに黒い影が突進していき3人と1匹?

「ん~ どこからどう見ても親犬と子犬が3匹にしか見えないな」

「小次郎、お客さんなん? コラ! スラッシュって……ハルちゃんやぁ! よう来たなぁ」

声がした次の瞬間に腰に軽い衝撃を受ける。

母屋のログハウスから顔をだし愛犬の黒ラブに声を上げ、鮮やかな紫のダウンコートを着てスラッシュ以上の勢いで俺に向かって突進してきて、タックルを喰らわしたのは小次郎さんの奥さんであるまほろさんだ。

ちなみに牧場の名前は奥さんの名前の『まほろ』と住みやすい場所や素晴らしい場所を意味する日本の古語である『真秀場』をかけている。

長い黒髪を一つに纏め目鼻立ちがはっきりとした綺麗と言うか可愛い部類に入る人だろう。

天然系の大和撫子といった方が判り易いかもしれない。

クールな霧華とはある意味対極をなす人だと思う。

でも見かけに騙されてはいけない。

まほろさんは夏になれば北海道の夕陽の様なカラーリングのフルチューンされたカワサキNinjya ZX-10を駆り、サバゲーにおいては道内では知らない人がいないくらいの有名人で。

小次郎さんともサバゲーを通じて知り合い結婚した兵だ。

「おいおい、相変わらずハルラブだな」

「ええ、小次郎。どうしてハル坊じゃないの?」

「ほれ、あそこでスラッシュとじゃれている子犬の1人はハルの彼女だよ」

「……彼女? ハルちゃんの? 嘘」

まほろさんがこの世の終りの様な顔をしている。

俺のイメージってまほろさんの中ではどんな風にとち狂っているのだろう。

仕方なく3人を呼び戻すことにする。

「美雨! 菜露! 霞!」

「晴海、呼んだ?」

「亀梨、お呼びか?」

「ほら、2人とも雪を払えよ。真っ白だぞ」

菜露と霞が息を切らして走って慌てて体中の雪を払い落としている。

その向こうで雪の上にしゃがみ込んで真っ赤になり俯いている雪の妖精が……

仕方なく迎えにいくと黒ラブのスラッシュがじゃれ付いてきた。

「スラッシュ、お前。でかくなったなぁ」

「ワン!」

「スラッシュ。ハウスだ」

「ワン!」

嬉しそうにスラッシュがまほろさんの元に駆け出していく。

「行きますよ」

「ハル君が呼び捨てにした」

「それじゃ」

「嫌だ」

先輩と言おうとすると口を尖らせて拗ねているのに手は俺のほうに突き出している。

ため息を付きながら手を取らずに小脇に抱えると手足をばたつかせている。

「お前もハウスだ」

「私は犬じゃないもん。ジャンガリアンでもないからね」

「ああ、美雨は静かにしろ」

「うぅ、意地悪」

皆が待っている場所ではスラッシュがまほろさんに雪を払ってもらっている。

その横で小次郎さんが相変わらず豪快に笑っていた。美女と野獣のカップルそのまんまだった。

「彼女がハルちゃんの恋人さんなん?」

「鳳条美雨。ひとつ上の先輩です」

「ひゃ~可愛い子やね」

美雨先輩はまほろさんにスラッシュと同じように雪を払ってもらっている。

犬と変わらないと言うか小動物だしな。

「なんで先輩に戻るの?」

「美雨」

名を呼びながら顔を近づけると火山が噴火した様に真っ赤になってフラフラしている。

ダウンの襟を掴み上げて母屋に向かう。

「寒かったでしょ。ストーブで暖まりましょい」

「「はーい」」

菜露と霞がログハウスの母屋に駆け込んでいく。

「うぅ、やっぱりジャンガリアン扱いなんだ」

「何か言いましたか。美雨先輩」

「ハル君の意地悪!」

まほろさんに促されて母屋へ向かう。


母屋のログハウスには薪ストーブがあり床はムク材なのに低温式の床暖房が入っていて春の様に暖かい。

上着を脱いでリビングに案内される木の温もりが心地いい。

いつ来ても癒される空間だった。

ソファーに体を埋めていると3人は家の中を見渡していた。

「うわぁ、ログハウスなんて始めて」

「憧れちゃうね、こんな生活」

「俺はこう言う所に住むのが夢なんだ」

そこにまほろさんと小次郎さんが温かい飲み物を持ってきてくれた。

トレーの上ではマグカップがいくつも湯気を立てている。

「そんなに沢山どうするんですか?」

「あのな、ハル。とっととお前の言う仕事を終わらせるぞ。彼女達が可愛そうだろ、それにお前も親父に言われて来ただけだろうが」

「まぁ、そうですけど。俺はここに来るのは嫌いじゃないですからね」

木のテーブルの上には色々なホットミルクが並んでいる。

スタンダードなホットミルクやシナモンスティックが入れられたものやチョコミルクまで。

「それにお客様の代わりにね」

「まぁ、そうですね」

小次郎さんとまほろさんに説明を受けながら味見をしていく。

「うわぁ、この牛乳ってそのままでも美味しい」

「菜露ちゃん。うちの牛乳は生乳だからね。絞りたてなんよ」

「凄い、初めて飲んだ」

「日本でも数少ないんだよ、生乳は管理が難しいからね。でも本当の牛乳の味を知ってほしいからね。それにこんな笑顔が見られるなら何も苦にならないよな」

「そうやね」

中でも一番人気があったのがアカシアの蜂蜜を入れたホットミルクだった。

この蜂蜜も100%北海道で採取されたものでとても良い香りが立ち上がってくる。

「でも、あんまりホットミルクってメニューに出しているお店は少ないよね」

「インパクトが少ないし家で手軽に楽しめるからな」

「そうだね、もう少し捻りがあっても良いかな」

「ちょっとキッチンを借りますね」

「ええけど、何をするん?」

「フワフワにしてみようかと」

「ええ、そんな事が出来るん」

まほろさんとキッチンに向かうと霞は腰に手を当てて瓶入りの生乳を飲んでいる。

「ぷっはぁ~ やっぱり牛乳は瓶だな」

まるで風呂上りの親父の姿そのものだった。


生乳をミルクパンに入れて60℃程度に温める。

出来れば加工乳は避けたい、温めすぎると泡立たないので泡だて器で泡立ててから再加熱をすると泡が安定してフワフワになる。

少しだけコツを使えばエスプレッソマシーンのスチームを使わなくても作ることが出来る。

飲む前に砂糖や蜂蜜を加えればさらに優しい味になる。

「ハル君、フワフワで美味しいよ」

「ハルちゃん。使ってもええかなぁ」

「どうぞ、まほろさんなら美味しく作れると思いますよ」

「で、ハル君。お仕事って?」

「牛乳の出来とこの蜂蜜の味見かな。それとお店で春からだす新メニューにミルク系を更にラインアップしてケーキにも使いたいんだ。プリンなんかも良いかもしれないな。それにイチゴと生乳のムースとかな。帰ってすぐに新メニューの試食会もあるからな」

「うわぁ、美味しそう」

小次郎さんが感心する様にまるで我が子を見るように目を細めてみている。

小次郎さんとまほろさんには子どもがいない、それは世間によくある理由で本人たちも気にせずに2人と1匹の生活を楽しんでいる。

それにこの牧場には各地からアルバイトが来ていて、俺も親父に言われて手伝いに来ていた時期もあった。

そして2人は分け隔てなくアルバイトも俺の事も我が子の様に可愛がってくれる。

ここが心地よく感じる理由だとおもう。

夕飯はジンギスカンや美味しい牛乳を使った鮭や北海道の海の幸が具沢山のシチューがメインで美味しい料理でもてなしてくれた。

寝室は一部屋で川の字状態だったがどれだけ信用されているのか、まだ子どもだと思われているのかそんな事を考えていたら一言で片付けられてしまった。

「ハルちゃんだからやん」

ってどっちなのだろう……


牧場の朝は早い。

それはどこの牧場でも同じことで多少の手順が違うだけでかなり大変な仕事だ。

餌をやり朝の搾乳をして寝床の藁を交換して牛舎の掃除をする。

一通り終わると運動の為に牛たちを除雪した牧草地に放牧する。

放牧すると搾乳できる量は減るがストレスのない健康な牛でいてくれる。

だからこそ牛乳が美味しいく頂ける。

搾乳した生乳はすぐに瓶づめにされたり加工されてプリンになったりする。

生乳には厳しい基準がありクリアーする事が難しい。

それ故に生乳を販売している所が少ない。

そして基準も厳しければ罰則も厳しい、並々ならぬ努力を日々小次郎さんとまほろさんはしている。

尊敬に値する人たちだと思うし、親父も俺と同じ気持ちなのだろう。

それも毎年ここに来る理由なのだろう。

「ハルは仕事が速いな」

「まぁ、アメフトで霧華に扱かれましたからね。体力なら負けませんよ」

「でも、何だか雰囲気が変わったやんね」

「そうですか?」

「うん、柔らかくなったっていうか」

「美雨に出会ったからですかね」

「まぁ、男なら女を泣かすような真似はするなよ」

「今は無いですね」

「今はなのか?」

「小次郎さんは気づいていますよね」

「まぁな」

「そう言う事です。先の事は判らない、だから今はです」

小次郎さんは込み入った事はこちらが話さない限り踏み込んでこない。

それでも何かあれば全力で手を差し伸べてくれるだろう。

不思議な事に俺の周りには何故かそんな人が多い気がする。

「ハルの役得だ」

「そやね、ハルちゃんの人柄かな」

そんな事を言われても俺にはピンと来ない。

俺は裏と闇の世界を彷徨っている黒き者だから。

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