第20話 気のせいです
レストランを出てみんなと別れて、一ノ瀬さんと2人でブラブラしていた。
「結局、全員から一発ずつかそのうち死ぬな」
「自業自得です」
「凛子さん、どこか行きたい所ある?」
「瑞貴君の部屋」
「???」
「凛子さん? どこか行きたい所ある?」
「瑞貴君の部屋」
立ち止まり腕を組んで考え込む振りをする。
「凛子さん、どこか……」
一ノ瀬さんの視線に言葉をかき消された。
腰に手を当てて頬を膨らませて口を尖らせて俺を睨んでいる。
「そんな可愛い顔をしてどうしたんですか?」
「私達は恋人同士だよね」
「はい。会社には内緒にしてありますけど」
「瑞貴君は私の部屋に来るけれど。私を瑞貴君の部屋には呼ばないのは何故なの?」
「俺の部屋に来ても何も楽しくないですよ。何も無いですから。それに男の部屋にって、ね」
「じゃあ、いい! 私、帰る!」
一ノ瀬さんが踵を返してスタスタ歩いて行ってしまった。
本気で怒らせてしまったみたいだ。
「先輩、待ってくださいよ。先輩!」
「後輩君なんかもう知らないんだから!」
走り出して後ろから抱きしめた。
「離しなさい。後輩君」
「嫌です。本当に何も無いですよ。それでもいいんですね」
「だって私の部屋だけ知ってて、ずるい」
「それじゃ、行きましょう」
「えっ」
一ノ瀬さんが驚いて、目をまん丸にして俺の顔を見ていた。
「手を繋ぐのは嫌ですか?」
「嫌じゃないけど、会社の近くだし」
「大丈夫ですよ、今日は日曜日だし。髪を下ろしている時の凛子さんはミス侍に見えませんから」
「それは褒められているの?」
「貶してはいません。入社した時から見ている俺が気付かないんですから」
「ええ、それって」
「言葉の通りです、入社した時から気になってました」
「どうして?」
「それは部屋で話します。ここで話したら凛子さんがどこかに行ってしまう気がするから」
その後、一ノ瀬さんは何も話さなかった。
しばらく歩くとマンションの前にやってきた。
「うわぁ、凄いマンション」
「えっ、知っていたんじゃないんですか?」
「う、うん。でも夜だったから。勇気を出して来たのだけど……」
その後の言葉は聞かなくても判っていた、身に染みるほど。
自動ドアを通り郵便受けから郵便物を取り出しエレベーターに乗り込む。
「何階なの?」
「一番上ですよ」
そう言ってエレベーター内の認証装置に暗証番号を入力して指をスキャナーに差し込むとエレベーターが動き出した。
一ノ瀬さんが戸惑っているのが繋いでいる手から伝わってきた。
「怖がらないでください、襲ったりしないから」
「馬鹿」
エレベーターが最上階に着きドアが開くとそこは玄関先になっていて天窓から太陽の日差しが注いでいた。
ドアノブを握るとカチャンと音がして鍵が開いた。
「うわぁ、凄く広い」
玄関から直ぐにある無駄に広いリビングには2段ほど下がった所にまん丸のソファーとローテーブルが置いてあるだけだった。
「凄い景色がいいね。都内が見渡せそう」
リビングはルーフバルコニーに面していて一ノ瀬さんは外にでて景色を眺めていた。
「凛子さん。飲み物は何が良いですか? 冷蔵庫の中にあるものしかないんですけど。適当に選んでください」
俺が呼ぶとまるで子犬の様に走ってきた。
「はーい。キッチンも凄く使いやすそう広いし」
「何が良いですか?」
冷蔵庫を開けるとそこにはペットボトルや缶コーヒーが並んでいた。
「それじゃ、オレンジジュース」
「どうぞ」
「ありがとう」
一ノ瀬さんは大英博物館の中を見て周った時と同じように万華鏡みたいに、クルクル表情を変えて部屋の中を歩き回っていた。
「この部屋はなに?」
「そこは、パソコンが置いてある部屋です。夜は殆どそこにいますよ」
「見ても良い?」
「どうぞ」
部屋の中は窓に面した所に木の机が置かれていてその上には3台の液晶とキーボードやマウスが置いてある。
その両側の棚にはプリンターやマシンが壁を覆い尽くしていた。
「凄い、パソコンだね」
「趣味のひとつだからね。俺、オタクだし」
「オタクには見えないな。オタクって言うよりIT企業の社長さんみたい」
「そんなに褒めても缶コーヒーかジュースしか出てきませんよ」
「他の部屋は?」
「俺のベッドルームと今は使っていないベッドルームが2つです」
リビングに戻りソファーに座る。
まん丸のソファーに座ると体を優しく包み込んでくれた。
「気持ち良い! このソファー」
「そうですか」
「うん。だけどなんだか瑞貴君、そっけないなぁ」
「すいません」
「それにこの部屋は生活感が無い」
「寝に帰るだけですからね」
「お金持ちなんだね」
「俺がですか?」
「うん、だってこんな凄いペントハウスに住んでいるんでしょ」
「ああ、ここは友達の所有するマンションなんですよ。そこをただみたいな金額で借りているだけです」
「そうなんだ。そう言えばさっき言っていた話の続きを聞かせてもらえる?」
凛子さんの表情が少し強張った。
「入社した時からと言う奴ですね」
「うん」
「凛子さんのご両親に係わる話なのですが良いですか」
「えっ、うん」
一ノ瀬さんの表情が暗くなる、でも逃げないと決めたのだ。
体を起こしてゆっくり話し始め凛子さんに向き合う。
「この話は双葉さんにはもう話してあるんです。あの昼休みの騒ぎがあった日に。実は凛子さんのご両親が乗ていた飛行機に実は俺も乗る予定だったんです」
「えっ……」
一ノ瀬さんの顔が引き攣り強張った。
「急用で乗り遅れたんです。理由は全て話せないんですけど、あの飛行機がテロに遭ったのは俺が乗る飛行機だったからなんです。だから俺が」
「違うでしょ、後輩君。後輩君は悪くない。悪いのはテロを起こした人達。それに私の父と母は翌日の便に乗るはずだったの。偶々キャンセルがでた前日の便に乗ったの」
一ノ瀬さんの頬に涙が伝う。
側に近づいて涙を拭こうとすると抱きついてきた、勢いで自分が座っていたソファーに押し倒される形になり一ノ瀬さんを優しく抱きしめた。
「私が誕生日に帰ってきてなんて我がままを言わなければ、あんな事故に遭わなかったのに、私が……」
その後は言葉になっていなかった。
「それじぁ、あの事故の日が凛子さんの誕生日だったんですか?」
小さく頷くだけだった。
「入社して初めて凛子さんを見た日に名前も知りました。でも、搭乗者名簿にあった苗字と同じ苗字だったので怖くて声を掛けられないでいたんです」
「ロンドンは?」
「それは、なんとなくです。『りんこ』と言う名前しか知りませんでしたから。あの子かな? なんて。でも見た感じは変っていたので、別人だと」
「私は変ったつもりは無いけどな」
「とても素敵になっていました」
「煽てても何もでないよ」
「その、できればいつまでも一緒にいて欲しいのですが」
自信が無くなり語尾が尻すぼみになってしまった。
すると凛子さんが驚いた様に顔を上げて俺の顔を見つめた。
「なんで、そんな事を言うの?」
「怖いんですよ、あまり人付き合いが上手くないから」
「嘘でしょ、だってあんなに場を和ませるのが上手なのに」
「子どもの頃から周りに気を使っていたのでどっちが本当の自分か判らなくなって。初めてひとりの女の子を好きになって気付いてしまったんです。人に嫌われる怖さ、人との別れの哀しさに」
知らない間に俺は泣いていた。
堪えようとすればするほど涙が溢れ出した。
「偶然にあの飛行機に乗って私の両親は死んでしまった。同じ飛行機に瑞貴君が乗れなかったから、私は探し続けていた瑞貴君と会えた。泣いているの?」
「俺、本当は泣き虫なんです。でも孤独ひとりになった時から変ったはずなのに」
「私の前では素顔でいてね」
一ノ瀬さんが軽く口付けをしてくれた。
「凛子さんは、俺が何者か聞かないんですね」
「だって、私が好きなのは目の前にいる野神瑞貴だから」
「ありが……」
俺の言葉を遮るように一ノ瀬さんが唇を重ねてきた。
熱く静かに。
どの位そうしていたのだろう凛子さんを抱きしめたままソファーに寝転んでいた。
すると携帯が着信を知らせた。
「誰から?」
「友達から、仕事です」
「お仕事?」
「はい、一緒に来ます?」
「うん」
凛子さんの手を引きながらパソコンの部屋に向う。
ドアを開けると直ぐにパソコンを起動させる。少しすると全てのマシンが立ち上がった。
メールのやり取りを始める。
部屋の中にキーボードの音が響いた。
「凄い、英文なんだ」
「はい、アメリカに居る友達なんで」
「そう言えば海外に居たんだもんね。初めて会ったのもイギリスのロンドンだったし」
「まぁ、友達と言っても3人なんですけどね」
「3人?」
「少ないでしょ。これで良しと」
CD―Rに焼きこみ、動作確認をしてからディスクをケースに入れて凛子さんに渡す。
「これは、何?」
「友達に頼んでおいたファイル管理ソフトです。使ってみて気に入ったら使ってください」
「職場で?」
「ええ、もちろん。動作確認もしてあるので簡単だと思いますよ」
「ふうん、ありがとう」
「それと、凛子さん。このスキャナーに好きな指を入れてください」
「う、うん」
俺がスキャナーを指差すと恐る恐る人差し指を入れた。
「好きな数字ありますか? 4桁以上で」
「じゃ、誕生日の****年7月18日」
キーボードのEnterを押すとスキャナーが動き出した。
「もう良いですよ。いつまでも指を入れておくと指が無くなりますよ」
「ええ!」
凛子さんが慌てて指を引き抜いた。
「嘘です」
「もう、本当に怒るよ」
「凛子さんに怒られるのなら構わないですよ」
「嫌い」
「嫌いですか? せっかくこの家のスペアキーを渡したのに」
「えっ? す、スペアキー?」
凛子さんが不思議な顔をして俺の顔を見ていた。
「好きに使って良いですからね、俺の仕事部屋以外は。それと各部屋にネット回線が引かれているのでどの部屋でもパソコンは使用可能です」
凛子さんが小首を傾げて両手を差し出し子どもがする頂戴のポーズをしていた。
「その手は何ですか?」
「ええ、鍵は?」
俺は凛子さんの差し出す手を包み込んだ。
「凛子さんのこの可愛い指と凛子さんがお父さんとお母さんに感謝する日がここの部屋の鍵なんです」
「パパとママに感謝する日? あっ」
「そう、産んでくれてありがとうって」
「私の誕生日!」
そう言いながらチェアーに座っている俺に凛子さんが抱き付いてきた。
「今年からは2人でお墓まいりに行きましょうね」
「うん、あれ? 今、何だか聞き忘れた気がするけど」
「気のせいです」
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