第4話 付き合っているのか?


翌日、時間ギリギリで出社する。

「はぁ、間に合った」

「遅いぞ、ギリギリだ」

「おはよう、藤堂」

「ああ、おは?」

会社にクロスバイクを置いて帰ったのをすっかり忘れていて、いつもどおりに起きてしまい走って会社まで来る嵌めになったのだ。

深呼吸をして一息ついてデスクに座ると、目の前のデスクにいる藤堂が口元の絆創膏をじっと見ていた。

「喧嘩か?」

「ち、違う。ぶつけたんだ。昨日、酔って帰った時に」

「しかし、それはどう見ても殴られた傷だ」


まぁ、藤堂ならばれても仕方が無い。

藤堂一弥とは入社時の研修で同じグループになり初めて知り合ったのだが、その時からリーダーシップを取り皆に的確な指示を出して課題を進めていた。

俺はと言うと入社の動機が動機なだけに、おちゃらけて皆の気分を和ませていた。

「野神。お前、猫かぶっているだろう」

「へぇ? 俺が? 藤堂君、俺はこれが地だよ」

「それにしてはお前の履歴は不思議だな。有名私立の超進学校を卒業してその後は海外生活で、ここに入社して来たのだろう。周りは大卒ばかりなのに」

「まぐれで試験に受かったんだよ」

「面接はにまぐれは無いだろ」

「俺はこんな性格だからね。口は上手いのさ」

「何で大学に行かなかったんだ?」

「家の都合だよ」

「そうか」

それからも度々突っ込まれたが、そのうちに諦めたのか突っ込まなくなり同じ部署に配属されて無二の友になった訳だ。


「それじゃ、俺は外回りに行って来る」

「のっち、俺も行く」

「だから、のっち言うな」

そんな事をしていると回りから笑い声が聞こえた。

「本当に、お前達は凸凹漫才しているみたいだな」

「でも、私たちの癒しですよね」

そんな事を言われ足早にブリーフケースを持ち営業部を後にする。

代表取締役が若い所為かこの会社はかなり緩い。

それでも大きな企業なのでしっかりしてはいるのだけれど、業務をきちんとしていればそれ以外はかなり緩やかになっている。

だからこそ人気がある会社なのかもしれない。

それに代表取締役は何故か社長と呼ばれるのを嫌う。

入社式の挨拶でも『社員一人一人が社長なのだ。自分はただの代表にしか過ぎない』と言っていたくらいだ。

エレベーターを降りて1階のホールに出ると丁度入り口から件の代表取締役が歩いてきた。

「おはよう御座います」

そんな声があちらこちらから聞こえてくる代表はきちんと挨拶に答えてくれる。

俺と藤堂がすれ違い様に挨拶をすると手を上げて挨拶を返してくれた。

代表の少し後ろにはあの『ミス侍』が歩いている。

彼女とすれ違う寸前、有り得ない事が起きた。

彼女が立ち止まり俺たちに向って深々とお辞儀をしたのだ。

それも少し頬を赤らめて瞳が揺れていたように見えたのは気のせいじゃないだろう。

一瞬の出来事なので何が起こったのか判らずボーとしていると藤堂が脇に肘を入れてきた。

「ぶふぉ」

思わず変な声を上げてしまう。

「お前、何をした?」

「お、俺? 俺は何もしてないよ」

「それじゃ、何でお前をあんな恥じらい顔で見ながらお辞儀する」

「だ、だから知らないって」

気が付くと視線が痛い。

代表達はエレベーターに吸い込まれて行った。

藤堂の顔を見ると眉間に皺を寄せて俺を睨みつけている。

ただでさえ藤堂は背が高く営業部の貴公子なんて呼ばれるくらいだから社内でも知らない人は居ないくらいだ。

その上、あの『ミス侍』が俺達に? 向ってお辞儀をしたのだ。

注目を集めないはずが無かった。

「ああ、俺、アポ取ってあるんだ。急がなきゃ」

堪らず表に出ようとすると首根っこを藤堂に掴まれた。

「アポなんているか、ただの店舗周りだろ」

「は、離してくれよ。大事な約束があるんだよ」

「殴るぞ」

「うぅ、にゃーん」

猫の真似をして頬に握り拳を当てると藤堂はまるで本物の猫を摘み出すみたいに俺を会社の外に連れ出した。

「昼に連絡するから社に一度戻って来い。いいな」

有無を言わさない様に言い放ち、藤堂は会社の駐車場に歩いて行ってしまう。

「はぁ~意味判らん」

溜息をつきながら俺は駅に向かい歩き出した。


都内の店舗を周り情報交換や新商品の説明をしいると携帯が着信を知らせた。

見ると藤堂からのメールだった。

『田澤に1時』

『田澤』と言うのは会社の近くにある蕎麦屋の名前だった。

仕方なく1時前に『田澤』に行くと既に藤堂は待ち構えていた。

「すいません。天蕎麦のセットで」

店員に声を掛けて藤堂の居る座敷に上がった。

「お疲れ」

「…………」

「一弥、何を怒っているんだ?」

「怒っていない」

どう見ても不機嫌なのが見て判る。

「お前、俺に何か隠しているだろう」

「なんも」

「嘘付け」

「お待ちどう様でした。天蕎麦セットです」

店員が蕎麦を運んできたので割り箸を割って食べ始める。

呼び出されたとは言え休憩時間は貴重だった。

それでも外回りをしているとそれなりに自分で時間はどうにでもなるのだが、今は一刻も早く藤堂の前から消えたかった。

「一ノ瀬と付き合っているのか?」

「ぶっふぉ、げほ、げほ、げほ」

いきなり藤堂が変な事を言うからネギが気管に入ってしまった。

「うぅ、死ぬかと思った。そんな事あるか!」

思わず突っ込みを入れてしまう。

「それじゃ何で?」

「知らん」

俺が一番訳が判らないのに聞かれても答えようが無く腹が立ってきた。

無言で蕎麦を食べる。

「俺じゃなくて藤堂にお辞儀をしたのかも知れないだろ」

「そんなはずは無い、一ノ瀬にキスされたくせに」

「ば、馬鹿。こんな所でそれを言うか?」

驚いて辺りを見回すが社の人間はいない様だった。とりあえず胸を撫で下ろした。

「藤堂、マジで怒るぞ」

「悪い、悪い。お前をからかうと楽しくてな。つい」

「何がついなんだよ。あんな話を誰かに聞かれたら俺の平穏な日常は泡の様に消えてなくなるんだぞ」

「しかし、あれが本当に侍なら時間の問題だろ」

「確かに今は凄く社に戻りたくない気分満載だよ」

「でも、はにかみながらお辞儀だからいいが。泣いていたりしたら大騒ぎだぞ」

「冗談にしてはきついから止めてくれ。そんな事になったら会社に居られなくなるだろうが」

「まぁ、そうだな。鬼畜扱いされて女子社員からは軽蔑されて男子社員からは嫉妬され憎悪の的になるだろうな」

「うぅ、怖」

会社に戻りエレベーターホールに向かい藤堂と歩いていると視線が突き刺さった。

「手遅れかも」

「まぁ、気にするな」

藤堂は良いよな、部外者だからな。

そんな事を考えていると専務が前から歩いてくる。

専務はかなり年配で前代表取締役、今の相談役の右腕で今は自由奔放な若い代表のお目付け役の様な立場の人なのだが如何せん目立つ人じゃなかった。

その後ろからシックなワンピースを着て、軽くウェーブのかかった栗色の髪を揺らしながら秘書の双葉香蓮(ふたばかれん)さんが歩いてくる。

香蓮さんが佇んでいる場所だけに蘭の花が咲いているようなオーラが満ちている。

地味で目立たない専務は他社でも双葉さんを見てうちの専務だと認識する人が多いと聞いた事がある。

因みに社内では『姫』と呼ばれ『ミス侍』と人気を二分しているらしい。

「あら、藤堂君。お久しぶり」

「ご無沙汰しています。双葉さん」

満面の笑顔で双葉さんが藤堂に嬉しそうに話しかけている。

何でも双葉さんは藤堂のお姉さんの同級生で大親友らしい。

その為に藤堂の事は子どもの頃から知っていると藤堂本人から聞いた事があった。

「あら、そちらは野神さん」

「へぇ? お、お疲れ様です」

「うふふ、やっぱり可愛い」

お辞儀をして思わず体が硬直してしまう。

何で俺の名前を知っているんだ? 

藤堂なら兎も角としてあまり目立たない様にしているし営業成績だって中の下だ。

そんな俺の事を彼女は知っていた。

それも『やっぱり』ってどう意味だ?

「それじゃ、専務参りましょうか」

そう言って双葉さんは小さく手を振って専務と歩いていってしまった。

「なぁ、藤堂。お前さ、双葉さんに俺の事何か話したのか?」

「いや、ご無沙汰していますと言った筈だが。入社してからまだ数回しか会ってないが」

「じゃ、何で俺の事知っているんだよ」

「知らん」

「お前以外に接点なんか無いんだぞ」

「キス」

藤堂がぼそっと呟いた。

そう言えば同じ秘書課か……

俺はうな垂れて営業部に戻り午後の仕事を卒なく終わらせて定時に退社した。





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