第38話 ふざけるな
体が鉛の様に重く生きているのかさえ曖昧だった。
それでも時々俺の名前を呼ぶ声がするが彼女の声ではなかった。
薄目を開けると誰かが俺の顔を覗き込んでいる。
ぼやけていた視界が定まってくるとそれが女の看護士さんだと気付いた。
「生きているか?」
「ああ、生きているみたいだな」
看護士さんの気配が消えて聞きなれた藤堂の声が聞こえる。
視線を横に移すと疲弊しきった藤堂の顔があった。
「一弥が寝ていた方が良いんじゃないか?」
「冗談も大概にしろ! 本当に死ぬ寸前だったんだぞ」
「そっか、死に損ねたか」
「ふざけるな!」
藤堂が俺の胸倉を掴み揚げると看護士さんが慌てて駆け込んできて、藤堂を羽交い絞めにすると俺の体は力なくベッドに落ちた。
それから藤堂はこっ酷く看護士さんに激怒されている。
あまりにも可哀想になり重い口を開いた。
「何日経っているんだ?」
「野神が担ぎ込まれてから3日だ」
「そっか」
「お前、他に聞くことがあるんじゃないのか?」
「藤堂が俺を見つけてくれたのか?」
「そうだ」
「あの場所で見たんだよ。彼女が谷野と居る所を。どうしてあそこに居たのか理由は判らないけどな」
「本当に世話の焼ける奴だな」
「悪いな」
変らないか、藤堂は俺の考えている事はお見通しの様だった。
今までも入院までは至らないが独りの時にインフルエンザなどに罹り動けなくなった時は何度もあった。
その度に道場で爺ちゃんに叩き込まれて来た事を実践しながら今まで生きてきた。
それは今の状況にも有効だろうと思い、嫌と言うほどやらされた腹式の深呼吸を繰り返す。
徐々に血の巡りが良くなっていく、すると冷え切っていた指先に温もりが戻ってくるのを感じる。
しばらくすると重かった体が少しだけ軽くなり意識もはっきりとし始める。
大きく伸びをして体をゆっくりと起こすと藤堂が驚いたような顔をしている。
「大丈夫なのか? 無茶は2度とゴメンだぞ」
「はぁ~外傷は左掌だけだろ」
「その傷はどうして?」
「ショック療法かな」
「まさか」
「そう、そのまさかだ。一か八かだったけど効いた。この程度の怪我なら直ぐに治る、もう大切な物を2度と失いたくないんだ。それに俺が倒れたのは多量の出血か低体温だろ。輸血をしたのだろうし体温が上がれば問題ない。そうでしょ先生」
俺の意識が戻ったと連絡を受けて病室に現れた担当医に話しかけると困惑した様な顔をしたが頷くしか出来なかった様だ。
体が本調子じゃないので食事は病院食をと言われたが無理を言って藤堂に食べ物を買って来てもらった。
未だ血が足りなのは自分自身が良く判る。
今は食う物を食って血を作り体温を上げて免疫力を高めるしか出来ない。
藤堂の心配を他所に俺は藤堂が買って来た物を片っ端から食べ始めた。
「野神は一体何者なんだ?」
「なぁ、藤堂。凛子さんの両親の事を知っているよな」
「ああ、テロでって奴か」
「そう、あのテロで一人の男が死んだんだ。そいつは少年の頃にそれまでの思い出を全て失い。全てを守る術をコンピューターの中に見出した。それはネットを駆使して作り上げられたもので。しばらくして彼は海外に飛び出し3人の仲間と知り合いその技術を高めていくとその高度な技術にある国が目を付けた。見えない敵から国を守る為に、そしてその所為で少年は命を狙われてしまった。あのテロで男の全てが抹消された。生きてきた証もそして死んだ証も全てな。それから俺はしばらく日本ともお別れだ、後の事は頼む」
「野神は何を無責任な事を言っているんだ。凛子さんはどうするんだ」
「これ以上、彼女を巻き込む訳にいかないんだ」
そこまで一気に喋ると流石に血が足らない体では目眩がして横になる。
一息つくと藤堂が心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「そんなに覗き込むな。男に見られても嬉しくない」
「そのままで良いから俺にだけでも訳を言え」
「あのマンションのオーナーである俺の友達は死んだ男が作り上げた技術を世界に広めたIT企業の人間で俺が使っているパソコンは殆どそいつの持ち物なんだ。だから指紋認証や静脈認証を使った高度なセキュリティーが施されている。そして万が一の為に完全に侵入者さえロックするような仕掛けがしてあったんだ。それが今回の事で発動した。この意味が判るよな」
「つまり情報が漏れたかもしれないという事か。でも今回は」
「良くは無いがそんな事はどうでも良いんだよ。まぁ、俺だけが査問されれば良い事だ。凛子さんは関係の無い事だ」
「査問って野神。まさか……」
「戻ってこられるかは不明だ。何かあれば査問を受ける事は大昔に了承している。だからこそ親友であるお前に頼みたいんだ」
「あのな」
「急にそんな事をか? 悪いが時間が無い。明日にでも大挙してお迎えが来るだろうよ」
藤堂が事の大きさに戸惑い黙り込んでしまった。
俺が藤堂の立場なら逃げ出してしまうかもしれない。
そんな雰囲気の中に眉間に皺を寄せた双葉さんが現れた。
「ご心配をお掛けして申し訳御座いませんでした」
「野神君、査問って本当なの?」
「言った筈ですよ。『僕は基本、嘘は付きませんよ。言わない事はありますけどね』って」
「言わない事じゃなくて言えない事だったのね」
「さぁ、どうでしょう。僕は生きていますし過去もありますから」
「本当に猫なのね」
「これからはキャットですよ」
「マジで殴りたくなってきたわ」
「勘弁してください。まだ守らないといけない物があるんです」
「それじゃ、選考会に来ていたあの子の事を話してもらえるかしら」
もう、隠す必要も無い事なので双葉さんと藤堂には話してしまった。
これから2人には凛子さんや会社の事をお願いしなければならないのだから。
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