第11話 あの、やっぱり

どれ位寝ていたのだろう何か柔らかい物が口に触れて目を覚ますと、日はすっかり傾いて風も少し冷たくなっていた。気が付くと着ていたカーディガンが体に掛けられていた。

慌てて飛び起きる。

「ごめん、マジで寝てしまったみたいだ。本当にすまない」

「ううん、大丈夫です。野神さんの可愛らしい寝顔も見られたし」

「はぁ、面目ない」

「そうだ、紅茶も入れて来たんですけど飲みます?」

「えっ、ああ。それじゃお言葉に甘えて」

一ノ瀬さんがステンレスボトルから紅茶を注いでいる。

日が傾いて黄昏時に近い所為なのか、一ノ瀬さんの顔がどこと無く寂しそうに見えた。

「野神さんはお砂糖だけでしたよね」

その時、ロンドンで大英博物館の後で彼女とカフェに寄ったのを思い出した。

イギリスで紅茶と言えば普通にミルクティーが出てくる、その時も確か珈琲の気分じゃなかったのでミルク抜きを頼んだ覚えがあった。

こんな事まで一ノ瀬さんは覚えていてくれた。

その事に胸が締め付けられた。


紅茶を飲んで帰る事にする、公園を出る頃には暗くなっていた。

「今日はありがとうございました。私の為に」

「そんな事ないよ、俺の方が楽しんじゃったみたいだし、それに寝ちゃったからね」

「気にしないで下さい。あの、やっぱり……」

「あのさ、寝ちゃったお詫びに晩飯でもどう? ご馳走するから」

一ノ瀬さんの言葉の続きを聞きたくなくて声を掛けてしまった。

自分自身に腹が立ち、歯を噛み締めた。気付かれてしまっただろうか返事が無い。

沈黙が訪れるのが嫌で声を掛けなおす。

「イタリアンでも中華でも何でもご馳走するよ」

「えっ、本当ですか?」

「うん、何が食べたい? それとも行ってみたいお店があるとか」

「あの、皆さんが良く行く居酒屋さんは駄目ですか?」

「へぇ? たぬき?」

「そ、そうです。たぬき」

気が抜けてしまって笑い出してしまった。

「あはははは、ふっふっふっふふふふ」

「私? 何か可笑しなこと言いましたか?」

「いや、OK! たぬきでいいなら」

「ああ、もう。なんだか馬鹿にされている気がします」

「そうじゃなくて、ごめん、ごめん。なんだか今日は謝ってばかりだな。それじゃ行こうか」

「はい」

一応、営業しているか確認してたぬきに向った。


「ちわ、大将」

「おお、休日出勤か?」

「まぁ、そんなところ」

「2人ならカウンターでいいな?」

大将が俺の後ろを見て眉間に皺を寄せた。

「のっち、誰だ。お前の後ろにいるのは」

「一弥に見えますか?」

「いや、可愛らしい女の子にしか見えん」

「じゃ、女の子でしょ」

「お前の連れだよな?」

「はぁ~、そうですよ。初めて俺が女の子連れでたぬきに来ました。これで良いですか?」

「おう!」

「生2つ! それに熱いお絞りも!」

少し自棄になって声を上げる。

時間が早い所為もありまだお客もまばらで日曜日と言う事もあり会社の人間は1人もいなかった。

「お待ち」

お通しとビールが運ばれてきた。

「それじゃ、お疲れ様」

「はい」

乾杯してビールを喉に流し込む。

「ぷふぁ~染みる」

「うふふ、野神さんてやっぱり男の人なんですね」

「それって褒められているの?」

「もちろん、褒めているんです、女の子を連れて来たりしないんですね」

「あ、うん。仕事帰りが多いからね」

「それとも他のお店に連れて行くのかなぁ」

一ノ瀬さんの話を聞きながら適当にお勧めを注文する。

「それも無いかなぁ。俺、女の子と付き合った事無いから」

「えっ……」

そんな話をしていると大将が突っ込みと言うチャチャを入れてきた。

「駄目だよ、お譲ちゃん騙されたらのっちの常套手段なんだから」

「あのな、大将。マジで怒るぞ。それに彼女はそんなんじゃ無いよ」

「はぁ、お前。本気でそんな事を言っているのか? こんな可愛い子を前にして、ガキだな相変わらず。だから彼女も出来ねえんだ」

無性に腹が立った。一ノ瀬さんと居ると感情を抑えられないでいる自分に気付く。

席を立ち上がり一ノ瀬さんの後ろに立った。

「ちょっと、ごめんね」

「え?」

「髪触っても良い?」

「はい、大丈夫です」

一ノ瀬さんの了承を貰ってから彼女の髪を後ろから両手でポニーテールの様に束ねた。

「大将、この女の子はだ~れ、だ?」

「さ、さ、さ、侍?」

大将の顔が引き攣り、声が裏返っていた。

「ピンポ~ン、正解です。俺の言った意味理解してもらえたよね。大将?」

「は、はい」

「それじゃ、この事は藤堂以外には他言無用で」

「はい!」

大将の声が裏返っていたが聞き流して ビールを少し飲んでたぬきのお勧めを食べて店を後にする。


外に出るとすっかり暗くなり街はネオンに彩られていた。

「明日から仕事だ。帰ろうか」

「はい、ご馳走様でした」

「こちらこそ。それじゃ、バスケットを貸して」

「えっ」

一ノ瀬さんの手からバスケットを取り普段はブリーフケースを乗せているクロスバイクのフロントキャリアに括りつけてバイクに跨る。

「乗って」

「えっ、でも二人乗りは」

「気にしない、気にしない、ね」

「はい」

一ノ瀬さんが恥ずかしそうに横向きに乗る。

「ちゃんと掴まっていてね、行くよ」

バイクを漕ぎ出すと酔って火照った体に夜風がすり抜けてとても気持ちが良い。

漕ぐ足に力が入りビルの谷間を駆け抜ける。

「気持ち良い、私も自転車通勤にしようかな」

「良いかも」

「それよりたぬきの大将がなんだか可哀相だった」

「良いんだよ、俺のモットーは平々凡々と生きると、売られた喧嘩はすべてお買い上げの倍返しだから」

「変なの、それって両極じゃないですか?」

「俺、変人だから」

「もう、馬鹿」

そんな事を話しているうちに一ノ瀬さんのマンションに到着した。

「今日は、ありがとうございました」

「こちらこそ。それじゃ、明日、会社で」

バイクに跨り自分のマンションに向う。

まるで逃げ出す様に。

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