第15話 ば、か


憂鬱だった月曜が終わっていく。

その前に……双葉さんに呼び出しをくらっていた。

そして足取りも重くオカマバーもといワインバー『vino』に向う。

「いらっしゃい。瑞貴ちゃん」

「奥?」

「そうよ。全くどいつもこいつもそんな不景気な顔で店に来ないでちょうだい。湿っぽくなってお通夜みたいじゃない」

「まぁ、お通夜になるかも知れないし」

マスターが呆れかえって腕組みをして首を横に振っていた。


カウンターの横を抜けて奥の個室に向う。

中を覗いて帰りたくなった。泥沼の様な淀んだ空気が漂っていた。

「ご愁傷様です」

「お前の所為だろうが」

藤堂の突っ込みが入る。

「失礼します……」

って皆の視線が怖すぎる。誰も何も言ってくれない。

すると、今にも消えそうな声がする。

誰も口を噤んだままなのでその声は良く聞こえた。

「野神君、その目は本当に結膜炎なんですか?」

一ノ瀬さんの声だった。

双葉さんからは何も聞いていない様だ、つまり俺の口から直接伝えろと言う事なのだろう。そしてここで肯定すれば確実に一ノ瀬さんとの関係が終わるだろう。

「一ノ瀬さん。落ち着いて聞いてくれる? 単刀直入に言えばこの目は結膜炎じゃない。日曜日の野球の試合があったでしょ、あの時の一ノ瀬さんに対する住倉の中原の行為に腹を立てて俺から勝負を挑んだんだ。勝ち負けなんてどうでも良い試合だったけれど中原には負けたくなかったんだ。だから、少し無茶をした。でもこれは野球の試合で怪我をしてしまった結果なんだ。一ノ瀬さんが責任を感じないで欲しい」

「あんなものスポーツじゃないだろう。足にタッチすれば良い筈なのにあいつはお前の顔面にグローブを叩きつけたんだろうが」

「だからって藤堂が住倉の営業先をうちに引っ張るのもどうかと思うけどな」

「な、何でそれを……」

藤堂が明らかに動揺していた。

「研修中にお前が言っていただろ。俺は猫だから」

「野神君、眼帯を外してください」

「一ノ瀬さん?」

「後輩君! 外しなさい!」

「判りました。先輩」

普段は大人しい一ノ瀬さんが初めて声を荒げた。

そして真っ直ぐな真剣な目で俺を見つめている。

俺はその瞳に負けた。

後輩君と先輩と言う呼び方はロンドンで初めて出会った時の呼び方だった。

肩から力が抜けていく。

俺が眼帯を外してゆっくり左目を開けると一ノ瀬さんの瞳が揺れて涙が溢れ出した。

一ノ瀬さんが立ち上がり彼女の平手打ちが俺の頬を突き抜ける。

「馬鹿! もう無茶な事はしないで」

「俺の自己満足です」

「本当に馬鹿なんだから」

そう言って俺に抱きついてきた。

抱きつかれた勢いで椅子から落ちて床に座り込み一ノ瀬さんを抱きしめて天井を仰いだ。

一ノ瀬さんは声を上げながら泣いている。

「野神君、凛子を泣かせた責任はどうするのかしら」

双葉さんの静かな声がする、もう逃げ出すなと。

「それなら、一ノ瀬さんに責任をとってもらいます。ファーストキスを奪われちゃいましたから」

「まさか、凛子。そんな事を……」

「り、凛子さんが?」

「普通、逆だ。バーカ」

三人三様の驚きと呆れた声が聞こえると一ノ瀬さんの泣き声が変った。

「ば、か……」

「大好きです。凛子さん」

「瑞貴君が大好き……」

そうして2人は恋人宣言をした。

俺の心の隅にしこりを残したまま。





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