第19話 月の沙漠

紫月を飛び出して砂浜に向う。

空には綺麗な丸い月が浮かんでいて月明かりで外は明るい。

恐らくパパは紫月の前の砂浜に居るだろうと目を凝らして見るけれど人の影も形も無かった。

月明かりの夜はあの夜を思い出させ怖かったけれど、ここは街ではなく砂浜でこの砂浜の何処かにパパがきっと居ると思うと少しだけ怖さが和らいだ。

勇気を出して砂浜を歩き始める。


少し歩いただけなのに私は何かに躓いてよろけて声を上げてしまう。

「きゃぁ!」

「ん? ミーナ」

直ぐ先からパパの声が聞こえてきた。

砂浜に手を着いて顔を見上げるとパパが砂浜に仰向けになっていて、体を起こしながら砂でも顔に掛かったのか眼鏡を外して顔を払っている。

そして私の方に顔を向けた。

パパと声を掛けようとしてパパの顔を見て心臓の鼓動が跳ね上がった。

眼鏡を外して月明かりに照らされてパパの目が朧げに右の瞳は金色にそして左の瞳は青く不思議な色を放っているように見えた。

それはパパが眼鏡を掛け直した一瞬の間だったから気のせいだったのかもしれない。

それでも心臓の鼓動は早打ちを止めてくれない。

「ミーナ、遅かったね」

「ご、ゴメン」

パパの声で私は夢から覚めたように現実に引き戻されたような気がした。

月明かりに照らされたパパの顔はいつもの眼鏡を掛けたパパの顔だった。

そんなはず無いよね……そうだよね有り得ないよね。

「ん、どうしたの? 誰かと見間違えたかな?」

「私がパパの顔を見間違えるなんてそんな事があるわけ無いでしょ」

私は声を少しだけ荒げて自分の中に湧き上がった疑問とあの人の顔を払拭しようとした。

「そうか。僕はミーナに好きな人でも出来たんじゃないかと思ったよ」

「ええ?」

「だって、直ぐに来てくれると思ったのに。来ないから誰かにメールとか電話していたのかなって」

パパにそんな事を言われてまるであの男の人の事を見透かされているようでびっくりしたけれど、パパは見当違いな事を考えていたみたいで胸を撫で下ろした。

「もう、そんな人なんて居るわけ無いです。ただ」

「ん? ただ?」

「パパが皆と仲良くしてるから……」

「ん、そうか。こっちにおいで」

パパの横に少し間を開けて座るとパパが私の頭に手を置いて私の体を少し引き寄せた。

パパの体に凭れると少しだけパパの体が冷たく感じる、夜風にずっと吹かれていたからだろう。

「ゴメンね」

「ん?」

「何でもない」

「ん」

何も言わずにパパは寄り添ってくれる。

何も言わない優しさも有りかなって思うけど、私は今まで通りパパには何でも話してパパにして欲しい事はちゃんと伝えたい。

いつまでかは判らないけれどその時までパパとは変らない関係を続けていきたいから。


「パパは私が襲われた時に助けてくれた人を知っているの?」

「ん? どうしてかな」

「あの人は私を助けて『vino』に連れて行ってくれた。マスターは何も言わなかったけれど『誰だ』とも言わなかった。という事はあの人の事を少なからず知っていると言うことでしょ。マスターとパパは付き合いが長いんでしょ。それなら知っているかなって」

「銀の髪で青い瞳と金の瞳を持つ銀狼の事だよね」

「銀狼?」

「そう、シルバーウルフなんて呼ばれていた伝説の人だよ」

「伝説の人?」

パパはやっぱり知っていた。

パパの教えてくれたのは、昔々あの街が海外の色んな国の悪い人から街を救ったって言う話だった。

日本の暴力団が法律で弱体化しそこに漬け込んで外から色々な国のマフィアと呼ばれている人たちが流れ込んできて、警察でさえ手が付けられなくなってバラバラになりそうになった時に街を纏め上げた凄い人が居るって言う話だった。

「それで伝説の人なの?」

「まぁ、話半分の噂話だけどね。今でもほんの些細な事が都市伝説なんて言われているでしょ。それと同じだよ」

この話はこれでお終いだった、そして最後に一つだけ聞いてみた。

「パパはその銀狼と呼ばれていた男の人に会った事はあるの?」

「僕は無いな。ミーナの事を助けてくれた人も本人なのかなんて判らないでしょ」

パパに言われて妙に納得してしまった。

今はコスプレなんていうアニメや漫画のキャラクターになり切っている人もいる。

そんな伝説とまで言われている人に憧れを抱く人も居るはずだから。

何となく納得はするけれど、どこか寂しいものを感じたのも正直な気持ちだった。

「それじゃ、マコお姉ちゃんと朝ごはんの後に食堂で何を話していたの?」

「あはは、聞かれちゃったのかな?」

「美奈には内緒だよって」

「恥ずかしいな、実は内緒で料理教室に通っていた事があるんだよ。僕は調理の仕事をした事があるけど基本から教えてもらった訳じゃないからね」

「そうだったんだ」

「それと料理の秘訣は愛情だからね」

パパに愛情なんて言われて顔が赤くなってしまう。

でも月明かりじゃパパにはばれないよねってばれてる? 


ちょっとだけ気になって別の話を聞くことにした。

「パパはママの写真を肌身離さず持っているの?」

「持っているよ。僕の大切な家族だからね」

パパが皆に見せていた写真を見せてくれた、その写真は綺麗なママが小さな女の子を抱っこして微笑んでいる写真だった。

「これってママと私の写真じゃない」

「そうだよ。もしかして美雪だけの写真だと思っていたの?」

「う、うん」

「美雪だけの写真は殆ど無いよ、いつもミーナと一緒にいたからね」

「そうなんだ」

「はぁはん、それで真琴や演劇部の子と僕が仲良くしていたんで拗ねていたんだ。本当にミーナは美雪とそっくりだね」

「えっ? ママと」

「うん。美雪も焼きもち焼きでね、ご機嫌取るのが大変だったんだから」

「そ、そうなんだ」

あ、あれ? 今、ママにも焼きもちを焼いていたのかな? 

少しチクリとしてしまう自分に驚いてしまった。


しばらく波の音を聞いていると心が落ち着いてくる。

「綺麗だよね、月明かりって」

「不思議な光りの色だよね。青というか紫というか、あっだから紫月なのかな?」

「そうかもね」

パパに凭れながら眠ってしまいそうになる。

普段ならまだ眠くなる時間じゃないのに安心感とパパの温もりとパパの鼓動が伝わってくるようで。

眠気を覚ますように私はパパに頼み事をした。

それはマコお姉ちゃんのことだった。

「そうだね、僕もミーナと同じ考えだよ。真琴の重荷にはなりたくないけれど、如何せん真琴は生真面目な女の子だからね。恩義に感じすぎて困ってはいるんだけど僕が何度言っても聞かないんだよ」

「それじゃ、私が少しマコお姉ちゃんに話をしてみる」

「頼めるかな」

「うん!」

パパは私の考えに同意してくれた。

マコお姉ちゃんのお父さんはお酒を飲んでマコお姉ちゃんが子どもの頃から暴力を振るっていたらしい。

それ故に男の人が苦手で特に強い口調や大きな声の男の人の前では萎縮して何も聞かなくなってしまって、パパも強く言えないで困っていたみたいだった。

「さぁ、皆が心配するから戻ろう」

「うん。パパ、手を繋いで良い?」

「ん、良いよ」


私がパパと手を繋いで紫月の自分の部屋に戻ると麻美が手薬煉を引いて待ち構えていた。

部屋のドアを開けるなり麻美が私の側にいたパパにマコお姉ちゃんが探していた事を告げると、パパは直ぐにマコお姉ちゃんのところに行ってしまった。

麻美は相変わらず壁に凭れてお気に入りのライトノベルを読んでいた。

そして本を床に置いて立ったままで居る私に話しかけてきた。

「さぁ、何から話してもらおうかな?」

「ええ? 何を?」

「何をじゃないでしょ。男と女がロマンチックな夜の砂浜でする事と言えば何かな?」

「んと、お喋りだよね」

麻美の質問に即答すると麻美の体が崩れ落ちた。

「あのね、健全な男女ならキスの一つや二つはするでしょ、普通は」

「キス? キスぅ!」

月明かりの砂浜でパパとキスをしている所を思い浮かべてしまう。

足の指先からカッと熱いものが体を駆け上がり頭まで達すると爆発音と共に顔や頭の毛穴と言う毛穴から水蒸気が噴出したような感覚になり、腰が砕けてしゃがみ込んで有り得ないくらい真っ赤になっている自分に気付いた。

「呆れた、キスを想像しただけでそんな状態になるなんて。どれだけ純粋培養されてきた訳? 全てパパさんの責任だね。パパさん!」

「あの、お呼びでしょうか?」

「うわぁ!」

「駄目!」

麻美がパパの事を大声で呼んだ瞬間にマコお姉ちゃんの声がして、麻美は驚いて正座をして私は思わず変な声を上げて麻美の横まで這いずっていた。

「あのう、美奈様がお呼びだと。優様がおしゃいましたので夜分失礼かと思いましたが」

「う、うん。構わないから入って良いよ」

「失礼します」

マコお姉ちゃんが礼儀正しく一礼して部屋に入ってくる。

私と麻美は何とか平静を装い、麻美は一息ついてからライトノベルを再び読み始めてしまった。

「マコお姉ちゃん、適当に座ってね」

「は、はい。それでご用件は?」

「少しマコお姉ちゃんに話したい事があるの」

「はい」

正座をしているマコお姉ちゃんに私がきちんと向き合うように座り直すと、マコお姉ちゃんは少しだけ不安と言うか怪訝そうな顔をしている。

私は自分で考えた事を素直にマコお姉ちゃんに話し始めた。

「マコお姉ちゃんはパパに恩義を感じて仕事をしているんだよね」

「はい、結様は私と母の命の恩人ですから」

「その命の恩人の娘が私だよね」

「は、はい。美奈様は……」

「こんな言い方は年上のマコお姉ちゃんに対して凄く失礼な言い方かもしれないけれどはっきり言わせて貰うね。その美奈様は止めて欲しいの」

「そんな、私はただ」

「恩義に感じて? 私には重過ぎるの。私がマコお姉ちゃんを助けた訳じゃないし私に対して恩義なんか感じないで欲しいな」

「でも美奈様は優様の」

「私はマコお姉ちゃんとは本当の姉妹の様にしていたいから、駄目かな」

「そんな事はございませんが……」

マコお姉ちゃんが急にこんな事を言われて戸惑っているのが良く判る。

今、この関係を壊してしまわないとこれからのマコお姉ちゃんにとって一番駄目な事だと思うからあえて心を鬼にする。

マコお姉ちゃんとは本当の姉妹の様になりたい、それが私の本心だしそうなれると信じているから。

「久しぶりに会って私はマコお姉ちゃんの事を直ぐに思い出せなかった。それはマコお姉ちゃんと私の間には恩義と言う重く厚い壁があるからだと思うの。次に会った時も今回と同じが良いの? 直ぐに思い出してもらえなくて良いの?」

「そ、それは嫌です。私も美奈様とは仲良くしたいです」

「本当に? 仲良くなりたい友達の事を様付けで呼ぶの?」

「よ、呼びません。でも……」

「パパの事はどう思ってるの? 嫌い?」

「そんな嫌いだ何てとんでも御座いません」

「そうだよね。パパも言ってたよマコお姉ちゃんは男の人が苦手なだけだって。マコお姉ちゃんのお父さんは今どうしているの?」

「判りません、ここで母がお世話になるようになってから体を壊してどこか遠くの病院に入院したと聞いたのが最後で」

「あのね、パパも私と同じ気持ちだと思うよ。マコお姉ちゃんの重荷にはなりたくないって言っていたからね」

「私は優様にとっても重荷なのでしょうか?」

「マコお姉ちゃんが決めてくれる? 凄く酷な事を言っているのは判っているつもり。もっと時間が有れば良いのにと思うけど私とパパは明日には帰らなければならないの。一晩しか時間が無いけど明日返事を聞かせて欲しいな」

「判りました」

困惑した弱弱しい声でそう言うとマコお姉ちゃんはこんな時でも礼儀正しく一礼をして部屋を出て行った。

「はぁ~疲れた」

「ニブチンのミーナにしてみれば上出来かな」

「うう、凄く酷い言われ方をしているような気がするんですけど」

「だって、キスだけでアレじゃね」

「…………」

その夜は眠る寸前まで枕元でもの凄い話を麻美に延々とされて真っ白に燃え尽きてしまいそうだった。

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