第32話 おいで

 結局の所、その日は時間がなくなってしまい予定を全てキャンセルするしかなく。

 食事を済ませてホテルに戻った。


「ねぇ、瑞貴君もお風呂に入ったら」

「あ、うん」


 ホテルのベッドで横になっていると一ノ瀬さんが顔を覗き込んできた。


「汗臭いから、近づかないで下さいね」

「嫌だもん」


 そう言いながら俺の体の上に飛び乗ってきた。


「これで、動けないでしょ」


 一ノ瀬さんが俺の両手首を掴んで押さえて俺に馬乗りになってきた。


「凛子さん、大胆過ぎます」

「えへへ、ここなら良いでしょ」

「何がですか?」

「もう、女の子に言わせるかなぁ」


 一ノ瀬さんが顔を近づけてくる。抑えられている手首に少しだけ一ノ瀬さんの体重がかかった。


「凛子さん、シャワーを浴びたいのだけど」


 俺がそう言うと凛子さんの顔が一瞬だけ曇った。


「うん、判った」


 一ノ瀬さんが体を退かし俺が起き上がってバスルームに向おうとすると左手首を掴まれた。


「な、何ですか?」

「後輩君、何か隠してない?」

「なんも」

「嘘つき、それじゃこのままこの手首を捻って良い?」


 お見通しだったようだ。さすが秘書課と言うべきか。


「すいません、勘弁してください。大丈夫ですよ、手首は動きますからただの打ち身です」

「じゃ、なんで本当の事を言わないの?」

「気にするでしょ、皆。特に藤堂は気にしぃですからね」

「そこで、大人しくしていなさい」


 一ノ瀬さんはそう言うとフロントに電話を掛け出した。

 そして近くの病院を探してもらっているようだった。

 その真剣な顔は普段じゃ見られない顔つきで、恐らく仕事をしている時もこんな真面目な顔をしているのだろうと思うとなんだか嬉しくなってしまった。


「なんで笑っているの? 私は本気で怒っているのに」

「すいません、仕事の時もこんな風にしているのかなぁって思ったら。なんだか嬉しくなって」

「反省する気は無いみたいね」

「すいません……」


 その後、近くにある大きな病院に連れて行かれてレントゲンを撮られた。

 時間外で整形外科の医者が不在と言う事もあり骨には異常が無いがきちんと専門医に見てもらうように言われホテルに戻って来た。


「瑞貴君は、これ以上病院に行く気は無いんだよね」

「凛子さんの命令なら聞きますよ。でも自分の体は自分が一番判っているつもりですから」

「勝手にしなさい」


 そう言って一ノ瀬さんは隣のベッドにもぐりこんでしまった。



 不安だった、瑞貴君は私が言えば全て受け入れてくれるだろう。

 でも私はどうだろう……

 私の知らない彼がとても大きく感じる。

 全てを打ち明けられた時に私は受け止める事が出来るだろうかそんな事を考えていた。

 基地から開放され、皆で食事をしていた時も瑞貴君はいつもの瑞貴君だった。


「なぁ、のっち。お偉いさんと何を話していたんだ?」

「なんも、軍の上層部に伝がある知り合いがいるんで、その人に直談判するぞって」

「その人ってどんな人なの?」

「大統領の次に偉い人かなぁ」

「ぶっ」

「うわぁ、御手洗さん。汚い」

「大統領って、もう少しまともな事を言えないの?」


 いつもと変らずどこまでが本当でどこまでが冗談なのか良く判らない。


「野神君のお爺さんって」

「爺さんですか? 時々あそこに呼ばれて総合格闘技の指南をしていたみたいです」

「みたいって」

「あはは、そうですよね。でも俺も詳しい事は知らないんです。マイクと出会ったのも島だったし、まぁ鬼の様な人でしたね。稽古の時は特に」

「そうなんだ、でも野神君は底が見えないのよね」

「双葉さん、底ですか? 無いですよ、底なんて。器じゃなくて板切れみたいなもんですから。表面張力で乗り切らない水は駄々漏れです」

「はぁ、本当にのっちは凄いんだか馬鹿なんだか」

「紙一重って良いますからね。藤堂はどうなんですか? 御手洗さん」

「な、なんでそこに振るかなぁ」

「いや、一応。ここに藤堂が居る事をアピールしておかないと」


 掴み所が無い様にしているけれど、大きな闇がそこにある様な気がする。

 でもそれを知ってしまうのが怖い。

 そんな事を考えて横になっていた。



 少し喧嘩をして怒って1人で寝るのは良いけど寝付かれなかった。

 どれ位経ったのだろう目を開けると部屋の電気は消されていた、けれど部屋の中は明るかった。

 とても優しい光、青白いような透明感のある紫色のような。

 不思議に思って起き上がるとその光が月明かりである事に気付いた。

 窓を見ると月の光が差し込んでいるその窓辺には瑞貴君が座っていて外を眺めていた。

 優しい目をしている、でもどことなく寂しそうに見える。


「どうしたの? 眠れないの?」


 優しい声を掛けてくれる。この声を聞くと年上なのを忘れて甘えたくなってしまう。

 でも、不安で、不安でたまらない。


「ゴメンね」

「なんで謝るの?」

「俺が凛子さんを不安にさせているのが判るから」

「大丈夫だよ」

「でも、ゴメンね。今は話すことが出来ないけど必ず全部話すから」


 瑞貴君はいつもそう、私の不安をわかってくれる。

 でも私だって瑞貴君が不安なのが判る。

 判るけど私には何も出来ない。


「おいで」

「うん」


 私は側にいよう何があっても側に居よう、それが私に今出来る事の全てだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る