第10話 子どもみたい


日曜日の10時に俺は彼女のマンションの前にいた。

もちろんクロスバイクで。

何処に行きたいか聞いたら天気がよければピクニックに行きたいと言われたのだ。

「あっ、おはようございます」

「おはよう」

振り返ると彼女が立っていた。

ブルーのゆるやかなギンガムチェックのガーリーなワンピースを着て黒いレースのあしらわれたレギンスを穿いてこげ茶の皮のショートブーツを履いている。

そしてワンピースの上にざっくりと編まれた生成りのカーデガンを羽織っていた。

最近こんな格好の女の子は『森ガール』と呼ばれているらしい。

それに対して俺の格好はシンプルだった。

ジーンズにスニーカー、上はブルーのシャツに茶系のカーディガンと言う出で立ちだった。

「どこに行こうか?」

「どこでも良いです。その……一緒なら……」

相変わらず聞き取れないくらい声が小さい、緊張の所為なのか?

「公園にでも行ってみようか?」

「はい」

彼女が返事をして、後ろ手に持っていたものを抱えて歩き出した。

それは籐のバスケットだった。

「一ノ瀬さん、それは何?」

「あ、あのう、お弁当。ピクニックだから……」

それだけ言って赤くなり俯いてしまった。

こりゃ重症だ。

なんだか俺が苛めているような気になってきた。

この状況じゃあまり遠出は無理だ、俺の方が耐えられそうに無い。


仕方なく会社の前の大きな公園に来てみた。

「うわぁ、初めて来ました」

一ノ瀬さんが嬉しそうに走り出す。

その顔はロンドンで大英博物館に連れて行った時そのままの笑顔だった。

一瞬ドキッとするが平静を装う。

「初めてって会社の目の前なのに?」

「はい、いつもは代表と一緒ですから」

「ああ、そうか。毎日美味しいご飯食べているんだ」

すると、ほんの一瞬だけ彼女の顔が翳った。

「そうでもないですよ。結構忙しくて食べられない時もあるし、あまり他の人と食べた事が無いんです」

「そうなんだ、大変だね。俺らは結構時間が自由だからね、外回りに出ている時は空いた時間に食べるしね。会社にいれば誰かと食べる事もあるけれど殆ど藤堂と一緒が多いかな」

「ええ? 女性の社員さんと一緒じゃないんですか?」

「へぇ? どうして?」

「あ、あのう藤堂さんも野神さんも社内では人気があるから」

「藤堂はともかく俺はそんなに人気があるとは思えないけど、まぁ珍獣とかマスコット扱いじゃないかな」

「そんな事無いです、野神さんは素敵……あっうぅ……」

もうこれで何度目だろう。また、真っ赤になって俯いてしまった。

俺は自転車を押しながら一ノ瀬さんの横を歩いている。

なんだか今日は一ノ瀬さんが小さく見えた。

「そう言えば、一ノ瀬さんは身長どれくらいなの?」

「私ですか? 160ちょっとです。仕事中はヒールを履いていることが多いので」

160ちょっとって微妙な言い方だなぁ。まぁ、俺も自称170なんだけど俺と背丈はあまり変らない気がした。

しばらく歩くと噴水が見えてきた。


休日とあって人も多いが広い公園なので込み合っているという感じは全くしなかった。

噴水の近くの木陰に彼女が持ってきたシートを引いて2人で座る。

もちろん自転車は遊歩道の柵にロックして。

「気持ちが良いな」

俺が伸びをして横になると彼女が笑っていた。

「そんなに気持ちが良いですか?」

「うん」

「それじゃ私も。うわぁ、空が広い」

隣で一ノ瀬さんが両手を上げながら横になった。

しばらく2人は何も喋らずに空を見上げる。

5月の風が2人の間をすり抜けていく。

すると俺の足に何かが当たった。

「ん? 何だ、これ?」

起き上がってみるとそれはフリスビーだった。

見ると小学生くらいの男の子がこちらに走ってくる。

座ったままでフリスビーを軽く投げると緩やかに飛んでいく。

それを男の子がキャッチした。

何気なく噴水を眺めていると、フリスビーがまた足に当たった。

今度は先ほどの男の子より小さな女の子が走ってくる。

今度は立ち上がって優しくフリスビーを投げるとフリフリのピンク色の花柄のワンピース姿の女の子が両手で挟んでキャッチして飛び跳ねて喜んでいた。

「どうしたんですか?」

一ノ瀬さんが起き上がり、不思議そうな顔で聞いてきた。

「いや、フリスビーで遊んでいる兄妹がいるでしょ」

「はい」

「可愛いなっておもってさ」

「そう言えば、野神さんは一人っ子ですか?」

「俺? 一人っ子に見える? 一応、妹が居るけれど」

「一応なんて言ったら妹さんが可哀相ですよ」

「そうだね。ごめん」


どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

泣き声のする方を見るとフリスビーの兄妹が立っていて母親が赤ん坊をあやしながら兄妹に話しかけていた。

「車に荷物忘れて来ちゃったから、ここで待っていてね」

「ええ、嫌だよ」

「わがまま言わないで、ね。オムツを取ってくるだけだから」

「嫌だ、本当は今日パパも来るって約束したのに」

「ママ、どこに行くの?」

妹は不安そうに兄のシャツを掴んでいた。

「俺がこの子達を見てましょうか?」

俺が声を掛けると母親が怪訝そうな顔で俺を見た。

まぁ見ず知らずの男が声を掛けてくれば当然の反応だろう。

小さな子どもが3人もいるのだから。

「ああ、俺、この先の会社に勤めている者なんですけど今日は彼女と遊びに来ているんですよ」

一ノ瀬さんは別に彼女では無いのだが1人で来ていると言うより女の子と来ていると言った方が安心すると思ったからだ。

そう言うと母親が一ノ瀬さんのほうを見た。

「お兄ちゃんとフリスビーで遊んでお母さんが戻って来るのを待っているか?」

「うん」「うん!」

しゃがんで兄妹と同じ目線になって話しかけると元気良く返事をしてくれた。

「それじゃ、お願いできますか? そこの駐車場まで行って来ますので」

母親の顔から緊張感がとれ笑顔になっていた。

「はい、任せて下さい」

母親が赤ん坊を抱きかかえて足早に駐車場に向かった。

俺は兄妹とフリスビーで遊ぶ事にする。

2人と俺で投げあいっこをする事になった。兄妹が代わり番こに投げてくるのをキャッチして投げ返す。

お兄ちゃんの方はなかなかどうしてきちんと投げ返してくるが妹ちゃんはまだ小さい所為か上手く投げられなくって方向が定まらない、それを走って行き何とかキャッチする。

ジャンプしてキャッチすると兄妹がとても喜んだ。

兄妹が喜ぶ顔を見たくなりバックハンドや足の下でキャッチしていると母親が戻って来た。

「お母さんが戻ってきたから2人で遊んでね」

「うん、お兄ちゃんありがとう」

「ばいばい」

「それじゃあね」

そう言って一ノ瀬さんがいる所に戻ると、一ノ瀬さんが楽しそうに俺を見ていた。

「ごめんね、一人にしてしまって。あ~疲れた」

「うふふ、優しいですね。野神さんって」

「そうかな、普通だよ」

「なんだか親子みたいでした」

「ええ、せめて歳の離れた兄弟にして欲しいな。おじさん見たいじゃん」

「えへへ、ごめん、ごめん」

シャツの胸元を掴んでパタパタさせてクールダウンする。

噴水のある池を渡る風がとても心地よかった。

「あのう」

「はい?」

後ろから声がして顔を上げると先ほどの親子だった。

「主人が迎えに着ましたので、私達はこれで失礼します。もしよろしければジュースでも」

「あ、ありがとう御座います」

「そちらの彼女さんにも」

「すいません、なんだか」

「本当に助かりました。それじゃ」

「「お兄ちゃん。バイバイ」」

ジュースを2本受け取ると、母親が妹ちゃんの手を引いて歩き出すと兄妹そろって手を振ってくれた。

振り返ってジュースを渡そうとすると一ノ瀬さんが真っ赤になってボーとしている。

ちょっとふざけてよく冷えたジュースを頬につけた。

「ひゃぁう」

「ふふふ」

「ああ、野神さん酷い!」

俺が笑うと一ノ瀬さんが俺の肩を叩いた。

「心ここに有らずだったからね」

「もう、彼女なんて言うからです」

一ノ瀬さんが頬を膨らませて怒っている、胸がちくりとして申し訳ない気がしてきた。

「ごめんね。でも、ああでも言わないとお母さんが信用してくれそうに無かったからね」

「私は別に……お、お弁当にしましょ」

「そうだね、お腹ペコペコだ」


一ノ瀬さんがバスケットから次々に包みを出していく。

あまりの量に驚いてしまった。

「重かったんじゃない?」

「全然、だって普段は書類とか沢山持って移動するからこのくらいは平気ですよ」

「でも凄い量だね。作るの大変だったでしょ」

「料理するの好きだから」

「へぇ、俺は全然駄目なんだ」

「ええ、いつも何を食べているんですか?」

「外食か弁当かな」

「それじゃ、今日は沢山食べてくださいね。はい、これ」

「えっ、これって」

一ノ瀬さんが渡してくれたのは、フィッシュ&チップスだった。

そして嬉しい事にビネガーまで用意されていた。

「ハムサンドも作って来ました」

ロンドンで初めて出会った時の再現の様だった。

「いただきます。ん? 美味い。それにこれ一番人気の鱈だ」

「良かった、喜んでもらえて」

あまりに美味すぎて喋るのも忘れて腹を空かせた子どもの様にがっついてしまった。

貰い物のペットボトルのジュースの蓋を開けて喉に流し込む。

ゴクゴクと喉が鳴っていた。

「ぷっふぁ~ うめぇ!」

「うふふ、野神さん子どもみたい」

伸びをして一ノ瀬さんを見るとそんな事を言われてしまった。

恥ずかしくなり照れ隠しに背中から倒れこんだ。

「はぁ~、なんだか俺だけが楽しんでいるみたいでごめんね」

「そんな事、無いですよ。普段は忙しくってバタバタしているから、休みの時はこうしてゆっくり過ごすのが好きなんです」

「そっか、そうだよね。毎日……忙し……」

昨夜も遅くまでメールのやり取りをしていた所為で、お腹が満たされて睡魔に襲われ眠ってしまったようだった。






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