第21話 ショック死寸前です


鬱陶しい梅雨空が続いていた。

「はぁ~ 外回りか……」

「それも給料の内だ」

「この梅雨空を何とかしてくれ。一弥ぁ」

「グダグダ言わないでとっとと外回りに行って来い!」

「仕方が無いかぁ」

雨の中の営業ほど辛いものは無い。

車で周れば良い事なのだが都内だとそうもいかないのが実情だ。

それに営業先の殆どが駅前か駅ビル内にあったりするからなお更なのである。

「止まないかなぁ」

空を見上げても止め処なく雨の雫は落ち続け。

鉛色の空が憂鬱そうな顔をしていた。

そして憂鬱な梅雨空が俺の体まで侵食してきた。


「おーい。野神、生きてるか?」

「…………」

俺は社に戻ると直ぐに課長に呼ばれ一枚の紙切れを渡され、自分のデスクに倒れこんだ。

すると藤堂が紙切れを手に取った。

「出張命令書?」

「藤堂、代わってくれ。何で俺なんだ?」

「さぁな、あそこかもしれないしな」

藤堂が視線を上にした。

「それは無いと思うぞ。土曜が休日出勤扱いで日曜を挟む出張なんて酷すぎるだろ」

「ゆっくり観光でもしてくれば良いだろ」

「独りでか? 詰まらん。それにだ、京都には……」

「居たな、たしか……」

俺と藤堂は一時期だけ関西の方で営業の手伝いをしていた事があり。

そして京都支社には支社を牛耳るお局……おっとご婦人がいらっしゃるのだがそのご婦人に好かれてしまい大変な思いをした記憶がトラウマになるほど残っている。

「まぁ、彼女の機嫌がよければ大阪本部は円満だからな」

「うぅ、生贄に行けと……デートをキャンセルしてまで」

「その天秤はかなりきついものがあるな。業務命令だ。死んで来い」

藤堂に肩を叩かれて、溜息をついてデスクに突っ伏すと頭の上に紙切れを乗せられた。

「うにゃ?」

「飴玉だ」

それは、俺が提出した休暇届に認証印が押されていた。

「誕生日なんだろ」

「まぁ、な」

「冴えない返事だな」

「あの、飛行機テロが起きた日だからな」

「そうか」

藤堂はいつも3くらいまで話すと10を判ってくれた。

だから藤堂とは良い友達になれたのかもしれない。


仕方なく週末のデートをキャンセルして出張に向った。

「うは~疲れた」

帰りの新幹線は流石に自由席だときついので指定席に変更し、シートに体を投げ出しての第一声がこれだった。

朝から先ほどまで京都支店のご婦人の相手をさせられて疲労困憊で何もする気になれず、窓の外の暗闇を流れていく景色を見ていた。

「早く会いたいな……」

彼女と付き合い始めて仕事が終わるのが待ち遠しくて仕方が無い自分が居る事に最近気付いた。

それは今までに感じた事の無い感情だった。

仕事が終わっても藤堂と『たぬき』に行くか『vino』 でマスターと馬鹿話をするか位しかする事が無かったからだ。

それが嫌かと言えば嫌だった訳じゃない、そんな平々凡々な暮らしをしたかったのだからそれはそれで楽しかった。

会社の最寄り駅になんとか辿り着いた。

一ノ瀬さんを少し驚かせてやろうと悪戯心から連絡もせずに彼女のマンションに向った。

エレベーターに乗ろうとすると管理人さんに声を掛けられた。

「こんばんは。あれ? 一ノ瀬さんなら引っ越しましたよ」

「こんばんは。へぇ? 引っ越した……」

管理人さんの言葉に頭の中が真っ白になってしまい、何も考えられなくなりパニックになっていた。

気付くと自分のマンションに向かい走り出している。

俺が何かしただろうか?この週末に何が起きたのだろうか?

もしかして彼女の身に何か……

それなら連絡があってもいいはずだ。

色んな事が頭の中をグルグルと駆け巡る。

マンションに着きエレベーターに飛び乗る、いつもより動きが遅い気がしてイライラする。

ドアを開けると明かりが点いていた。

「凛子さん!」

そう言いながらリビングに行くとエプロン姿の凛子さんが立っていて美味しそうな匂いが部屋に立ち込めていた。

「お帰りなさい」

凛子さんの笑顔を見た瞬間、全身の力が抜けてヘタリ込んでしまった。

「えっ、どうしたの瑞貴君。大丈夫?」

「凛子さんのマンションに行ったら引っ越したって」

「う、うん。瑞貴君が好きに使って良いって言ったからこっちに引っ越して来ちゃった」

凛子さんがこれでもかと言う悪戯っ子の様な笑顔で俺の顔を見ていた。

部屋を見渡すと殺風景だった部屋がすっかりカントリー調の部屋に様変わりしていた。

「良かった……」

俺はフローリングの上に倒れこんだ。

「えっ、本当に大丈夫なの?」

「凛子さんが知らない間に引っ越しなんかするからですよ」

「えへへ、驚かせようと思って。驚いた?」

「ショック死寸前です」

本当に心臓の鼓動がありえない位に早くなり死にそうだった。でも嬉しそうにしている凛子さんには言えない。

今は噴出しそうになる感情を必死に押さえ込んだ。

胸の奥深くに……

「着替えてご飯にしよう」

「は、はい」

凛子さんに起こされて着替える為に寝室に向う……ドアを開けて直ぐに閉めた。

「あれ?」

もう一度、ドアを開けて中に入ると俺の寝室もすっかりカントリー調になりって? 

思考が止まったまま、とりあえず着替えを済ませてダイニングに向うとすっかり食事の用意が出来ていた。

「いただきます」

「お疲れ様」

「んん、美味い」

「良かった。出て行けって言われたらどうしようかと思っちゃった」

「いやいや、言えるわけ無いでしょ」

「えっ、駄目だったの?」

「駄目じゃないですよ。俺だって凛子さんとは一緒に居たいと思いますし。でも順番があるんじゃないですか?」

「それは、連絡しなかった事?」

凛子さんが小首を傾げて不思議そうな顔をしていた。

突っ込みどころが満載なのだが凛子さんを見ていると何も言えなくなってしまった。

「それで、凛子さんの部屋はどこですか?」

「瑞貴君と一緒の部屋だよ。寝る時も一緒だったら楽しいでしょ、それに眠るまでいっぱいお話出来るし」

「…………」

再び思考も体も停止する。

「ん? どうしたの?」

「いや、凛子さんそれがどう言う意味だか判って言っているのかなぁて? まだ、お互いのマンションにもお泊りもした事が無いんだょ」

「はぁっ! うぅ……」

俺の言葉で初めて気が付いたらしい、耳まで真っ赤になり俯いてピクリとも動かなくなってしまった。

一息ついて凛子さんに声をかけた。

「寝る前まで好きな人と居られたら楽しくって幸せだよね。俺もそう思うよ、だからそんなに困った顔をしないで。俺は何もしないから凛子さんの心の準備が出来るまで、ゆっくりと進んでいこうね」

「うん」

食事の後片付けをしてまったりとする。

リビングで凛子さんの入れてくれた紅茶を飲みながら出張の土産話やお土産を堪能する。

そして夜も遅いので風呂に入り覚悟を決めて寝室に向う。

海外で暮らしていたのでベッドは大きいサイズを使っていた。

凛子さんが先に横になっていた。

「しつれいします?」

変な声をかけてベッドにもぐりこんだ。

「瑞貴君、ごめんね。私、頭がいっぱいいっぱいで」

「平気だよ、まだ知らない凛子さんの一面も見れたしね」

「うぅ、それって……」

「少し天然で、猪突猛進なとこかなぁ」

「意地悪……」

会話が遠い、何故か? 

凛子さんが遠慮気味にベッドの端の方で向こうを向いて横になっているから。

「なんで、そんな端にいるんですか?」

「だって、瑞貴君が……」

ここまで来て自分が何をしてしまったのか気付いて恥ずかしいらしい。

少しでも後ろから押されたら落ちそうだった。

俺は少し体を起こして凛子さんの背中を指で押してみる。

「ひやぁ! 落ちちゃうよ」

「そんな端にいるからです」

「知っていてやったでしょ」

「もちろんワザとです」

「馬鹿!」

俺を睨みつけて頬を膨らませて口を尖らせている。

「可愛いですよ」

「もう、知らない」

「おいで」

横になり凛子さんに向けて赤ちゃんにおいでをするように両手を広げた。

「うん」

凛子さんが嬉しそうに飛び込んできた。

甘くいい匂いがする、そして柔らかく温かい。

壊してしまいそうで優しく包み込んだ。すると直ぐに凛子さんは小さな寝息を立て始めた。

引っ越しで疲れたのだろう、部屋の中は完璧に片付けられていて綺麗に掃除もされていた。

凛子さんが独りで頑張ったのが良く判り、愛おしく思えてしょうがなかった。

それはギガトン級の破壊力だったが出張(殆ど京都支社)の疲れの所為か直ぐに俺自身も深い眠りに落ちた。





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