第2話 晴れのち暴風雨
短い冬休みがあっという間に終わり。
休みボケの所為か、単なる寝過ぎか重い体を引き摺るように学校の校門に向かい歩いている。
それと理由は判らないがクリスマスの翌日からそれが何だか理解できないが違和感を覚えていた。
校門が近づくつれ生徒が多くなってきた。
ここ明陽学院大学付属高等学校は高校には珍しく単位制が導入されていて、大学と同じ様に履修する授業を好きな様に選ぶ事が出来るようになっている。
その為に登校時間や下校時間もまちまちで全生徒が同じ時間に登校するのは新学期の初めと学期末だけになっていた。
「ハルリン、おはよー」
後ろからいきなり腕をつかまれ。
まだ冬はこれからだと言うのに桜舞い散る春爛漫の様な顔をしながら、春の陽気でおかしくなった様な奴の呼び名でよばれてしまった。
見下ろすと可愛らしい茶色い髪のショートボブで頬をピンク色に染めて口を尖らせている小柄な生き物は、赤いショート丈のダッフルコートを制服の上に着て俺の腕をがっちりとホールドしていた。
「あのな、朝露。俺には亀梨晴海(きなしはるみ)っていう女に間違われそうな名前があるんだ」
「私だって朝露じゃないもん! 朝香菜露(あさかなつゆ)って名前だもん!」
「で、菜露。朝ぱらからなんなんだ?」
「久しぶりなのにつれないんだ」
「悪かったな。おはよー」
「うん!」
嬉しそうに返事をした菜露は一つ後輩で1年生だ。
他の生徒の波に乗りながら校門に向う。
この明陽学院は制服自体もかなり自由になっている。
基本は男女とも紺のブレザーで。男子のズボンはグレーか紺のスラックス、女子はグレーか紺のチェックのスカート。
シャツも白・ブルー・イエロー・ピンクから選べて、ネクタイとリボンも色違いで2種類用意されている。
そして夏場は白のポロシャツも許されていて自分で組み合わせる事ができる。
冬の季節はブレザーの下にパーカーを着ていたりする生徒も居るが先生方はあまり口煩く注意する事は無かった。
この時期に着るコートに関しても指定が無かった。
それ故にダッフルコートやピーコートが主流でダウンジャケットを着ている連中も多い、色もかなりカラフルだ。
俺はと言うとブレザーに紺のスラックス。
シャツは白でネクタイはエンジ。
スタンダードな黒いステンカラーコートを着ている。
カバンは学校指定のヨーロッパの学生が使っているようなキャメル色の革製で3wayバッグになっている。
俺はカバンを背負って両手をスラックスのポケットに突っ込んでいた。
校門を過ぎて昇降口に向っていると見知った顔が増えてくる。
「お、珍しい奴見っけ」
「おう、東雲(しののめ)か。真面目だな、相変わらず」
「どう言う風の吹きまわしだ? 始業式には殆ど顔を出さない奴が」
「別に、気まぐれ。朝早く目が覚めただけの事だ」
「そう言えば晴海。顔色悪いよね」
菜露まで突っ込みを入れてきた。
東雲(しののめ)は名を恋次(れんじ)と言い俺が一応在籍しているアメフト部の仲間で同級生だ。
一応と言うのは、今は殆ど部活には参加していない状況で幽霊部員と言った方がいいのかもしれない。
それと菜露が突っ込んできた顔色が悪いというのはその通りだろうと思う。
確かに体は重いしだるい。
それは毎晩の様に吸血鬼に寝込みを襲われる夢を見ていたからだ。
眠りが浅いというかそんな夢を見る原因はクリスマスの出来事だと思う。
そしてその夢を見た日は必ず体がこんな状態だった。
「晴海はお正月も仕事だったの?」
「ああ、完璧に拉致られて軟禁された」
「でも、バイト代は貰えるんでしょ」
「まぁ、な」
いくら身内だからと言って年末年始の2大イベントにただ働きじゃ目も当てられない。
しかし、予定があるのかと言えばそれはまた別の話だった。
「亀梨は去年も相変わらずか。で、どうした? あのクリスマス前に告ってきた彼女は?」
「ああ、クリスマスも正月も仕事だって言ったら『無理!』と叫んで何処かに消えた」
「あのな、少しは都合つけてやれよ」
「うざい。俺はあいつ等のファッションアイテムじゃねえっつうの」
「本当に勿体無い。お前は背も高くってかなりイケてるのに」
「それじゃ、東雲に今度は回してやるよ」
「いや、それだけは勘弁してくれ。あいつに殺される」
東雲は一駅向こうにある姫乃月学園女子高等学校・通称(姫女)に彼女が居て、その彼女は恐ろしいくらいヤキモチ焼きらしい。
俺が下手を打てばかなり高確率で東雲が天に召す事になるだろう。
少し見てみたい気もするが敢えて争いの種を撒く様な事はしないのが平和を愛する俺だった。
そんなくだらない話をしていると悪友達が集まり始めていた。
「晴海がいる」
「だから天気が良いのか」
「亀、元気?」
他はスルーしよう。
名前の所為か俺は晴れ男と言う事になっているらしい。
そして今日は悪友の言葉どおり抜けるような快晴だった。
昇降口がもう目の前で後輩の菜露と別れようとした時に校門の方でどよめきが上がった。
ざわつきながら集まり始めている生徒達の方を見ると1人の女生徒を取り囲むようにしていた。
取り囲んでいるのは殆どが1年生と2年生の女子でその周りを男子生徒が遠巻きに覗き込んでいた。
「なんだ。あれ?」
「新学期初日の恒例の儀式みたいなもんだ。亀梨は初めてだったな。取り囲まれているのは誰が言い始めたのか学園一のアイドル・鳳条美雨(ほうじょうみう)。3年生の先輩で名前は美しい雨と書き晴れ男のお前とは反対に雨女として認知されている」
「へぇ、そんな先輩が居たんだ。俺には関係ねぇな」
東雲の説明を聞いて昇降口に向おうとして振り返った時に、その鳳条先輩の顔が見えた気がした。
本当に一瞬だけチラっと見えた気がしただけだった。
が、次の瞬間。
俺の背中に数え切れない視線が突き刺さり、どよめきと言うより絶叫に似た雄叫びが上がっている。
俺の腕にしがみ付いていた菜露にいたっては巻き込まれない様に、飛び退きながら俺の腕から離れた。
「はぁ? 何なんだ?」
振り向くと見覚えのある栗毛色と言うか不思議な色のウエーブがあるロングコートの生き物が明陽学院の制服の上に真っ白なコートを羽織り俺を指差して声を上げている。
すると今まで出来ていた人だかりがモーゼの祈りで海が真っ二つに割れたように道が出来て、鳳条先輩が指を指したままゆっくりと歩いてきた。
何故だか判らないが嫌な汗が滲み出し、背中に嫌な物が走る。
そんな事はお構い無しに俺の目の前まで進んできた。
「同じ学校だったんだね」
「…………」
「また、会えたね」
「…………」
「でも、会えたのは運命だけどね」
「その会えたは、遭遇の遭えたですか? 鳳条先輩」
「えっ、名前。知っていてくれたんだ」
「いや、数秒前に聞きましたし。未だに先輩だなんて信じられませんけど」
「もう、酷い事を言うんだね、亀梨晴海君。クリスマスの一夜を共にした仲なのに」
雲行きが怪しくなり快晴から一気に暴風雨に変った。
鳳条美雨先輩のとんでもないカミングアウトのお陰で寸でのところで昇降口前は修羅場と化すところだったが、俺は東雲と悪友達に一瞬にして入学の時に振り分けられたクラスメイトと本来なら呼ぶべき人間の集まっている教室に粗大ゴミの様な扱いで連れて来られていた。
菜露は無事にあの場を離脱出来たのだろうか後でメールでもして安否を確認しよう。
そんな事を考えていると忽ち民衆に取り囲まれた小悪党の様な状態に陥っていた。
その周りを昇降口前に居たであろう男達が遠巻きに見て、女子は口々に不満を炸裂させている。
「鳳条先輩まで亀梨の毒牙に」
「とうとう我等が女神まで汚すか」
「命知らず。夜道は気をつけな」
平和を何より愛する者に対して酷い言いようである。
がしかし、平和を愛する故に反論はしないし反論しないといけない様な事を俺は一切していない。
「なぁ、亀梨。親友として忠告するぞ。今度も遊びか?」
「あのな、東雲。今度も次回もねえよ。今までだって俺は遊んでいたつもりはないし、俺から告った事なんて一度もねえよ」
「鬼畜!」
「うざ。勝手に向こうが言い寄ってきて勝手に離れていくんだろうが。それに俺は一度たりとも手を出した事が無い!」
「おお、言い切った」
悪友達が冷ややかな目をしながら感心している。
「それじゃ、キスは?」
「はぁ? 誰が好きでもない女にするか」
「それじゃ、迫られたらどうする」
「『腹が痛い、トイレ』で一発だ」
「外道、そこへなおれ。据え膳喰わぬとは不埒な奴。恥を知れ! 叩き切ってやる」
時代劇を見過ぎの奴が居るらしい。ご丁寧に抜刀する真似までしている。
「俺はこよなく平和を愛する人間だから」
「よく言うよ。俺らの中で一番手が早いくせに」
「不可抗力だ」
「それじゃ、鳳条先輩が言っていたのは嘘なんだな」
「……先輩の名誉の為だけに言っておく。一応、嘘じゃない」
俺は真実だけを述べた。誤解があるといけないので付け加えようとすると東雲が食い下がってきた。
「亀梨は確か一人暮らしだよな。一つ屋根の下に……やっぱり」
「あのな、一人暮らしは不可抗力だ。親父は自由が良いと子供みたいなことを言ってマンションから何処かに出て行ったんだ。それにあの晩も不可抗力だ」
未だに親父が何処で暮らしているのか知らない、店に居なければ地球上の何処かにいるわけだから基本的に家などと言う概念が親父には無いのかもしれない。
それと事実を言えばあれが夢でなければ俺は先輩に手と言うか首を差しだした。
でも、本心は悪夢であって欲しいと心のどこかで思っていた。
「亀梨。親友の俺には本当の事を……」
「はっきり言う。確かに一晩だけ一緒に居た。しかし、お前らが思って言うような事は一切無い」
「散りやがれ!」
教室中に響き渡ったその声は東雲でも悪友達でも、ましてや俺の心の叫びでもなくこの学院で俺達の担任とでも呼ぶべき竜ヶ崎先生の怒鳴り声だった。
スレンダーな体に常に黒いスーツを纏い。
漆黒の絹の様なロングヘアーで目鼻立ちのはっきりとした顔にふちなしの眼鏡を掛け。
その奥から鋭い眼光を飛ばしている。
騒いでいた生徒達は潮が引くように席に着き始める。
東雲は俺の隣の席に座り悪友達の顔からは血の気が引いていた。
「新学期そうそう何なんだ、この騒ぎは! また亀梨か。お前が珍しく始業式の日に顔を出すとろくな事が無いな。後で職員室に来い」
俺自身は何も問題を起こすつもりは無いのに常に何かあれば中心人物だと思われ、入学してから何度と無く呼び出しを喰らっている。
そんな事がありこの学院では不良で女たらしの烙印を押されてしまっている。
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