第百六十二話:ある問題
クラウスが抱えているある問題に初めて気付いたのは、彼を初めて王都へ連れて行く道中のことだった。
それは生まれた瞬間から無意識に周囲の勇者にプレッシャーを与えてしまう剣の力とは違う、生物としての問題点。
パッと見ただけでは全く気付かず、本人は未だに気付いてすらいないある問題を、クラウスは抱えていた。
魔物というものは、人類の敵として存在している。
その存在はそのものが人間にとっては驚異だ。
主に戦うのは勇者だとしても、それ以外の人も基本的には一目見ただけで、それが敵だと判断出来る様になっている。
つまり、ただ見ただけでも分かる様な殺意を、魔物達は常に人に向けているのだ。
魔物達を見るだけでも腰を抜かしてしまう者すらいるほどに、その瞳には容赦が見られない。
クラウスが放つ威圧感とはまるで異質の、今すぐに殺すという意志。
時には人を食料として見ながらも、基本的には人を恐ろしい生き物の一つとして認識している野生の肉食動物とは違い、自分が死んでも殺すという明確な敵対心。
魔物達は、それを持っているから魔物なのだ。
それはまだ殆ど危機感を感じ取れない赤子すら同じで、一目魔物を見れば、泣くことすら忘れて震え出してしまう。
例えば、両親共に最強クラスの勇者であるサンダルとナディアの娘であるタラリアの場合、初めて魔物が動いているのを見たコンマ1秒も後には、それは真っ二つに裂けていた。
彼女はまだ一歳にも満たず、人は死ぬということすら理解していない。
なんとなく本能で、自分の両親の腕の中は世界で最も安全な場所の一つなのだと認識していたのか、よく眠る子だったというくらい。
それでも、その一瞬の殺意に当てられ、幼いタラリアは死を受け入れた様に体の力を抜き、ぐったりとしてしまった。
もっとも、初めてタラリアが見た魔物はデーモンで、通常生まれて一歳にも満たない赤子が目にすることはあり得ないのだけれど。
そんな魔物を初めて見た時のクラウスはと言えば。
「まま、がんばれー!」
殺気に気付き剣を抜いた母に向かって、無邪気にそう告げたのだった。
出会う前から、何があっても私が守ると母は告げた。
それでも、それは異常なことだった。
誰にでも、初めては存在する。
そしてその初めての遭遇で、必ず人々は魔物が人間にとっての絶対敵だということを、心に刻む。
だからこそ、クラウスのその応援は、問題だった。
それはまるでスポーツで母親が活躍することを応援するかの様な、そんな気楽なものだったからだ。
死地に立った母親の勝利を確信して信じるどころか、魔物が死ぬということすら認識していない様な応援。
それはつまり、クラウスが死を全く理解していない様だ、ということになる。
それからの英雄達は大変だった。
クラウスが死を理解していないということは、剣の欲求、『勇者を食べたい』と思ってしまえば、自制が効かなくなる可能性が高いということ。
それに対する矯正に、彼らは相当な苦心を強いられることになった。
結果分かったことは、クラウスは死を理解して居ないのではなく、死に対する恐怖心の一切が欠如している、という結論だった。
――。
少しだけ、話を移そう。
魔物に対する恐怖心を感じない一族が、かつて世界には存在していた。
死の淵に立った九人の内、奇跡によって生き残り魔物と化した八人が作った一族。
かつて魔人と呼ばれ、ある剣が生まれてからは人だったことを思い出し、狛の村と呼ばれた村に住んでいた人々。
彼らの祖先である八人はかつて、死を乗り越えて魔物となった。
確実に死ぬ状況で世界の意思によって選択を迫られ、一人の命を生贄に奇跡を得た結果、生き残る代わりに人であることを失った。
人の肉体を持った魔物だったからか、一度死にかけた身だからか、彼らは人であることを思い出した後も、魔物を殺すことはあっても、魔物に恐怖を抱くことはなかった。
それどころか、死んでも敵は殺すという、魔物と同じ戦い方をしていた。
彼らだけは、魔物に対する恐怖心を持っていなかった。
何故なら彼らは、生まれた時から魔物と近しい存在だったからだ。
……。
そして、初めての遭遇はもう誰も知らない、一人の男。
かつて一人の鬼神として世界を救い、世界の敵として殺された、影の英雄。
英雄レインだけは、初めて魔物を見た時に、鼻で笑っていた。
何故なら、彼は問題なく倒せるからだ。
如何なる魔物であっても、どれだけ彼が赤子であっても、本気で彼と敵対すれば、絶対に勝てないと、まだ乳児だったレインの本能は理解していたから。
――。
ただ、クラウスはレインとは真逆の理由で、魔物に対する恐怖心を抱かなかった。
どちらかと言えば狛の村人寄りで、その理由は、サラにとっても非常に辛いものだった。
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