第3話 屋上
俺は始業式を抜け出して校舎の屋上に来ていた。
2年の3学期まで一度も始業式に出た事が無いのだから出なくても構わないだろう。
それにその事について一度も指摘された事は無い。
始業式は出席日数には響くが単位には響かないので他で回収すれば良い、ただその程度の事だからなのだろう。
空は快晴。
北風も穏やかでブレザー姿でも寒さはそれほど感じなかった。
このままふけてしまおうか、そんな事を考えていると寄りかかっている壁の横にある屋上のドアが開いてドアの影から女の子が顔を出す。
不思議な色の髪の毛が風に吹かれ靡いている。
「亀梨君、発見!」
「こんな時間に先輩はサボりですか?」
「現にサボっている亀梨君には言われたくないな」
「一つだけ忠告しておきます。俺なんかに係わっていると先輩の評判を落としますよ」
「あら、私はそんな事は気にしないわ。評判なんてただの噂にしか過ぎないもの」
そう言いながら俺の横に腰を降ろした。
初めて出会った時は状況が状況だっただけに気づかなかったが小柄な生き物と言うだけで年下だと思い込んでいたらしい。
落ち着き払った物腰、そして瞳が特に印象的だった。
吸い込まれそうなくらい不思議な茶色い瞳をしている。
そしてその瞳は何処までも真っ直ぐで、何処と無く悪戯ぽさを秘めている。
「会えたのは運命だと言ったはずよ」
「運命ですか。それじゃ先輩は俺の事を知っているんですか?」
「ええ、知っているわ。亀梨と書いてきなし君、身長178センチ体重62キロ。アメフト部に所属・ランニングバックやクォーターバックなどをこなすマルチプレーヤーだった。喧嘩っぱやくって女たらし。不良of不良。不幸を呼ぶ男。誰に聞いても黒い噂ばかりね」
「それなら」
「言ったはずよ。そんな物はただの噂に過ぎない。喧嘩の理由はいつも誰かを守る為。そして女子が交際を申し込んで断らないのは相手を傷つけない為と自分も傷つきたくないからかしら。それでも亀梨君の中ではルールがある。違うかしら?」
理由は判らないが鳳条先輩にはお見通しの部分があるようだ。
告られて断らないのはそれ以上言い寄られるのが面倒だから。
誰かと付き合っていると噂が流れれば言い寄ってくる女の子は確実に減る。
だから二股なんて絶対に有り得ない。
適当に相手をして踏み込んできたら冷たい態度を取れば自然と離れていく。
そしてこちらからは決して近寄らない理由なんて簡潔だ。
恋愛感情なんて何処にも持ち合わせていないのだから。
喧嘩の件は誰にでもある事で触れられたくない事に触れられれば誰でも怒るただそれだけの事だ。
「それと1年生の子とも仲が良いのね」
「ああ、菜露か。朝香菜露、竜ヶ崎先生の義理の妹だよ。よって菜露には後輩以上の感情はあるがそれ以上でもそれ以下でもない」
「それはどう言う意味なのかしら?」
「言葉のまんまさ。先に言ったはずだ、俺と係わると評判を落とすって。そんな事なんか気にせず菜露は俺に接してくるからな。それと竜ヶ崎先生と言うより竜ヶ崎霧華は俺が子どもの頃からのお目付け役だよ」
「親代わりって事なの?」
「家の都合ってやつ。親父は仕事命の人間だからな。母親は訳ありで居ない」
「訳ありって亀梨君は子どもの頃は海外に居たんでしょ」
「親父の仕事の都合だ。ヨーロッパを転々と日常会話程度ならフランス語・イタリア語・英語の3カ国語なら喋れる」
「うわぁ、凄いんだ」
「凄い事なんかじゃねえよ。俺が生まれたのはイタリアのシチリアだからな」
段々、苛々してきたなんでこんな事を話さなきゃならないんだ。
そして苛々の原因はクリスマスの夜の事を聞きたいがどうしても聞けないで居る自分自身の所為だった。
「ごめんなさいね。色々と喋りたくない事を聞いてしまって」
「別に。ただあまりプライベートな事は喋りたくないだけだよ」
「嘘つき。まぁいいわ。それじゃ亀梨君は私の事をどの程度知っているのかしら?」
「誰に対しても物腰が柔らかく下級生からも同級生からも人気がある。正義感が強く曲がった事が嫌いな人。成績は中の上。容姿端麗。運動神経もそこそこな学院のアイドルってくらいですよ。名前だって朝に知ったばかりですし」
竜ヶ崎に怒鳴られてホームルームが終わった後で始業式までの間に聞いた情報が全てだったが俺みたいな黒い噂なんて何処にも無く真っ白で、何処かで聞いた事があるような『清く正しく美しく』を地で行く様な人だった。
俺の知っている情報は鳳条先輩に言わせればただの噂にしか過ぎないがだ、俺の知りうる情報の全てだった。
下の方でチャイムが鳴っている始業式が終わったのだろう生徒たちの声がザワザワと聞こえてきた。
「先輩、そろそろ戻ったほうが良いんじゃないですか?」
「あら、亀梨君は戻らないの?」
「ええ、どうせ誰かが落としたギガトン級の爆弾の所為で呼び出しを喰らってますから。よってこれ以上俺に係わらないで下さい」
「申し訳ないけれどそれは無理な相談ね。だってあなたは既に私達側だから」
鳳条先輩の放った言葉が俺を貫き、立ち上がろうと浮かしかけた腰を力なく落とした。
それは本日二つ目でこの場に当事者しか居ないがメガトン級の爆弾で。
クリスマスの夜の事が現実になった瞬間だった。
「マジですか……」
「ゴメンなさいと謝るべきかしら」
「いや、助けたのは俺自身の意思ですから」
「それと、毎晩お邪魔しちゃって」
「はぁ? それじゃあれは夢じゃなくって……」
「現実よ。クリスマスの夜は本当に塵になる寸前で、それでも訳も聞かずに助けてくれた君に申し訳なくって。亀梨君が人間に戻れるかもしれないギリギリの量しか飲む事が出来なかったの。でもそれじゃ結局全快するには足りなくって毎晩少しずつ補わせてもらっていたの」
「それじゃ、俺は?」
「今は限りなく人間に近いヴァンプかな」
「かなって曖昧だな」
「詳しい事は夜の私に聞いて頂戴ね」
すると何か柔らかくって温かい物が俺の頬に当たり鳳条先輩は耳元で『頂きました』と言って颯爽と屋上を後にしていた。
先輩に出会ってから二度目の撃沈……
その場で冷たいコンクリートの屋上に倒れこんだ。
見事なまでの散りぷりだった。
どう足掻いても先輩に勝てる気がしなかった。
始業式が終わっても授業をしている教室がいくつもある。
俺自身も受けようと思っていた授業があったがそんな気分になれずにただでさえ重い体を足取りも重く職員室に向った。
「失礼します。竜ヶ崎先生は? 居ないか。ほっ」
「何を『ほっ』と安心して気を抜いているんだ。亀梨晴海」
「いや、出直してきます」
「いいから来い」
気配も一切感じさせず背後から竜ヶ崎先生の声がして、職員室の隣にある折檻部屋とも呼ばれている進路指導室に連れ込まれようとしている。
竜ヶ崎先生が俺の襟首を掴んで力任せに引っ張った。
「な、何でここなんだよ。職員室でいいだろうが」
「それじゃ、職員室で話せるような事なのか? 登校して来たくせに始業式をサボって女と屋上でいちゃつくとは良い根性しているよな」
完全にロックオンされている、大人しく従うしか無いようだ。
逃げ出してもAIM-9 サイドワインダーの様に執拗に追い詰めてきて撃沈されれば跡形も無く散ることになるだろう。
渋々進路指導室にある椅子に腰掛けて机に片肘を突いて不機嫌の権化の様な顔した。
現に体はすこぶる調子が悪い。
すると竜ヶ崎先生は机の横にある資料が入れられているスチール製の本棚に寄りかかって腕組みをして俺を見下ろしていた。
「で、何が聞きたいんだ?」
「晴海、3年の鳳条とはどう言う関係だ?」
「関係も何もねぇよ。ただクリスマスの晩に雪に埋もれていたから助けただけだ。喋れる状態じゃなかったからマンションに一晩だけ置いた。それだけだ」
「何故、マンションに?」
「警察に任そうとしたが拒絶された。放っておく訳にいかないだろう、あのまま放置したら寝覚めが悪いし、今頃は新聞沙汰になって大騒ぎだろうよ。明陽学院のアイドルが野垂れ散ったって」
「本当にそれだけなのか?」
「彼女がここ明陽学院のアイドルだって知ったのは今朝だ。まぁ、不意打ちで2回ほど頬にキスされたけどな。それ以上でもそれ以下でもねぇよ。理由は霧華が一番良く知っているだろうが」
それにこれ以上もこれ以下も話をするつもりは無い。
俺自身ですら俺自身に起こっている事が未だに信じられないでいる。
そんな事を易々と話す訳にはいかないだろし喋るべきではないだろう。
始業式に出席していた霧華が鳳条先輩と俺が屋上に居た事を知っていたのは全くと言っていいほど不思議に思わない。
何故なら霧華のスキルやポテンシャルが半端ない事は身を持って知っていたから。
「しかし、お前の親父さんにも困ったものだな。高校生のお前を完徹で働かすなんて」
「毎年の事だからしょうがねぇよ。それにあの店は俺が顔を出さなかったら確実に傾いて散るぞ」
「で、今は何処に居るんだ?」
「地球上の何処かだ。俺には関係ないだろ」
「そうはいかない。進路の事について話し合わないといけない時期だろうが」
「そんな物は鼻から決まっているだろう。何処かの店に下働きに出されるか、レシピと物々交換で海外行きだ」
「晴海はそれで良いのか?」
「良いも悪いもねぇよ」
「これから先は長いのだぞ」
「未来も夢も当に散った散った」
「本当にお前はうざい奴だな。とっとと散れ!」
本当に教師としては如何なんだ?
確実に軍隊の鬼上官の方が似合っている。
そんな竜ヶ崎先生に尻を蹴り飛ばされて強制的に廊下に排出されるとプリントを抱えている女の子にぶつかってしまう。
すると女の子が持っていたプリントが物の見事に舞い散って、女の子は尻餅を付いた。
「痛ぁい!」
「悪い。本当にゴメン。大丈夫か?」
「晴海のおたんこなす!」
頬を膨らませ口を尖らせて尻餅を付いている女の子もとい小動物は菜露だった。
「悪いな」
「通算534本目の犠打だね。それに私は小動物じゃないモン!」
「あのな、それじゃギネス記録になっちゃうだろ。それに俺は534回も呼び出されてねぇし、犠打って地味過ぎだろ」
そんな事を言いながら廊下に散らばったプリントを菜露と集める。
「お義姉ちゃん。何だって?」
「今朝の事情説明をさせられた」
「ああ、学院のアイドルと親密なお泊りデートか」
「親密でもデートでもねえよ。一体どんな話になっているんだよ」
「その件に関してはただじゃ言えないな。それに正式に謝罪してもらってないし。今朝だってあの後で質問攻めにあって凄く大変だったんだから」
「あのな、謝っただろう。判ったからそんな顔をするな。ケーキで手を打たないか?」
「やった! 『Nero e bianco』のケーキだよ。晴海と行けば並ばないで済むんだもん」
「了解」
早くも4月の新入部員獲得の為の練習だろうか、何処からかAKB48の『会いたかった』を奏でる吹奏楽部の練習が廊下まで流れて聞こえていた。
その後、プリントを職員室に届け約束どおり菜露にスイーツ&カフェNero e biancoに連れて行かれ。
菜露の気が済むまで俺はブラックティーを飲みながらケーキを奢らされた事は言うまでも無い。
まぁ、こうして菜露と放課後に出歩くのは嫌いではなかった。
ただ一つ、常に俺の腕にしがみ付いて密着してくる事を除いては。
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