第5話 人狼

鳳条先輩と仮契約を結んだ夜遅く。

俺は小腹が空いてマンションの近くにあるコンビニで買い物をしていた。

「寒! ちゃんと着替えてくれば良かったかな」

そんな独り言を言いながら改めて自分の格好をみた。

風呂上りで寝る前だったのでグレーのスエット上下に白いアメフト部のロゴ入りベンチコートを羽織っている。

夜空を見上げると都会では珍しく星が瞬いている。

普段より空気が澄んでいて寒いわけだ、放射冷却が起きているのだろう。


マンションは眼と鼻の先でコートのポケットに手を突っ込んで足早にコンビニを飛び出して緩い坂道を小走りで駆け上がる。

するとクリスマスの夜に鳳条先輩を拾った粗大ゴミが置かれていた街灯の下に人影が見える。

気にせずに通り過ぎようとするといきなり声を掛けられた。

「明陽の亀梨晴海だな」

「誰だ?」

街灯の下に居たのは制服姿の女の子だった。

歳で言えば同じくらいかウルフカットで切れ長の目をして整った顔つきをしているが、その瞳は獲物を狙うような光を放っている。

真冬の夜に寒くないのかコートなどは着ていない。

背丈は160と言った所か、しなやかそうなスレンダーな体に有名デザイナーが手がけた制服を着ている。

今時の女の子らしくスカートを短くしてその下に黒いスパッツのような物を穿いている様だった。

彼女の顔には見覚えが無いがその制服には見覚えがあった。

確か東雲の彼女が通っている姫乃月学園女子の制服が……

そんな事を考えていると彼女がノーモーションでハイキックを放ってきた。

咄嗟に避けると前髪が蹴りの風圧で靡いた。

「うお、危ねぇ。いきなり何なんだ?」

「こちらの質問に答えろ。貴様は明陽の亀梨か?」

躊躇せず人の頭に目掛けて蹴りを繰り出すような人間に教える名前など無いし義理も無い。

かと言ってこのままでは済みそうに無い。

ここは逃げるのがベストな方法だと思い、女の子にする事では無いと思うが持っていたコンビニの袋(中身入り)を彼女に投げつけて走り出した。

これでもアメフトで鍛えた体だ、そう簡単に女の子に追いつけないだろう。


マンションから少し離れた公園まで全力疾走して逃げてきた。

久しぶりに走ったので流石に息が上がる。

息を整えながら水飲み場に向おうとすると背後で砂利を踏みつけた様な音がして背筋に悪寒が走る。

恐る恐る振り返るとそこにはあり得ない事に息一つ上げていない彼女の姿があった。

「マジかよ」

「明陽の亀梨だな」

「だとしたら何なんだ」

「死んでもらう」

言い終わらない内に襲い掛かってきた。

女の子に暴力を振るうなんて事は出来ないが、死ぬ訳にもいかないしこれでも喧嘩に明け暮れた時もあった。

ノーモーションで蹴りを繰り出せるくらいだ、彼女が半端無く鍛えて居るのが判り油断は出来ない。

それに受け止める彼女の蹴りやパンチはどれも信じられないくらい重かった。

しかし、所詮女の子の力だ、高が知れていた。

蹴り出してきた足首を掴み力任せに振り回すとバランスを崩し尻餅を付くように倒れた。

「誰なんだ。お前」

「死ぬ奴に名乗る名前は無い」

「そんな蹴りで散ると思っているのか?」

「そうだな、それならば」

彼女から殺気が漲ってくる。

すると犬の様な耳と尻尾が現れ、彼女の両腕は灰色の毛に覆われ鋭い爪が出ていた。

「犬?」

「人狼だ」

鋭く伸びた犬歯が街灯に照らされて不気味に光った。

次の瞬間、内臓を抉られる様な激痛が腹部に走り口から血が噴き出した。

体がくの字に折れ曲がり彼女の拳が俺の腹にめり込んでいる。

彼女の顔には不気味なくらい笑みがこぼれるが息も出来ず指すら動かせない。

俺の体から拳を抜き、彼女が体を回転させ力任せに裏拳が俺の側頭部に叩き込まれた。

視界が歪み数メートルは吹き飛んだのだろう。

自分の体がどうなっているのかさえ判らないような状態だった。

常人だったら最初の一撃で散っていたはずだ。

アメフトで地獄の様な扱きを受けた賜物か、あるいは俺が既に人間では無い所為なのかそんな事はどうでも良い事に思えた。

今、言えることはあれだけの攻撃を受けても何とか息が出来て、首の骨すら折れていないと言う事だった。

しかし、現状は良くなる事は無く体の自由が全く利かず地べたを這いずっている。

そんな俺の髪の毛を掴み上げて彼女は俺の顔を持ち上げた。

「ほう、これでもまだ息があるか。流石、ヴァンプの眷属だな」

「そんなのは関係ねぇよ。俺は亀梨晴海だ」

意識が朦朧としてくる。

鳳条先輩の笑顔が頭の中を過ぎった。

俺が散れば彼女は……

ここで散る訳にいかない。

何か得体の知れないものが体の奥から湧き上がって来る。

ドクンと鼓動が跳ね上がった。

片膝を立て立ち上がろうとすると髪の毛を引っ張られ前に倒れそうになる。

それを有らん限りの力で堪えると彼女の声が聞こえた。

「死ね!」

彼女が獣の様な右腕を振り上げた。


「ギャン!」

断末魔の様な叫び声を上げたのは俺ではなく彼女だった。

一瞬、何が起きたのか判らない。

判ることは彼女の顔が苦痛に歪み俺の髪をつかんでいた左腕を押えている。

押えている腕が折れているのか指先はだらっとして力がなかった。

「き、貴様。何者だ」

「何度も言わせるな、俺は亀梨晴海だ」

「許さん! 死ね!」

彼女の右手には何処から取り出したのか親父が良く見ていた昔の映画『ランボー』も真っ青なくらいのサバイバルナイフが握られ。

もの凄い形相で向ってくる。

しかし、俺には避ける気力も残っていなかった。

途切れそうな意識の中、自分の影が揺らいでいるのに気づいた。

「やべぇ、眼まで掠れてきやがった」

すると影の中からまるで水面から飛び出すように日本刀の刃先が出てきて、人狼の彼女の喉元に切っ先が突きつけられ彼女の動きがピタリと止まった。

思わず顔を上げるとサバイバルナイフの刃先が目の前にあった。

「動くなよ。動けばこの紅雀が貴様を貫くぞ」

その声はクリスマスの夜に聞いた冷酷で冷徹な声だった。

影の中から制服姿の漆黒のウエーブが掛かったロングコートが現れる。

彼女だった。

鳳条美雨先輩の夜バージョンとも言うべきか先輩の本当の姿と言えばいいのか。

吸い込まれそうな青い瞳が人狼の彼女を見据えている。

「ち、力が増している何故」

「この場で散りたくなければ消えろ」

殺気立っていた人狼の彼女から闘気が消え、同時に風の様に彼女の姿も消えた。

すると体から力が抜け地べたに倒れ込んだ。

「大丈夫か?」

「散ってはいないみたいですね」

「これを飲め」

そう言うと黒い鳳条先輩は人差し指を口に含み直ぐに指を俺の口につけた。

温かい物が流れ込んでくる。

それが先輩の血である事に直ぐに気づいた。

すると体中の痛みが瞬時に消えるのが判る。

「どうして、痛みが」

「ヴァンプの血には高い治癒能力がある。ハルの体にも同じ力が宿っているはずだが直接飲んだほうが早い」

「だから、あの攻撃でも散らなかったのか」

「まぁ、ハルの身体能力は元々高いようだからな、その所為もある」

「ハル? 俺の身体能力? 鳳条先輩」

「おかしいか? 俺の事はミウと呼べ」

黒い鳳条先輩に戸惑ってしまう。

昼間の鳳条先輩に比べ言葉も男言葉で性格も全く違うようだ。

そこで一つの疑問が浮かんできた。

「鳳条先輩。って痛!」

「ミウと呼べと言ったはずだが」

いきなり刀の柄頭で頭を小突きやがった。

どんなに痛いツッコミだよ、思わず頭を押さえる。

「判りましたミウ先輩」

「先輩はいらん」

再び小突かれた。


頭の形が悪くなる前に北風が吹き抜けている公園から暖房の効いている暖かいマンションに戻り、校舎の屋上で鳳条先輩に言われたとおり夜の鳳条先輩じゃなくミウに少しだけ話をする事にした。

「何か飲みますか?」

「蜂蜜入りホットミルク」

「判りました。直ぐにできますから適当にくつろいでいてくださいね」

あの晩と同じ様にカウンターキッチンでミルクパンに牛乳を入れ火にかける。

そしてポットでお湯を沸かす。

顔を上げるとミウはソファーに深々と腰を降ろしている。

ブラックティーと蜂蜜入りホットミルクが入った2つのマグカップを持ってホットミルクの方をミウの前に置きソファーに腰を降ろす。

するとミウが両手でマグカップを持ちながら美味しそうに蜂蜜入りホットミルクを飲み始めた。

こうしてみると髪と瞳の色以外は鳳条先輩そのものだ。

まぁ、どちらも本人なのだろうけど。

「ミウと鳳条先輩は同一人物だよな」

「解離性同一障害のような類ではない記憶も感覚も共有している。表裏一体だ、まぁ別人に見えても仕方が無い。それは力を解放している所為だ」

「どうやって力を解放するんだ?」

「うむ、それは感覚だから説明しようがない。何かの拍子に判るようになる」

「曖昧だな。それじゃ力とは何だ」

「ヴァンプは力の大妖と呼ばれている。全ての力が飛躍的にアップする、それは治癒能力さえもだ」

「それでも血を失えば死んでしまうんだろ」

「血さえ失わなければ無敵に近いが弱点もある。ホワイトアッシュの杭を胸に打ち込まれたら終わりだ。それに銀で傷つけると治りが遅くなるし銀を傷つける事も出来ない」

とりあえず苦手な物だけを聞いておく、俺は半ヴァンプらしいから。

「で、あの人狼は何なんだ?」

「俺の命を狙う輩だ」

「何で命なんて狙われるんだ」

「俺が人側に居るのが面白くないんだろ」

「それってつまり人の味方と言う事か?」

「まぁ、そうだ。現代では我々の様な闇の者は鳴りを潜めて静かに暮らしているが中には人に仇なす者もいる。そう言う輩を排除している」

「何でそんな事を? 大人しく暮らしていれば襲われる様な事は無いのだろ」

「人間の中にも我々の様な者を排除しようとする人間がいる。そんな人間に幼い頃に捉えられて消される寸前に救ってくれた人間がいるんだ」

「まるで囚われのお姫様を助ける正義のヒーローみたいな奴も居るんだな」

「同い年ぐらいの男の子だった」

「男の子?」

「そうだ、牢屋から出してくれて自由にしてくれた」

「で、その男の子は?」

「その後の事は良く判らない名前も……」

「どうした?」

「いや、その男の子がハルと呼ばれていた気がする」

「まぁ、世界中にハルなんて呼ばれる男は有り得ないくらい沢山存在するぞ。それに……」

思わず声を上げながら笑ってしまった。

ミウはポカンとした顔で意味も判らず?マークを量産して俺の顔を見ている。

何で今まで気付かなかったのだろう。

それはクリスマスの夜に人ではなくなってから感じていた違和感の理由が判った瞬間だった。

「ハル! 貴様、私を愚弄する気か?」

「悪い、悪い。そうじゃねぇよ。実は俺の左目は光を感じないと言うか義眼なんだよ」

「……義眼?」

「そう、俺がまだ男の子だった時に何かの爆発事故に巻き込まれて左目の光を失ったんだ。そして光と共にそれ以前の記憶を無くした。つまり幼い頃の記憶が無いんだ。でもヴァンプの高い治癒能力の所為なのか左目に光が戻っている事に今の今気付いたんだ」

「しかし、ハルの左目が義眼だったなんて」

「霧華と菜露以外は誰も知らないよ。それに最先端の義眼だったからな光は感じないが普通に動いていたし。怪我の功名ってやつかな」

「そうか、それともう一つだけ私はハルの影に潜む事が出来る。言い換えればハルの影さえあれば何処にでも現れる事が出来るからな。何かあれば名を呼ぶといい」

「まぁ、何も無い事に越した事は無いよ。俺は平和を愛する人間なんでね。それに鳳条先輩が風呂にでも入っている時に呼び出してみろ。あられもない姿で来られたって困るだろ」

「ば、馬鹿!」

ミウが顔を真っ赤にしている。表裏一体と言うのは本当の事のようだ。

「で、俺に聞いておきたい事は無いのか?」

「あ、そのだな……別に無い。帰る」

そう言いながら俺の影の中にミウは潜って行った。

濁した言葉が気になるが週明けの月曜日に鳳条先輩に聞けばいいくらいに思っていた。

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