第12話 北海道
今年の冬は例年以上に寒かった。
そんな寒い週末に氷点下の世界に行かなきゃならないんだ。
憂鬱な気分を更に陥れるように空は鉛色一色に染まっている。
「亀梨、元気ないな」
「ああ、毎日が激流くだりしている気分だからな」
「気持ちいいだろうな。筏で激流下り」
「能天気で良いな。俺は木の葉の気分だよ」
午後最後の授業が終わる頃にそんな事を東雲と話しているとポケットの中でスマートフォンがブルブルと着信を告げた。
取り出してみるとディスプレーには『Nero e bianco』の文字が浮かんでいる。
直ぐにホールドボタンを押した。
店から? 親父は午後から不在のはずだけど呼び出しは受けていない。
トラブルか何かか? スタッフで処理しきれないトラブルなど起きるはずも無く、とりあえず授業が終わってから折り返し電話してみた。
「代理、申し訳ございません。お客様がどうしても代表者にお会いしたいとお待ちなのですけれど」
「オーナーは?」
「連絡が取れなないのです」
「判った。直ぐに行くから時間に余裕があるのなら待っていてもらって」
「本当にありがとうございます」
俺が高校に入学する頃までは親父の自由奔放さにスタッフは神経を磨り減らして疲弊しきっていた。
当然のように中には不平不満を漏らす者も現れ店は軋み始めていた。
そんな状況で時々店に顔を出していた俺に白羽の矢が立ち拠り所にされてしまった。
オーナー不在の時は特に顔を出さないわけにも行かず、東雲と久しぶりに駅前で遊ぶ約束をキャンセルして店に向かった。
「で、代表者に是非とも会いたいお客様がジャンガリアン2匹と犬な訳?」
「ジャンガリアンじゃないもん」
「ジャンガリアンじゃないです」
「ワン!」
怒気を頬に詰め膨らませる小動物が2匹と嬉しそうに尻尾を振る犬が一匹店内にいた。
「お客様。ペットのお持込はご遠慮願いますか?」
「晴海、酷いよ。今日はちゃんと並んできたんだから」
「で、何も注文せずに客だと?」
「うう、意地悪」
裏口から走り込んできて着替える前に店内を確認すると3人が満面の笑顔で手を振っていた。
首謀者はどう考えても菜露で参謀が美雨先輩になり誘われたのが麟堂と言う事になる。
全身から力が抜けていく。
お昼に学食で色々な意味合いの視線をあたり一面から浴びながら4人で食事をしたのが嘘のようだった。
「東雲との約束を反故にしてきたのに友情にヒビが入ったらどうするつもりだ」
「それじゃ晴海は、私達の心にささくれが出来てもいいの」
「それは俺の責任の範疇を超えている」
「やさぐれてやる」
「ご自由にどうぞ」
「なぁ、亀梨。この店がお前の店って本当か?」
「あのな、俺の店のわけが無いだろ。親父の店だ」
麟堂が我関せずと嬉しそうに質問を浴びせてきた。
「噂には聞いた人気店なんだが、中々並んでまで買いに来られないのでな。今日は両親に是非とも買って帰ろうと思う」
「とりあえず、ありがとうと言っておく」
「ああ、何を買おうか楽しみだなぁ」
「で、今日も何用なんだ?」
「あの、ハル君。嘘ついたみたいでゴメン」
「もう良いよ。いつもの3つとブラックを1つ持ってきて」
スタッフに声を掛けると笑顔で答えてくれる。
とても有り難い事だと思う、後でスタッフに一応説明だけはしておこうと心に誓った。
目の前では蜂蜜入りホットミルクを飲みながらワイワイと華やかに差し入れの焼き菓子の盛り合わせに舌鼓を打っている可愛いい部類に入るであろう3人の女の子がおしゃべりをしている。
差し入れの焼き菓子は焼きムラが出来たり形が崩れたりしたカヌレや今人気の焼きドーナツにマドレーヌそれにチョコブラウニーやクッキーだった。
「ねぇ、ハル君。週末の予定は?」
「悪いが、仕事で出掛ける」
「うう、デート出来ないんだ。でも仕事じゃ仕方が無いよね。はぁ~」
美雨先輩ががっくりと肩を落とした。
「でも晴海、お店に来れば会えるんでしょ」
「出掛けると言ったはずだ」
「土日の2日間も?」
「3日だ。金曜日から出掛ける」
「ええ、金曜日もハル君に会えないの……寂しいよ」
「仕方が無いと言ったのは美雨先輩だけどな」
「ううぅ……」
そんな顔をされても困るのだが毎年この時期には親父か俺が必ず出向いて行く場所なので外す訳にはいかなかった。
「亀梨、何処に行くんだ?」
「北海道だ。スタッフから親父の伝言で頼まれてな」
「「「北海道?」」」
美雨先輩と麟堂は嬉々として楽しそうに答え、菜露だけが意気消沈して答えた。
「どうした、菜露」
「ううん、別に」
「行きたいのか?」
俺の問いかけに菜露は首を振るだけだった。
菜露は俺に対して遠慮が無いように見えるが決してそうではない。
どこか必ず一線を引いている兄妹のよう接していてもやはり本物ではないからかもしれない。
そして霧華に対しては決して我侭も言わず。生活費もバイトをして霧華に渡している。
それに対して霧華は何も言わないが何かを待ち続ける姿勢を崩さない。
何を待ち続けているかと言われれば言わずも知れた菜露が自然に姉妹の様に何でも言ってくれる事なのだが、膠着状態のまま今に至ってしまっている。
二人の中間に俺がいて緩衝材の役割をしていた。
温くなってしまったブラックティーに口をつけスマートフォンを取り出して霧華に電話を掛ける。
2コールもしないうちに霧華が電話に出た。
「悪いが金曜から3日間、菜露を借りるぞ」
「何をするつもりだ」
「北海道に連れて行く、良いかな?」
「対価は何だ?」
「あのな、そんな事を言うから菜露が遠慮するんだ。白い」
「赤い蟹だ」
霧華がそれだけ言い切って携帯も切った。
北海道といえば『恋人たち』なのに却下されたが了承は取れたようだった。
「そんな顔をするな。金曜の朝に迎えに行くから準備しておけ。荷物は最小限だぞ」
「うん!」
菜露の頭をなでると喜色満面の顔で答え。
美雨先輩と麟堂は何故か嬉しそうな顔をしてそっぽを向いていた。
翌朝、霧華のマンションの下に行くとまん丸になったジャンガリアンが立っていた。
「ジャンガリアンじゃないもん」
「冬毛か?」
「ぶぅ、晴海の馬鹿」
「霧華はどれだけ過保護なんだよ」
ファー付のモッズコートを脱がして重ね着している物を数枚脱がせると、やっぱりジャンガリアンだった。
「変わらないか」
「酷い、変わった。動きやすいもん」
「だったら霧華にそう言え。遠慮なんかするな、霧華は菜露が我侭を言うのを待っているんだ」
「う、うん。晴海がそう言うならそうする」
「少しは自分で考えろ」
「晴海が怒った」
「当たり前だ。菜露だから本気で怒るんだ」
「好き?」
「……の次だな」
「言っちゃお」
「置いていく」
「北海道! 行くもん」
羽田からジャンボで1時間半のフライトで新千歳空港に到着した。
待ち合わせの場所に向かい自動ドアを出ると身が引き締まり途端に吐く息が白くなる。
うす曇だが雪は降りそうにない。
辺りを見渡すと直ぐに声を掛けられた。
「おーい、ハル坊。こっちだ」
「ご無沙汰しています、小次郎さん。ハル坊は止めてくださいよ」
「何を言う。まだケツの青いガキが」
「本当に敵わないな」
夜中に出会えば確実にヒグマに間違われそうな体格にひげ面で、デニムのオーバーオールに厚手の紺色のコートを着て防寒用の長靴を履いている。
夏場はコートが薄手のジャンパーになり長靴が防寒用になっていないだけで基本的に一年中この格好のままで、流石に親父の店にこの姿で現れた時はスタッフ一同度肝を抜かれた事がある。
親父の旧知の間柄で名前を和泉小次郎(いずみこじろう)さんと言う。
本人曰くこの格好が正装らしい。店では熊さんで通っている事など本人は知らない。
「晴海、この人がもしかして熊さん?」
「それは内緒だぞ」
「おお、もしかして妹(仮)の菜露ちゃんかな?」
「ぶぅ、妹(仮)じゃないもん。一応、恋人候補(?)だよ」
「どのみち括弧・括弧綴じなんだな。こいつが朝香菜露だ、霧華の義理の妹だ」
「ああ、あの網走みたいな姉さんか」
例えが微妙だ……
道東では温暖な方だといわれているが網走と言われて直ぐに思いつくのがオホーツク海の流氷と刑務所だろう、だからってそんな場所を例えにしなくてもと思う。
菜露は俺の後ろに隠れるようにして小次郎さんの顔を覗いていた。
「あのな、喰われたりしないよ。味噌ラーメンのような人だ。濃ゆくて温かい」
「微妙……」
小次郎さんは豪快に笑い飛ばしながらグローブの様な手で俺の肩を叩いている。
「で、本命は何処だ?」
「仕方ない、呼んでみます。霞!」
「呼んだのか? 俺の事を呼んだのか?」
「早!」
狼の気高さや気品なんて微塵も感じられない、まるで飼い主に名前を呼ばれた子犬と言った方がぴったりの表現だろう。
目をまん丸にして輝かせ尻尾を千切れんばかりにブンブンとこれでもかと言うくらい振っている。
そして左手には……
全身から力が抜けてしゃがみ込んでしまった。
「がははは。お譲ちゃんは修学旅行かな?」
そこには明陽学院大学付属高等学校の制服に白いコートを着て指定のカバンを持っている美雨先輩が困惑顔で立っている。
もちろん足元はこげ茶色のローファーだった。
麟堂は襟元にファーが付いたキャメル色のレザーコートを着て細身のジーンズに茶色いレースアップブーツを履いている。
もちろん雪仕様になっているのだろう。そして小さなバッグを肩に掛けている。
小次郎さんは腹を抱えながら豪快に笑い続けていた。
「おっさん。何がそんなに可笑しいんだよ」
「おお、すまん。すまん。あんまりにハル坊がヘタレなんでな。その成りじゃ寒いだろう、車に乗った、乗った」
麟堂が小次郎さんに噛み付くと直ぐに小次郎さんが3人を車に案内した。
「うわぁ、綺麗だな」
「温かいよ。晴海早く」
麟堂と菜露が後部座席に飛び込み車の中を見渡している。
仕方なく美雨先輩を先に乗せて俺も乗り込んだ。
真っ黒なボディのデリカは圧巻だったインチアップされホイルも黒で統一されている。
そしてルーフには4灯のルーフランプが付いていてキャリアまで組んである。
車内は純正の落ち着いた感じのベージュのシートで2・3・3の8人乗りの仕様になっていた。
「しかし、ハル坊にも制服までは判らなかったか」
「おっさん。どう言う意味だ?」
「あのな、おっさんは勘弁してくれ。俺は和泉小次郎だ、ハル坊の親父の親友とでも言っておこう」
「俺は麟堂 霞だ。亀梨の下僕だ」
「ほほう、それじゃ霞ちゃんがハル坊の彼女じゃないんだな」
「それは全く違うな。亀梨は命の恩人だからな」
「そうか恩人か。ハル坊は凄く勘が良いんだよ。だから人の先を読む事が出来るんだ」
「それは予知みたいなものか?」
「第六感の様なものだが、予知みたいに未来が見えるとかじゃなくて勘が良いと言った方が正しいかもな。その勘で俺にバンで迎えに来てくれと言ったんだ、君ら二人が来るのを恐らく判っていたのだろう」
「へぇ、凄いな」
小次郎さんの言葉に麟堂はとても感心して目を輝かせている。
「そんな凄いもんじゃねぇよ。誰だってあの思惑顔をみれば直ぐに想像が付くだろ。それに菜露を連れてくる事は決まっていたからケツが痛くなるジープで迎えに来られるよりましだからな。で、美雨先輩は何で制服なんだ?」
「だって、北海道に行くなんて言ったら大変な事になるし。お父さんがそんな事許してくれないもん。だから麟堂さんの家に泊まるって……」
「嘘をついて出てきたと学校に行く振りをして。で、小次郎さんは何でこんな車なんだ。白いバンがあっただろ」
「あのな、ハル坊。あれは自家用といっても牧場で作業に使ってるんだ。そんな車でお前がはじめて連れてくる彼女を出迎えに来られるか。あほが」
「計算づくか」
「お前ほどじゃないがな」
「クチュン!」
可愛らしいくしゃみが隣から聞こえてくる。
黒のダウンジャケットで美雨先輩の体を包み込むように抱きかかえると小次郎さんがルームミラーで俺と美雨先輩を見ている。
「ハル、お前の彼女もちゃんと紹介しろ」
「美雨先輩だ。鳳条美雨、一つ年上だ」
「鳳条? まぁ良いか。とりあえず服を買わんとな」
新千歳空港から程近い大きなアウトレットモールに連れて来てもらっていた。
理由はただ一つ、美雨先輩の洋服を買う為だけに。
「うぅ、そんなに強調して言わないで……ょ」
言葉がフェードアウトしている、反省はしているようだ。
が、制服姿の美雨先輩を連れて歩くと言うか冬の北海道でローファーを履いて歩くのは危険すぎる。
広い吹き抜けのドームで待ち合わせをして菜露と霞に美雨先輩の買い物を頼む。
女の子の買い物は女の子同士のほうが判るから俺が一緒に行っても仕方が無いだろう。
この際言っておくがナンパイベントなんて起きない方が無難だと思う。
時間が無い事を告げると俺からカードを受け取った菜露と霞に引き摺られる様にしながら美雨先輩が助けを求めるように俺を見ていたがここは見えない振りをした。
菜露は俺のカードで使いを頼む事があるので任せておけば安心だ、小次郎さんも用事があると言って買い物に行ってしまった。
ベンチにでも腰掛けて待つ事にする。
サザンやスピッツのバラードが流れている。
今は松任谷由美のリフレインが叫んでいるがBGMで流れていた。
「晴海!」
「亀梨!」
菜露と霞に呼ばれて振り返ると美雨先輩が恥ずかしそうに立っている。
白いニット坊を被りベージュ色のファーが付いた白いダウンを着ている。
ダウンの裾からはモコモコのスカートの裾が見える白いワンピか何かだろう、デニレギに足元はイエローヌバックのショートブーツを履いている。
先輩の栗毛色と言うか不思議な色のウエーブがあるロングコートが際立って見える。
「で、菜露も着替えたのか?」
「うん!」
いつの間にか菜露は上着のコートは変わらないがパニエで黒いスカートが少しだけ広がっていて、黒いニット帽を目深にかぶっていた。
「あの、亀梨」
「何だ? 菜露に何か買ってもらったんだろ。構わないさ」
「本当か? ありがとう」
茶色い耳あて付のスポーツキャップを霞が嬉しそうに頭に被った。
「うぅ、放置プレーなんだ」
「NGワードです。美雨先輩」
そこに小次郎さんが白い買い物袋を提げて大またで戻ってきた。
「おお、皆揃ってるな。へぇ、可愛いな。ハルの彼女はまるで雪の妖精だな」
「いつの間にハル坊から成長したんだ?」
「あん、守るべき女が出来たら坊じゃなく男だろ。そう言うこった」
「まぁ、良いや」
雪の妖精ね。言い得て妙だな、確かに雪の様な人だとは思うけど敢えて口にしない。
仮契約……近すぎず遠すぎず曖昧な距離で恋愛には不向きな契約だな。
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