第10話 狼
いつもなら直ぐに大通りに出て帰るのだけど。
その夜は大きな満月が出ていて、明るい大通りを歩く気になれなかった。
しばらく月明かりの中、人通りの無い裏通りを歩いていると3人の見知らぬ男が声を掛けてきたの。
見るからに遊び人風でストリート系とかヒップホップ系と言えば良いのだろうか、腰でズボンを穿いていて派手なシャツを着て顔中ピアスだらけで見るからにヤンキーだった。
1人は金髪、もう1人は茶髪で3人目は黒髪だけどドレットヘアーで不潔そうにしか見えなかった。
「おお、君。可愛いじゃん」
「ねえねえ、僕達と遊ぼうよ」
「楽しい事しようよ」
無視をして通り過ぎようとすると茶髪の男に腕を掴まれてしまった。
「おいおい、無視かよ」
「離して下さい」
「嫌だって言ったら人を呼ぶ? こんな時間にこんな裏道を歩いている奴が悪いんだよ」
「離して!」
爬虫類の様な気持ち悪い笑みを浮かべている茶髪の男の腕を振り解いて走り出した。
心臓の鼓動が恐怖で跳ね上がり、周りの音が消える。
必死に逃げるけれど、男達はふざけながら追い掛けてくる。
直ぐ後ろに男達の気配を感じ振り向こうとすると夏らしいオシャレなグラディエーターサンダルが仇となり躓いて転んでしまった。
「うっひょ! 生足だ堪らねぇ!」
「細! 超好み」
「あれ? 高校生ぐらいじゃねぇ。まぁ関係ねぇけど」
慌てて捲くり上がっているスカートの裾を直すけど腰が抜けて動けなくなってしまって、声を上げようとしても恐怖のあまり声にならなかった。
男達が笑みを浮かべながらジワリとにじり寄って来た。
「い、嫌。来ないで」
「えへへへ」
「嫌だ、来ないでよ」
自分の愚かさに情けなくなり涙が溢れ出す。
金髪の男がニヤ付きながら私にむかって腕を伸ばしてきた。
もう駄目だ、本当にそう思った。
そしてパパの顔が脳裏に浮かんだ。
「パパ、ゴメンなさい」
涙声で声にならなかった。
突然、月明かりが遮られ。
私の頭上を黒い影と共に風が駆け抜ける。
驚いて思わず顔を上げると私に向い腕を伸ばしていた金髪男の顔面が無残に拉げ、数本の前歯が血飛沫と共に飛び散るのが見える。
吹き飛ばされた金髪男はアスファルトの上を数回転がって動かなくなった。
倒れている金髪男の傍らには長身の男の後ろ姿が見える。
男は黒いハイカットの靴を履き、黒ぽいカーゴパンツの様な物を穿いている。
そして上着は半袖で体にフィットしたハイネックの黒いアンダーシャツの様な物を着て、その上に黒いミリタリーベストの様なものを着ている。
黒ずくめの格好より数倍目を引いたのが髪の毛の色だった。
街灯の少ない裏通りで月明かりに照らされた髪の毛はキラキラと銀色に輝いて見える。
「んだ? ざけんな!」
茶髪男が黒ずくめの男に殴りかかろうとすると銀色の髪がストンと下に落ち。
暗い裏路地に不思議な青と金色の光の軌跡が孤を描くと茶髪男が足を払われて倒れる。
間髪入れず黒い影は茶髪男に拳を振り下ろすと何かが砕けるような鈍い音がして、茶髪男の口から何かが溢れ出てきた。
それを見たドレット男が逃げ出そうとすると再び青と金色の光りの軌跡が流れる。
黒い影がドレット男の後頭部に蹴りを叩き込むとドレッド男はその場で崩れ落ちて動かなくなった。
それは瞬く間の事なのに私には全てがスローモーションに見えて銀色の髪と青と金色の光りの軌跡に見蕩れてしまっていた。
「ガキが俺達の闇の世界で何をしているんだ?」
男の冷たい声で私は我に返った。
私が見上げると男は凍り付く様な視線で私の事を見下ろしている。
でも私は男の瞳を見て息を呑んだ。
「綺麗……」
恐怖なんか吹き飛び思わず口からそんな言葉が漏れていた。
銀色の髪が風に靡き男の左目は吸い込まれそうな青い瞳をしている、そして右目も不思議な琥珀色をしていて両方の瞳が野生動物の様に月明かりを浴びて青色と金色に光っている。
「あなたは誰なの?」
「今日は見逃してやる。大人しく帰れ」
私の質問には答えずに冷たい台詞を残して男が背を向けて歩き出した。
私は助けてもらったお礼を言っていないことに気付き勇気を振り絞って男に声をかけた。
「待って……痛い!」
立ち上がろうとすると右足に激痛が走った。
躓いて転んだ時に捻ってしまったのだろう、思わず足首を押えて蹲ってしまう。
すると不意に腕をつかまれ力任せに立たされた。
「痛いよ!」
私が声を上げたのと同時に私自身の体も宙に浮いた。
気付くと私は男の肩に担がれている。
金髪男達に襲われそうになった恐怖感が戻って来る。
「嫌! 離してよ!」
「ガタガタ騒ぐな! マジで売り飛ばすぞ!」
男の怒声が暗がりの裏通りに吸い込まれていく。
私は恐怖に震え声を押し殺して泣く事しか出来なかった。
しばらく男が私を担いだまま歩くと今度はどこかの地下にでも行くのか階段を下り始めた。
そして木のドアをノックしている音が聞こえる。
あれ? ここは……
「はいはい、開いてるわ……」
聞き覚えのある声がした瞬間にドアが開き、無造作に落とされそうになり誰かが体を支えてくれた。
「美奈! 何があったの?」
その声は『vino』のマスターの声で恐る恐る私が顔を上げると心配そうなマスターの顔が見えた。
その瞬間、私は今までの恐怖が安堵に変り堰を切った様に大声をあげて泣き崩れてしまった。
どれ位時間が経ったのだろう。
パパにはマスターから連絡をしてもらい、私はマスターに捻挫した右足の応急処置をしてもらってカウンターの椅子に座らされてカウンターに突っ伏していた。
銀髪で不思議な色の瞳を持つ男の人は気が付くといつの間にか姿を消していた。
「あれほど注意をしたのに、何で裏通りなんか歩いて帰ろうと思ったの?」
「月明かりが綺麗だったから」
「本当に何も無くて良かったわ。もう夜遊びなんかしちゃ駄目よ」
「パパ、怒るかなぁ」
「当たり前でしょ! 優にとって美奈は全てなのよ!」
マスターに強い口調で言われ涙が滲んでくる。
「おこららないでぉー」
「怒られる様な事を美奈がしたんでしょ!」
「らって」
「だってもへったくれも無いわ。優が怒ったらどれだけ怖いと思ってるの? 私だって泣いちゃうんだから」
「うう、怒られた事らんて無いもん」
「はぁ? 一度も?」
「うん」
「呆れた、どんだけ優しいのよ。ご到着よ」
マスターがそう言いながら入り口の木の扉に目をやると階段を駆け下りてくる音が聞こえ、ドアが吹き飛ぶくらいの勢いで開いてパパが店内に転がり込んできた。
「ミーナ!」
「ミーナは?」
「優ちゃん、落ち着きなさい。無事だって伝えたでしょう」
パパはマスターの顔を見てからカウンターに居る私の姿を見た瞬間に全身から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
きちんとセットしてあった髪の毛は乱れ、残業でもしていたのかスーツ姿のままでネクタイを緩めて汗だくになりながら手には携帯電話を握り締めていた。
パパの姿を見ただけでどれだけ私の事を心配していたのかが判った。
「良かった……家に帰ったらミーナの姿が見えないんで近所を探してたら電話が……襲われそうになって……怪我をしたって……ミーナに何かあったら……僕は……」
床にへたれ込んでいたパパが壁に凭れながら私の方に顔を向けた。
「本当に無事でよかった」
心の底から安堵するパパの瞳には涙が浮かんでいる。
私がパパを泣かせる様な事をしてしまったと思ったら、痛い足など気にせずにパパの胸に飛び込んでいた。
そしてどれだけ私がパパに心配を掛けていたのかを嫌というほど思い知らされた。
「パパ! ゴメンなさい!」
「ん」
「本当にゴメンなさい……」
「ん」
今までと変わりなくパパは言葉少なに私を優しく抱きしめてくれる。
パパの優しい温もりを感じながら私は泣き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます