蜂蜜入りホットミルクとブラックティー

仲村 歩

第1話 蜂蜜入りホットミルク

目覚まし代りのラジオから杏里のスノーフレイクの街角が流れていた。

今朝と言うかもう昼過ぎなのだが街中がやけに静かだった。

昨日から降り続いた雪が珍しく都会でも積もっているのだろうか。

「はぁ~」

溜息を付きベッドから出ようとすると背後で何かがモゾモゾと動いている。 

栗毛色と言うか不思議な色のウエーブがあるロングコートの小動物が。

仔猫の様に体を丸めている……


それは昨夜の出来事だった。

年末前の一大イベントで世間が浮かれ騒いでいる2日間をほぼ完徹で過ごし自宅であるマンションに帰る途中。

「寒! 何がホワイトクリスマスだ? 神も仏も無いな。まったくもって無情だな」

親父の仕事を手伝わされやっとの事で開放され。

店を出ると昼過ぎから降っていた雨が雪に変っていた。

幸せに満ち溢れるカップル達の行き交う街を疲労困憊しながら彷徨うかのごとく歩いている。

こんな日に独りで外食をする気にもなれず。

と言って帰ってから作る気力も無く、コンビニで温かい物を適当に見繕って帰る事にした。

自宅であるマンションに向かう為に大通りから外れると普段でも人通りが少なく、緩やかな上り坂になっている通りには足跡一つ無く雪が薄っすらと積もっていた。

道の先にある街灯の下には年末の粗大ゴミが出されている。

足早に通り抜けようとすると小さなくしゃみが聞こえた気がした。

「何だ? 捨て猫か?」

見ると粗大ゴミの脇にある段ボール箱の中で何かが動いた様だった。

普段なら無視していただろう。

完徹の所為で少しハイになっていたのかもしれない。

段ボール箱を覗き込むとそこには有り得ない生き物が蹲って雪で白くなりつつある。

「生きているのか?」

俺の独り言にも殆ど反応が無い。

コンビニで買ったばかりの湯気の立っている肉まんを鼻先に近づけてみた。

「痛たたたっ」

事もあろうかその生き物は肉まんではなく俺の指に齧り付いてきた。

思わず手を引き剥がすと体を小さく震わせながら恨めしそうな瞳で俺を見ている。

齧られた親指を見るとくっきりと歯型がついていた。

「そんな目で見るな。ほれ」

肉まんを差し出すと不思議そうな顔をして首を捻っている。

一刻も早くこの場を離脱して帰りたいが、この状況を放置する訳にもいかず仕方なく肉まんを半分に割って顔の前に突き出すと少し躊躇いながら齧り付いた。

そして空いている左手でダウンジャケットのポケットからスマートフォンを取り出し電話をしようとすると鋭い視線が突き刺さった。

見ると肉まんに齧り付いたまま俺に目で訴えかけている様だった。

『どこにも連絡するなと』

溜息を一つ付いて、スマートフォンをポケットに仕舞い込む。

何かとんでもない物に巻き込まれてしまった予感がする。

それでも誰かが手を差し伸べないと最悪な状態になるだろう事は容易に想像が付いた。

その誰かが現時点では俺自身しか居ない事すら。

直ぐに行動に移す、グズグズしていても状況は悪くなるだけだし俺自身にも余裕が無い。

ダウンジャケットを脱いで肉まんに齧り付いている生き物の体を包み込んで小脇に抱えるようにしてマンションに向かい走り出した。

不思議な事に暴れるような事は無かった。

単に凍えて動けないのか……

それとも力尽きる寸前なのか……

その時の俺にはどうでも良い事だった。


玄関を開けてリビングに行き直ぐに暖房をつける。

一先ず運び込んだ物をソファーの上に置いてリビングとひと続きになったダイニングのカウンター付きキッチンに向かいミルクパンで牛乳を温め始める。

蜂蜜入りホットミルクをマグカップに入れて横に座るとガタガタと体を震わせている。

仕方なくカップを持ったまま口につけさせて人肌より少しだけ熱めに温めたミルクを飲ませると喉を鳴らしながら飲み始めた。

しばらくすると落ち着いたのか体が温まってきたのか震えは止まったようだ。

風呂にでも入れて体を芯から温めてやるのが一番良いのだろうが、今の自分にはそんな気力は欠片も残ってなく。

一気に睡魔に襲われ思考回路が麻痺し始めていた。

寝室に向かい電気も点けずにスエットに着替えていると寝室のドアが開きベッドに何かが潜り込んだ。

「クソ、仕方が無い。俺がソファーで……」

独り言を言いながら寝室から出ようとしたが金縛りに遭ったかのように体が動かなかった。

すると背後から冷酷で冷徹な声がした。

「何故、助けた?」

「人を助けるのに理由なんかあるのか?」

「俺は人ではない、貴様の命など造作も無いぞ」

その言葉は頭の直ぐ後ろから聞こえ喉元には氷の様に冷たい刀が突きつけられていた。

「随分と不義理な奴だな。まぁ、勝手に俺が助けただけだからな。逃げるなり好きにしろ」

「…………」

即座に導き出した返答に対して返事は無くその代わり背中に何かが当たり、喉元に突きつけられていた刀が床に鈍い音を放ちながら落ちた。

ゆっくりと振り返ると俺の背中に凭れかかっている生き物は拾って来た時とは違い漆黒のウエーブが掛かったロングコートで腕や足には深い傷が無数にあり血が滲み出している。

床に崩れ落ちそうになる生き物の体を咄嗟に後ろに腕を回して床に倒れないよう体を支え、抱きかかえるようにすると薄っすらと目を開けた。

その瞳は虚ろだったが吸い込まれそうな青い色をしている。

「人ではないって何者なんだ?」

「ヴァンプ」

か細い声で息も絶え絶えに答えた。

「吸血鬼? この時代に? それにしては随分弱弱しいな」

「……を失い過ぎた」

「なんだ?」

「……」

もう声にならない様だった。

このまま放っておけば確実に散るのが判る。

仕方なく床に落ちている刀の刃で親指を切りその指を口に含ませると喉を鳴らしながら飲みだした。

「これじゃ足らねぇか。冗談抜きでとんでもない物に巻き込まれたな。好きなだけ飲め」

今にも散りそうなヴァンプだと言う生き物の後頭部に手を回し口が俺の首筋に当たるようにしてやる。

一瞬だけ強い痛みが首筋に走る。

だが我慢できないほど痛い訳ではない、最初だけ強い痛みがあり段々痛みが鈍くなっていく。

それと同時に全身から力が抜けていくのが判る、それが当然なのだろう。

人の血液量は体重の13分の1から14分の1と言われている。

体重62キロの俺なら5リットル程度だろうか、その3分の1つまり1.5リットル強を急激に失えば生命に危険が及ぶ。

今がその状態なのだろう。

阿良々木風に言えば怪異に出遭ったと言う事か。

夏目や四月一日風に言えば妖やアヤカシと言った類の物なのだろう。

段々意識が遠くなっていく。

助けてはいけない物を助けてしまったか?

助けてはいけない物?

子どもの頃にどこかで同じ様なことを……

助けた俺が最悪な事になったようだ。

暗闇しか写さない左目に閃光の様に痛みが走りそこで意識が途絶えた。


散ったと思っていたが不思議な事に目覚まし代わりのラジオで目が覚めた。

「夢なのか…… そろそろ起きてくれないか?」

拾った時と同じ栗毛色と言うか不思議な色のウエーブがあるロングコートで仔猫の様に体を丸めている生き物に声を掛けた。

「ふぇ?」

モゾモゾとおきだして眠たそうな目をこすって辺りを見渡していた。

「ふ、ふぇ!!」

現状を把握したのか羽毛布団を抱きしめて人の顔をもの凄い形相で睨んでいる。

それは仕方の無い現状なのかもしれない。

寝室にはダブルベッドしかなく2人で寝ていたのは明白だから?

明白? 寝ていたのか?

それじゃあれは本当に夢だったのか?

確かに体がだるいが何処にも変った所は無く、今までと何ら変わりが無い。

何ら変りが無いが親指には刀で切った傷すら跡形も無かった。

だるいのは完徹の所為だと言われればそうなのかもしれない。

が、とりあえず否定をするべきなのだろう。

「何もして無いよ。まぁ俺自身も意識が無かったからそれが確かかと言えば確証は無い。信じてもらうしかないな」

「ふぅ。そ。それじゃ」

呆気ない返事をして小柄な生き物は玄関に向かい歩き出し……

飛ぶ様に戻って来て寝室のベッドに潜り込んだ。

「何で玄関を開けっ放しにするんだ。寒いだろうが!」

叱責しながら玄関に向うとマンションから見渡せる玄関の外は街が真っ白に雪化粧をしていた。

俺が住んでいるマンションは高台にあり高層マンションではないが真っ白に染まった街が容易に見渡せた。

「寒! それに腹が減った」

そこで夕べから何も食べていない事に気づいて、ドアを閉めて体を擦りながらキッチンに向う。

バターを入れた鍋で玉葱とベーコンをみじん切りにして焦げ付かないように炒め、ホットミルクにした残りの牛乳と固形ブイヨンを放り込みそこにクリームコーンの缶詰を入れて塩コショウで味を調える。

カウンターに置いてあったパネトーネを切って皿に盛りスープをマグカップに注いでいると視線を感じる。

顔を上げると目の前にあの生き物の顔があった。

「何だ、ほらお前の分だ」

「……」

「要らないのなら俺が食うぞ」

すると何処かで可愛らしい腹の鳴る音がする。

「自分の物は自分で運べ」

「う、うぅぅ」

カウンターダイニングのテーブルに自分の分を運び椅子に座ってマグカップに口を付けた。

すると俺が口を付けたのを確認してから小動物みたいな小柄な生き物がスープを飲み始めた。

昨夜は気が付かなかったがこの真冬にオフホワイトでオフタートルネックのニットワンピ1枚の姿だった。

そして俺は何の変哲も無いグレーのスエット上下で連夜の完徹の所為で思考回路はカタツムリの如く鈍い動きだった。

重たい瞼を辛うじて開けて小動物を見ると美味しそうにパネトーネを頬張っている。

とりあえず名前だけでもと口を開いた。

「なぁ、名前を……」

「頂きました」

両手を綺麗に合わせ一礼して立ち上がり。

俺の頬に唇をつけ。

耳元で囁いてマンションから飛び出して行った。

「こちらも頂きました」

と……そこで俺は撃沈した。

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